実証会計学のてほどき

発生処理高による検証のすすめ方
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by 岡部 孝好

イントロダクション目次

Chapter 1 (Part 1)Chapter 1 (Part 2)Chapter 2Chapter 3Chapter 4Chapter 5Chapter 6

 裁量行動の検証と発生処理高(Part 1)


1.1 会計利益と発生処理高


 1.1.1 発生処理高とは何か

 自分を有利にするという意図(利己心)にもとづき、他人にウソをつくことを機会主義的行動(opportunism)という。経営者が 機会主義的動機にもとづいて、外部に公表する会計数値を「操作」することを、実証会計学では裁量的会計行動 (discretional accounting behavior)と呼んでいる。経営者がこの裁量行動を選択するにあたり、投資者が最もよく利用する会計数値 をターゲットにするという点に、疑いの余地はありえない。投資者 の意思決定に影響力を発揮するのが裁量行動の狙いなのに、投資者が使いもしない会計数値を苦労して歪めるというのは、合理的な経営者行動とはいえないからで ある。投資者の意思決定に最も大きな影響を及ぼすのが当期純利益(net income: NI)であるかぎり、経営者が裁量行動のターゲットにNIを選ぶのは、当然の結果である。

 企業におけるNIの測定においは、期中取引にもとづき営業活動によるキャッシュフロー (cash flows from operation: CFO)がまず帳簿に記録され、そして期末に発生主義の会計手続きによりCFOの 記録に対して発生主義の修正処理(いわゆる決算処理)が施されている。取引によって引き起こされた キャッシュフローが事実に即して記録されているとすれば、CFOの記録のステップにおいて会計数値が歪曲されるのは希なことだといえよう。裁量行動によ って歪められやすいのは、CFOの記録というよりも、発生主義による修正処理の方である[注]

[注] 経営者の裁量行動によって歪曲されるのが、営業活動によるキャッシュフローではなく発生主義の会計処理によるものだという見方は、単なる単純化である。最近では この見方を疑問視する論者が多く、CFOそのものが操作されているという前提によるのがふつうになってきている。CFOを歪曲するには事業活動を変更し、取引そのものを動かすことが必要になるので、 このタイプの裁量行動は「実体的裁量行動」(real discrertion)とかキャッシュフロー裁量行動(cash flow discretion)と呼ばれ、会計処理に注目する「会計的裁量行動」(accounting discretion)に対比されている。

 事業活動そのものが歪められていないというこの見方による場合には、CFOの生成と記録には歪曲がないとひとまず仮定 して、発生主義の会計処理の方に目を向ける。次の(1)式によりNIからCFOを差し引くと、総発生処理高 (total accruals: TACC)――総発生高 ともいう――が分離されるが、実証会計学において、裁量的会計行動の疑いが濃いとされるのはTACCである。

  TACC it = NI itCFO it                     (1)

 ここで TACC it:企業i、期間tにおける総発生処理高

     NI it:企業i、期間tにおける当期純利益

     CFO it:企業i、期間tにおける営業活動によるキャッシュフロー


 1.1.2 裁量的発生処理高

 経営者の裁量的会計行動によって「操作」されている、と強く疑われるのが総発生処理高TACCである。そこで、実証分析においては、 まずTACCにターゲットを定めて、このTACCがどうのように「歪曲」されているかを 証拠づけようとする例が多い。裁量行動によって「汚されている」のがTACCなのだから、TACCのデータを集めたうえで、その統計処理を通じて「汚れの程度」を解明しようとするわけである。

 TACCに直接に目を向けるこのアプローチは明快なものの見方によっており、分析手順もきわめて簡明である。サンプルとなる会社のTACCを測定し、何らかの基準に照らしてその大小の程度を判断するだけでよい。このため、裁量的会計行動の経験的分析においては、TACCの統計量をチェックする手順は不可欠だとされている。

 しかし、「汚されている」のはTACCだとして、その統計量の検討だけをもって実証分析を締め括るのは、あまりにも粗雑にすぎるという見方がいまでは支配的である。発生主義の会計手続きには決まり切った会計処理も少なくなく、これらの会計処理には恣意性が介入する余地がほとんどない。とすれば、裁量行動によって「汚されている」のは、TACCの一部であって、全部ではないということになる。TACCの一部にしか「汚れ」がないのに、TACCの全部を漠然と捉えて、その統計量を調べるのは、必要な中間手順ではあっても、最終的な手順にはなりえない。さらに分析方法を精密化させることが必要とされる。

 TACCというのが総額であり、その中には、経営者の裁量行動によって操作されているものと、操作されていないものとが混在している可能性が大きい。もしそうであれば、TACCの中身をさらに精査して、クリーンな部分を取り除き、「汚れている」部分だけを選りすぐる手順が不可欠になる。TACCのクリーンな部分は非裁量的発生処理高(non-discretional accruals: NACC)と、また「汚れている」部分は裁量的発生処理高(discretional accruals: DACC)と呼ばれているが、何らかの方法によってTACCNACCDACCとに切り分けることが必要とされる。

 NACCDACCとを正確に分離するのは容易なことではないが、仮にこれが可能であるとすれば、次の(2)式のようにTACCからNACCを差し引くと、DACCが分離される。

   DACC it = TACC it − NACC it                  (2)

 ここで、DACC it:企業i、期間tにおける裁量的発生処理高

     TACC it:企業i、期間tにおける総発生処理高

     NACC it:企業i、期間tにおける非裁量的発生処理高

 1.1.3 会計利益の三構成要素モデル

 上の(1)式に(2)式を代入すると、次の(3)式が導かれる。この(3)式は、純利益NIが三つの利益の構成要素(components of earnings)から成り立っていることを示しており、三構成要素モデル(three components model)と呼ばれている。

   NI it = CFO it + NACC it + DACC it             (3)

 ここで、NI it:企業i、期間tにおける当期純利益

     CFO it:企業i、期間tにおける営業活動によるキャッシュフロー

     NACC it:企業i、期間tにおける非裁量的発生処理高

     DACC it:企業i、期間tにおける裁量的発生処理高

 実証会計学における関心の焦点は、三構成要素モデルのDACCである。しかし、このDACCを捕捉するには、その前に、TACCNACCとがいくらなのかを掴んでおくことが不可欠である。そこで、裁量行動の経験的検証にあたっては、次の順序で分析作業がすすめられる。

 @ NICFOのデータにもとづいて、まずTACCを測定する。

 A 何らかの期待モデルによってNACCを予測する。

 B TACCからNACCを控除して、DACCを分離する。

 C DACCに対して統計的分析を加える。

 ここで注意を要するのは、@〜Bのプロセスは減算ばかりだという点である。もともとNIというのは収益から費用を差し引いた結果であるが、このNIから(1)式によりCFOを差し引き、次に(2)式によりTACCからNACCを差し引くと、最終的にDACCが残される。これらの一連の減算プロセスで、どこかの減算処理が不正確であれば、その結果はすべてDACCに皺寄せされる。DACCが測定誤差(measurement error)の問題にいつも悩まされ、そのノイズの除去が重要な課題になる理由は、ここにある。

 1.1.4 三構成要素モデルによる裁量行動の検証

 三構成要素モデルにおいては、(3)式右辺第1項のCFOも第2項のNACCも、ともにクリーンである。したがって2つの和(=CFONACC)もクリーンで、まったく手垢がつけられていない。裁量行動によって「汚されている」のは、右辺第3項のDACCだけである。そこで、もし経営者が裁量行動をまったく選択していない場合には、十分に大きいサイズのサンプルについて総合的な趨勢を調べてみると、DACCはゼロになっているであろう。DACCがゼロであれば、(3)式の右辺のDACCの項そのものが落ちて、NICFONACCという形に単純化される。最も望ましいのは裁量行動が選択されないことだから、理想的なのはDACCがゼロのこの状況である。

 しかし、現実においては経営者が裁量行動を選択していて、純利益NIを歪曲している。三構成要素モデルによると、その歪曲部分はすべてがDACCに集約されているはずだから、裁量行動が存在する場合には、DACCはプラスかマイナスの値になって、ゼロにはならない。この点をたしかめるには、実際にデータを掻き集めてきて、統計的手法の援用によりDACCがゼロかどうかを調べてみるほかはない。この確認が経験的検証であるが、その場合には、十分に大きいサンプル・サイズのデータを集めてきて、DACCに統計処理を施す。統計処理の結果として、DACCの中心的傾向(平均、メディアン)が非ゼロらしいという確率的な推論が導ければ、この検証は裁量行動が行われていることの経験的な証拠になる。このように裁量行動の有無を検出するだけが目的なのであれば、DACCはプラスでもマイナスでもよいので、両側検定(two-tail test)になる。

 裁量行動のパターンとして利益増加型(income-increasing)と利益減少型(income-decreasing)が区別されることがあるが、利益増加型の場合にはDACCはプラスになるし、利益減少型の場合にはマイナスになる。そこで、仮説の構築において、経営者が利益を膨らませるような裁量行動を選択していると予測する場合には、DACCの中心的傾向がプラス側に振れているかどうかを調べればよい。また、経営者が利益を削減する裁量行動を選択していると想定するのなら、DACCは平均的にみてマイナスの値となっているかどうかをテストする。これらの場合には、プラスかマイナスのいずれかが問題なので、統計的手順は片側検定(one-tail test)になる。

 1.1.5 発生処理高による実証分析の手順

 経営者により裁量的会計行動が、いったいどうように選択されているかに科学的な光を当てるのが、実証分析の狙いである。そこで、まず分析の 対象となる1群の会社をサンプルに選び、そのサンプルの会社群の財務諸表からNICFOを計算し、 次に差額のTACCを測定する。マッチド・ペア方式(matched-pairs design)という標準的手順による場合には、このサンプルの抽出に付随して、 同数のペア・サンプルを選定し、同様にして、NICFO、およびTACCを計算する。これで2つのグループのTACCが揃うので、2群のTACCの統計量を比較し て、裁量行動の有無を検定する。

 このようなやり方による裁量行動の分析は、DACCに直接に光をあてるというよりも、TACCという大まかな変数を取り扱っているにすぎない[注]。 しかし、クリーンなNACCを取り除く前のTACCに目を向けているとしても、裁量的会計行動についてのおよその傾向を調べるという点では大きな意味がある。そこで、2群の TACCの中心的傾向を対比して、統計的に有意な差があるのかどうかを調べる。TACCの統計量を比較することが、第1ステップの重要な手順をなしている。究極の分析ターゲットがDACCだとしても、最初から いきなりDACCに向けて突きすすむというのは、可能なことでも賢明なことでもないのである。

[注] 非裁量的発生処理高NACCが仮にゼロだと仮定してみれば、(2)におけるDACCTACCに等しくなるから、この第1ステップで実証分析の 目的は達成される。NACCがゼロだとして、TACCをそのままDACCとみなすこのやり方はDeAngelo[1988]のモデルとして広く知られているところである。

 この第1ステップの分析が終わると、次の第2ステップへすすみ、分析対象はTACCからDACCへと変化する。DACCを分離するにはクリーンなNACCを取り除くことが不可欠 となるから、やや大がかりな統計的手法と会計データの導入によって、実証分析のすすめ方を高度化する。この第2ステップでは、クロスセクション・ジョーンズ・モデルによってま ずNACCを予測する。これによってNACCの期待値が判明すれば、次には DACCを測定し、DACCの2群の統計量の差をテストすることになる。第1ステップから第2ステップの手順の概要を列記すると、次のようである。

 (1)第1ステップ

  @ 統計学の原則に厳密にしたがって、サンプルとなる会社群を選定する。

  A マッチド・ペア方式によって、同数のペア・サンプルを選定する。

  B ペアとされた2群の会社の財務諸表にアクセスして、必要な会計データを入手する。

  C 全サンプルの会社属性(プロフィール情報)を明らかにするために、収益性、流動性などについての記述統計量を計算し、2群の統計量を比較する。

  D 2群の会社のNICFOTACCを測定し、それぞれの統計量を比較する。

 (2)第2ステップ

  @ NACCの「期待モデル」を選定し、必要な会計データの種類と範囲を確定する。

  A ペアとされた2群の会社の財務諸表にアクセスして、会計データを再度入手する。

  B 回帰分析によって回帰係数の値を推計する。

  C 回帰係数の値を使って、ペアとされた2群の会社のNACCを予測する。

  D すべてのサンプルにつき、TACCからNACCを控除し、DACCを分離する。

  E 2群の会社につきDACCの統計量を比較する。

 これら2つの検証ステップにおいて、第1ステップは予備的なものであり、第2ステップの基礎となる。したがって、サンプル企業とかその会社属性データなどは2つのステップで共有 されるが、第2ステップにおいて、新しい分析手法と会計データが追加される点には特に注意が必要である。第2ステップではNACCを予測する目的で重回帰 モデルが 導入されるが、この重回帰分析の係数を推計するためには、新たなデータが必要になってくる。このため、第2ステップになって改めて入手する会計データの範囲は大幅に拡がるし、 またその統計処理方法も複雑になってくる。


[つづく] ⇒Chapter 1 (Part 2)



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