木蔭の会計物語


Short Accounting Stories beside the Fireplace




 経営報酬としての自己株式の無償供与:その会計問題

一部であれ全部であれ、新規発行の自己株式を経営報酬として無償供与した場合には、一般株主の側において株式価値のロスが発生している。新株の 発行によって「希薄化」(dilution)が起きており、この希薄化部分だけ一般株主が損失を被っているのである。一般株主におけるこの希薄化損失に相応する価額が新株を取得した経営者の利得になっているのだから、経営者に経営報酬を支払っているのは、実質的には一般株主だとみかければならない。 それなのに、株式報酬費用の計上にあたって、その相手勘定に払込資本勘定を用いると、経営報酬を支払っているのは報酬を受ける経営者自身となり、経営者によって労務出資が行われていることになってしまう。これでよいのであろうか。


≪Back Numbers≫

 戦前期における税制上の減価償却

 日本の減価償却制度のあり方を決めているのは、法人税制である。日本企業は法人税法のルールにもとづいて 減価償却費を計上しているのだから、税務会計ルールを抜きにしては、日本の減価償却会計は成り立たない。

 明治32年に、個人所得税の片隅に法人を対象とする所得税制が創設された。その課税所得は「総益金」と「総損金」 の差額と明確に定義されていたが、「総損金」に減価償却費は含まれていなかった。納税者は行政裁判所に提訴するなど の方法によって減価償却費の損金算入の正当性を主張したが、この納税者の主張は大正末期まで課税当局に受け入れられ なかった。

 昭和初期になってようやく減価償却費の損金算入が容認されるようになったが、その容認の要件として株主総会の承 認が掲げられた。戦後になって損金経理、確定決算主義と呼ばれる税務会計ルールが拡がったが、それはこの要件が基礎に なったものである。

 減価償却会計にありがちな恣意性を排除するために、課税当局は耐用年数、残存価額などを細かく法定しはじめた。 また耐用年数の短縮などによって減価償却費の追加計上を容認し、これによって一部の法人に対して課税上の優遇措置を 講じはじめた。減価償却会計における法定主義も産業誘導のための租税優遇措置も、戦前期から日本で創設され、日本で 実施されてきた日本式の税務会計にほかならない。

 街角の利益数字

 「利益」といのは会社おいて最も大切な会計数値であるから、それをどのように計算し、どのように公表するかについては、こまごまとした ルールが定められており、このルールに違反することは許されることではない。それなのにアメリカでは制度上で決められたルールとは別箇の形で、 経営者が自分勝手に「わが社の利益」というものを定義し、その「わが社の利益」なるものをプレスに発表している。会社の経営者が勝手に創り出 したこの「自家製利益」が「街角の利益数値」(street numbers)である。

 街角の利益数値は制度上の公式利益よりも、各社のクセを強く反映している。自社の強みや弱みを経営者は街角の利益数値に盛り込もうとする からである。このことの結果として、投資者たちは公式利益によりも街角の利益数値の方を頼りにして投資判断をしがちであるし、またそうであるか ら株価も街角の利益数値の方に強く反応しがちになる。会計学の用語でいえば、公式利益と街角の利益数値を比べると、街角の利益数値の方が「有用 性」が高い。

 しかし、いかに有用性が高いとしても、街角の利益数値は「闇の数値」ではないであろうか。会計で最も重要な利益数値を会社の経営者が勝手 に定義し、勝手にプレス発表するのを許してよういものであろうか。

 領収書の会計学

 会社の経理課の人間にとっても公認会計士・税理士にとっても、領収書ほど大切なものはない。会計記録は収入と支出を記録したものであるが、 収入も支出もその金額がいくらであったかを「立証」しなければならない。支出についてその金額を立証するのが領収書なのである。領収書が欠けて いる出金は、どこの誰に渡したかの説明ができない出金となるから、使途不明金と同じに扱われることになる。

 現実のビジネスでは領収書が大活躍している。それなのに会計学の教科書には領収書のことを説明する記述がない。領収書は取得原価主義会計 とも固く結びついているのに、会計学の教科書ではこの点の説明も欠落している。このことの結果として、「時価会計の方が役に立つ」とか「公正 価値会計の時代が来る」といった安直な見解が拡がってしまうのである。現代の会計学の出発点は領収書なのであるから、この点を真正面から見据え なければならない。

 怠け者たちの売上帳

 売上高が分からないのに、決算なんてできるわけがない。それなのに、ナスやキュウリを1本売るごとに、「売上帳」に記帳している八百屋はいない。 多忙をきわめる営業の最前線において、はたして「売上帳」は記帳されているのであろうか。

 現実のビジネスにおいては、零細企業においても、「売上帳」の正確な記帳が行われているが、それを可能にしているのは怠け者たちの工夫である。 怠け者たちが手抜きの工夫を凝らし、怠けに怠けた結果として、「売上帳」の記録が残されているのである。怠け者たちが何を、どう工夫しているのか、 その実情を探ってみることにしよう。

 レジはなぜチンと鳴るのか

 100年ほど前に、小型金庫に計算機を括り付けた複合商品がアメリカで開発された。今日のレジである。このレジにベルが取り付けられ、金庫を開け閉め するごとにチンと鳴るようになってから、レジは爆発的に普及した。レジがチンと鳴ることにいったいどういう意味があり、そのことがビジネスの 世界をどう変えたのであろうか。

 レジからPOSへ、POSからペーパレス会計へと発展するなかで、レジが成し遂げた貢献を考えてみることにしよう。

 神戸高商の開校 のころの会計帳簿−和帳から洋帳への転換-

 江戸時代における日本の会計帳簿は、大福帳であった。明治になってから西洋式の会計帳簿が日本に導入されたが、それは大福帳とはまったく異 なるもので、共通するところは皆無であった。大福帳では和紙に、毛筆で、漢数字が、タテに、書かれるが、西洋式の帳簿では洋紙に、ペンで、アラビア 数字が、ヨコに、綴られる。この表面的な相違よりももっと本質的なのは、日本の和帳は単式簿記法なのに、洋帳は複式簿記法によるという違い がある。

 とほうもなく大きなこの和洋の溝を乗り越えて、明治から大正にかけて日本に洋帳による会計実務を定着させたのは、神戸高商出をはじ めとする、一握りのビジネス・エリートたちであった。帳簿用紙も、またペンもインキも、わが国にはまだ存在していなかった当時において、ビ ジネスの先輩たちは、いったいどのように困難に立ち向かったのであろうか。今年は神戸高商の開校から110周年目にあたるから、この記念す べき年に、会計ツールの側から当時の会計帳簿を追ってみることにしよう。


2015.10.31

OBE Accounting Research Lab, Osaka, Japan

代表 岡部 孝好