実証会計学のてほどき

発生処理高による検証のすすめ方
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by 岡部 孝好

イントロダクション目次

Chapter 1 (Part 1)Chapter 1 (Part 2)Chapter 2Chapter 3Chapter 4Chapter 5Chapter 6

 負債仮説の構築とサンプルの抽出



2.1 仮説の構築と検証


 2.1.1 仮説と何か

 現実の世界には、状況がAなのかBなのかがはっきりしないことが多数ある。そこで、現場を綿密に観察したり実験をしたりしてみて、どういう場合にAが多く(Bが少なく)なるのかを知ろうとする。たとえば肺がんの原因はいまだに明確ではないが、よく観察してみると、喫煙の習慣と関係している可能性が大きい。そこで、「たばこを吸う人は肺がんになる」という仮の命題を立ててみる。

 ここで、「たばこを吸う人は肺がんになる」という命題は単なる疑いであり、だれもまだ確証を握っていない(立証されていないのに、信者には医者が多い)。こういう未検証の命題は仮説(hypothesis)と呼ばれるが、仮説の構築は科学にとってきわめて重要な意味をもっている。会計学にかぎらず研究活動は、ああではないか、こうではないか、といった思索の連続であるが、そのほとんどは疑問の提起、つまり仮説の構築から成り立っている。

 「たばこを吸う人は肺がんになる」という命題の真偽は、実際に調査をしてみなければわからない。この仮説の真偽の調査にあたっては、喫煙の習慣をもつ人ともたない人、肺がんに罹った人罹らなかった人を探し出すことが重要になるが、いずれにしても、@多数の人をサンプルにして、A正確なデータを収集して、B厳密な統計処理をすることが、不可欠である。こうして実際のデータに照らして仮説の真偽を立証するのが検証(verification)であるが、この検証では、喫煙者のグループと非喫煙者のグループを比べて、「肺がんの罹患者は喫煙者のグループに多い」ということを科学的に証拠づけることになる。

 仮説の検証という証拠づけでは、「100%間違いない」というタイプの証明は要求されていない。絶対に間違いないことなど、この世にはありえないから、「95%まで間違いない」といった形で証拠づける。「95%まで間違いない」という主張は、「5%まで間違いがありうる」というのと同じであるが、これは、95%まで正しいのなら信頼できるということでもあるし、5%程度の誤りの可能性なら許容できるということでもある。いずれにしても、仮説の検証は確率的な評価(probability evaluation)であり、最終的な判断には誤りの可能性が織り込まれる。この誤りの可能性は有意水準(level of significance)と呼ばれるが、慣行的な有意水準は10%、5%、1%のいずれかで、値が小さいほど誤りのおそれが小さく、信頼性が高い。実証会計学における仮説の検証でも、実際のデータによる検証はこの証拠づけの方法によっており、10%、5%、1%のいずれかの有意水準によって誤りのリスクが確率的に評価される。

 2.1.2 負債仮説とは何か

 実証会計学の関心事は経営者がウソをつくことなので、どういう情況で、どういうウソを経営者がつきたくなるか、まず裁量行動の動機が究明される。そして、会計情報公開においてウソによって経営者がえられるメリット(または回避できるデメリット)が明示され、その特定の情況下で経営者がどういう裁量的会計行動を選択するのかが、仮説として記述される。統計的な手順によって検証されるのは、具体的に提示されるこの仮説の真偽である。ここではその1例として、負債仮説(debt hypothesis)取り上げ、その検証の仕方を考えてみることにしよう。

 会社の経営者に貸し手(銀行)が資金を融資する場合に、返済期限と利子率のほかは、いっさいを無条件にして貸し与えると、借り手の経営者が勝手気ままにその資金を使い、最終的には返済不能に陥ることが考えられる。過去の経験によってこの貸倒れのリスクがどういう経営者行動によってもたらされやすいかを貸し手はよく承知しているから、貸付期間中における経営者の意思決定に枠を嵌め、この行動規制――意思決定コントロール(decision control)という――によって貸倒れの発生を防止しようとする。借り手の経営者が「やっていいこと、わるいこと」を逐一指定して、この指定事項を順守することを条件に、融資を行うわけである。貸付取引に付随して取り決められるこの行動規制が財務制限条項(debt covenant)であり、その例としては一定額以上に負債を増やさない(追加借入制限条項)、一定額以上に配当をしない(配当制限条項)などの取決めがある。これらの取決めには重いペナルティ条項が付加されており、指定事項に違反すると資金が即刻引き揚げられるから、事実上、経営破綻に追い込まれる。

 資金が逼迫しているからこそ融資を受けるのだから、借入前の深刻な時点では、かなり厳しい内容であっても、借り手の経営者は財務制限条項を受け入れる。しかし、借入後になると、経営者にとって財務制限条項は自由な行動を妨げる障害物でしかない。条項抵触のおそれがでてきた場合に特にこのことがいえ、財務制限条項に縛られて、経営者は身動きがとれなくなる。たとえば運転資金の不足によって手形の不渡りに瀕していても、追加借入制限条項へ抵触するとなれば、経営者は借入れ以外の方法で資金を調達しなければならない。

 2.1.3 財務制限条項と裁量行動の仮説

 財務制限条項による経営者の行動規制は、会計ベースの契約(accounting-based contract)になっていることが多く、追加借入制限条項では負債比率が85%以下、配当制限条項では現金配当が利益剰余金の75%以下などと、会計数値を使って許容限度が指定される。これらの限度額は、連結ベースなのか個別ベースなのか(あるいは両方なのか)が指定されていて、毎年度末に公式な財務諸表の会計数値との照合によって条項違反の有無がチェックされる。

 会計手続きの選択が経営者の判断に委ねられているところも少なくないから、裁量的会計行動によって会計数値が恣意的に動かされる余地がまったくないわけではない。そこで、たとえば収益の引上げとか費用の圧縮によって当期純利益が膨らまされるとすれば、当期純利益の増加額だけ純資産(資本)とその内訳項目の利益剰余金が増え、純資産の増加におうじて負債比率も下がることになる。追加借入制限条項により85%以下の負債比率が、配当制限条項により利益剰余金の75%以下の配当が要求されていても、会計利益が恣意的に増やされると、財務制限条項の締付けは緩んでしまう。

 財務制限条項は一般に経営者を裁量行動に動機づけるといえるが、実際にそれが裁量的会計行動を誘発させているのかどうかは、経験的に検証してみなければわからない。そこで、まず仮説を構築し、次にその仮説を検証する。なお、仮説を設定するにときは、帰無仮説(null hypothesis)による場合と、それに対立する代替仮説(alternative hypothesis)による場合のいずれかによるが、ここでは、2つを共に示すことにする。

 

 帰無仮説H0:財務制限条項を約定している会社の経営者は裁量的会計行動を選択しない。

 代替仮説Ha:財務制限条項を約定している会社の経営者は裁量的会計行動を選択する。

 

 帰無仮説は「裁量的会計行動を選択しない」となっているので、これが裏付けられると、最悪の結果になって、実証研究は失敗してしまう。しかし、統計的な手法では、帰無仮説の方に目を向けて、「・・・を選択しない」という命題が成り立つかのではないかとまず疑ってみて、サンプルの統計量に照し合わせる。そして、「・・・を選択しない」ことが「真ではない」ということが、95%の確率でたしかだとわかったら、その帰無仮説を捨てる。5%の誤りの可能性は残るにしても、「・・・を選択しない」という帰無仮説が否定されると、「・・・を選択しないことはない」というのが結論になる。帰無仮説を否定して、「・・・を選択しないことはない」といえば、それは「・・・を選択する」というに等しいから、帰無仮説の棄却は代替仮説の採用になる。こうして、5%の有意水準で帰無仮説を棄却すると、ターゲットの代替仮説の方が採択され、代替仮説が証拠づけられる。

 2.1.4 リサーチ・デザインの構築

 さて財務制限条項に縛られている経営者が裁量的会計行動を選択するとすれば、その際に会計数値をどのように歪めるであろうか。経営者が歪めたいと最も強く望んでいるのは当期純利益NIであるが、(1)式によると、その際に歪められるのは営業活動によるキャッシュフローCFOというよりも、総発生処理高TACCの方である。そこで、財務制限条項をTACCに結び付け、2つの関連を詮索しはじめる。裁量的会計行動を反映する会計数値はTACCなのであるから、TACCを分析してみれば、財務制限条項に縛られている経営者が裁量的会計行動を採択しているかどうかが検証できる。

 裁量的会計行動の検証は、2つのステップに分かれる。まず第1のステップでは、TACCの統計量を調べて、それが裁量行動によって歪められていないかどうかをチェックする。次に第2のステップにすすみ、TACCの中で特にDACCの部分に焦点を合わせ、その統計量をチェックする。大事な点は、第1ステップから第2のステップへと、分析を積み上げていくことである。

 三構成要素モデルにおいては、TACCNACCDACCとに分割され、裁量的会計行動によって「汚されている」のはDACCだけだとされている。たしかに、理論的にはその通りであるが、最初のステップにおける分析のターゲットはTACCであり、DACCに直接に目を向けるのは最終の第2ステップになってからのことである。

 第1ステップにおいては、TACCの全部がDACCによって構成されている と仮定し、TACCNACCは含まれていないと考える。TACC=DACCとみるこの考え方はディアンジェロ・モデルといわれる[DeAngello,1988]が、第1ステップはこのモデルによって裁量的会計行動をテストする。次の第2ステップでは、本来の三構成要素モデルによって、TACCにはクリーンなNACCが含まれているみなして、「汚れ」が集約されているDACCだけをテストする。

2.2 サンプルの抽出


 2.2.1 マッチド・ペア方式

 この研究において、実証分析のターゲットは、財務制限条項が存在する会社におけるTACCである。しかし、TACCの歪みが財務制限条項に起因するという点を突き止めるには、財務制限条項が存在しない会社のTACCに照らし合わせてみることが不可欠である。TACCという数値が大きいか小さいかを判定するのにも、比較の基準が必要である。このため、実証会計学においては、マッチド・ペア方式(matched pairs design)というサンプリングの手法がよく使われる。

 マッチド・ペア方式は、たとえば新薬の薬効を調査するにあたって、施療した患者と施療しなかった患者との2群のサンプルを形成しておき、処理群 (treatment) と非処理群(non-treatment)との間の薬効の違いを比較するのに使われる。最終的な統計量を対比する基準を事前に設定しておく点に特徴があり、施療の前後において2つの統計量を比較するだけで、処理群の特性がそのまま浮き彫りになるように設計されている。

 マッチド・ペア方式では、非処理群についてのサンプルがランダムに選択されるようなことはない。薬効の調査では、新薬の投与という点を除けば、2群の被験者はまったく同一であることが望ましい。そこで、施療以外のすべての点について、処理群と非処理群が類似するようにサンプルがコントロールされる。財務制限条項の影響を調査する場合にも、財務制限条項の存在会社と不存在会社について、規模、年度、業種など、よく似た特性の会社を1対1に組み合わせ、2群のペア・サンプルを構成する。サンプルの選択をコントロールして、業種の違い、規模の違い、年度の違いによる差異を取り除き、財務制限条項による差異だけを際立たせるのである。

 マッチド・ペア方式による場合には、最初に財務制限条項の存在会社をピックアップするが、その際には、ピックアップの規準を設定し、その規準を満たす会社を洩れなく拾い上げる。次に、ピックアップされた会社とペアになる不存在会社を、規模、年度、業種などを揃えて選びだす。2群のペア・サンプルは、同一規準によって選択された会社によって構成されており、サンプル・サイズも同数になるのが原則である。

 2.2.2 サンプル会社の検索

 サンプルとなる会社は日本の上場会社であるが、そのサンプル選択規準は、ここでは次のように定められている。

 @ 日本のすべての上場会社を調査対象とし、取引所の別、一部二部の別を問わない。ただし金融・証券・保険を除外するほか、規制を受けている交通、電力、ガスの会社を除く。

 A 2003年1月-12月決算会社を調査対象とする。上場廃止、合併、決算期変更などにより会計期間が1年未満になっている会社は除外する。

 B 財務制限条項で約定されるのはほとんどが個別ベースの会計数値だという点を考慮して、分析するデータは個別財務諸表の会計数値とする。

 C 財務制限条項は有利子負債を負う会社にのみかかわりがあるので、有利子負債がプラスの会社を調査対象とする。なお、有利子負債とは借入金(短期借入金、長期借入金、1年未満の長期借入金)と社債(1年未満の社債を含む)の合計を指す。

 サンプル会社の選定はデータベース検索によることにし、「財務制限条項」をキーワードにして、たとえば2003年1月-12月という期間を指定し、有価証券報告書を検索する。日本における利用可能なデータベースとしては、EDINETのほか、eol、NEXT有報革命などがあるが、ここではNEXT有報革命によっている。 「財務制限条項」という用語は、連結財務諸表、個別財務諸表、中間財務諸表においてだけでなく、ゴーイング・コンサーン注記、監査報告書などでも使われるので、ヒットしたすべてのケースを出力させたうえで、先に列記した選択規準に合致するケースだけを拾い出す。そのうえで個々の事例を点検することになるが、その際、次のような違いが重要である。

 @ 財務制限条項のタイプは多様である。追加借入制限、配当制限のほかに、各種の意思決定制限が取り決められている。

 A 財務制限条項には肯定的制限条項否定的制限条項の別があり、肯定的制限条項では、運転資本、純資産(資本)などを一定水準以上に「もつ」ことが要求されるのに、否定的制限条項では、負債などを一定水準以上に「もたない」ことが要求される。

 B 財務制限条項には会計ベースのものと非会計ベースのものがあり、後者の例としては合併制限、担保提供制限などがある。非会計ベースの財務制限条項は会計数値を歪めようとするインセンティブへの関連が薄いとみられている。

 C 財務制限条項につき、すでに条項違反(violation)が発生している場合がある。条項違反が発生している場合でも、貸し手(銀行)との再交渉(renegotiation)を経て一時棚上げ(waiver)となっていれば、会社は事業を継続しているが、事実上、破綻処理の私的整理のステップにすすんでいることがある。この場合には銀行主導のもとで再建中のことが多いが、再建に失敗して、法的整理の手続きがすすめられていることもある。いずれのケースもゴーイング・コンサーン注記事項となり、監査意見書でも特別の言及がなされている。

 データベース検索でヒットした会社については、調査表を作成し、1件ごとにこれらの点を詳細に記録する。そして、サンプルとして採択する会社を選定することになるが、この場合にも客観的なサンプル選択規準の設定が重要である。たとえば、会計ベースの財務制限条項に限定する一方で、条項抵触会社を除外するのも1つのやり方である。こうした綿密な作業によってサンプル数が、たとえば60社に確定したとすれば、このサンプル選択のプロセスを第1表(省略)に要約し、そしてその産業別構成を第2表(省略)としてまとめる。これらの表は単に備忘メモとして作成されるのではなく、論文の中に掲載し、説明するための準備である。

 2.2.3 ペア・サンプル会社の選択

 サンプル会社の選択が完了すると、次にそのサンプル会社p社とペアにされるq社を選び、1対1に組み合わせなければならない。この組合せにあたっては、同一年度、同一産業、類似規模によるマッチングを行う。

 まず、サンプルのp社が属する産業(業界)の証券コード(4桁の整数)をたしかめ、その前半2桁の数字をキーにして、「会社四季報」とか「日経会社情報」などによって、証券コード頭2字が等しいすべての上場会社を洩らさずリストアップする。このリストアップは「日経NEEDS」などの汎用データベースによると、ミスが避けられるだけでなく、時間が大幅に節約される。

 ペア・サンプルについても、サンプルと同じ抽出規準の@〜Cが適用されるから、たとえば上場廃止、合併などにより決算月が12以下となっている会社を除去し、有利子負債がプラスの会社だけを残す。そして、財務制限条項が不存在であることをまず確認し、同一産業同一年度の会社グループの中から、p社の資産合計に近似の資産合計をもつ会社を1社だけ手作業で選び出し、この会社をペア・サンプルとする。各産業ごとの作業をすべての産業に拡げると、最後にはP会社群とQ会社群の2群が編成され、いずれもサンプル・サイズが60となる。


[つづく] ⇒Chapter 3



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代表 岡部 孝好