A Message from Webmaster

 to New Version(AUGUST 20, 2008)




2008年08月版へのメッセージ


OBE Accounting Research Lab



Back Numbers [1995年10月 ラボ開設のご挨拶][ Webmasterからのメッセージのバックナンバー]


◆もうすぐ秋◆

  ことしは梅雨期が短く、猛烈に暑い夏が、突然にやってきました。7月中旬の祇園祭のころには、まだ空 の片隅に薄雲が拡がっていて、帰宅の時間を少し遅らせるだけで、涼しい川風を受けながら、京の街を歩けた ものでした。その後は、カンカン照り毎日で、舗道のうえで太陽を浴びと、スルメイカになってしまいそ うな厳しさでした。しかし、大文字の火祭りをすぎると、さすがに風が違ってきます。空も澄んできまし たので、もうそこまで秋がきているのかもしれません。残暑のみぎりですが、みなさん、ご機嫌いかがで しょうか(写真のさるすべりは京都御所にて、2007.08.28夕刻に撮影)。

  石油1バレルが140ドル台まで値上がりし、いまも、ガソリンは1リットル当たり180台の値札が 風に揺れています。「高すぎる」、「むちゃくちゃヤ」、「えらいこっちゃ」といった声は、 もう聴こえてこなくなってきましたが、みなさんの腹の虫がおさまったというわけではなさそう です。ところで、自動販売機で売られているふつうの水が120円というのは、あれでいいの でしょうか。300CCのペットボトル1本で120円だとすると、1リットルでは360円を超えている勘定です。

  ガソリンは中東から運んできて、精製して1リットル180円ですが、水はその辺の井戸から汲み 上げただけで1リットル360円です。病菌とか不純物が混ざっていなければ、水は川を流れてい るものと同じ品質のもので、特に加工費用が嵩むというわけではありません。昔は、鴨川の水 でも、琵琶湖疏水の水でも、そのまま飲めていたのです。その水がガソリンの2倍というのは、 何度考えても、納得できないことです。

  車なしに、わたしたちの生活はなりたたないのですから、ガソリンの値上がりに腹が立つと いうのは理解できることです。日本の野菜は温室で栽培されますから、野菜は石油で作られて いるようなものです。漁船のエンジンは大量のガソリンをガブ飲みするみたいですから、魚はガソ リンで捕まえているようなものです。森林の伐採では巨大な重機械がうなりをあげていますか ら、国産の材木さえ、石油の産物です。工業、運輸業はもとよりとして、農林漁業でも、石油 は決定的に重要な素材ですから、その値上がりはたしかに重大な関心事です。しかし、水はあ まりにも高すぎます。水なしには、わたしたちの生活だけでなく、農林漁業も、工業も、すべて が立ち行かなくなるのです。水の値段は、せめてガソリン以下であるべきだと思うのですが、 これはむちゃな考えでしょうか。

◆「節季払い」◆

  日本のビジネスでは、B2BだけでなくB2Cでも、「つけ」をよく利用します。「つけ」という のは、付帳(つけちょう)の略称で、売り手が買い手に提供する後日払いの信用のことです。 買い手が売り手に提供する代金先渡しの信用は各国にみられる慣行で、仲買人が手工業者などに 資金を前渡しするタイプのものが一般的です。これに対して、売り手から買い手への信用が、 日本では、江戸中期からすでに日常化していたのです。それが、いまでも、続いていて、 「五十日払い(ごとうびばらい)」などの商慣行として、残っているわけです。後日払 いの信用ですから、いつか代金の決済が必要になりますが、そのひとつが「節季払い(せっきばらい)」という慣行です。

  節季払いというのは、盆、暮れを代金決済日とする江戸時代からの日本独特のビジネス慣行です。 盆(ぼん:8月16日)、暮れ(くれ:12月31日)にだけ、年2回、つけを清算します。これは、盆 と暮れ以外には代金を支払わず、つけにしておけるということを意味 しますから、毎日の生活は、キャッシュレスの気楽なものであった可能性もあります。しかし、 つけが溜まる一方というのは、気重なことで、不健全なビジネス慣行ともいえそうです。江戸時代の話 (小説、落語、講談など)ではよく「借金苦」のことが話題にのぼりますが、その原因の1つは この信用制度の広がりにあったみてまちがいなさそうです。

 会計ルールの国際的コンバージェンスがすすんできて いますが、各国におけるビジネス慣行の違いにはぜんぜん注意が払われていません。会計ルールを同じ にするというのは、人種の違いにかかわりなく同じ服を着ましょうというのと同じことです。あまりむつ かしいことではないのです。しかし、ビジネス慣行の違いは残ったままですので、いくらコンバージェン スがすすんでも、問題は根本的には解決されていないのです。みなが同じ服を着ても、人種の違いという 問題は解決されていないことになります。

◆ばね指◆

  手の指を伸ばしたり、曲げたりできるのは、スジの働きによっており、スジを引っ張ると 指が曲がり、スジを緩めると指が伸びます。ヒモであやつる人形の手と同じらしい。人 間の場合、指のスジのことを腱(けん)と呼んでいる。

  腱を上下に引っ張るときに、腱がヨコ脇に振れては指がちゃんと動かない。そ こで、腱をガイド穴の中に通して、ヨコにぶれさせない仕組みになっています。このガイ ド穴のことを「腱鞘」(けんしょう)という。腱のサヤだから、刀のサヤのような役割 らしい。腱鞘は十分にゆったりしていて、腱がスカスカに通る余裕をもっていなければ ならない。

  何かの理由で、腱が太くなる(あるいはサヤが狭くなる)と、腱が腱鞘に引っ掛って、 通過しずらくなります。指を曲げようとしても、腱が腱鞘にくっついた状態では、指は立っ たままです。さらに力を入れると、グキッと音がして、カギ型に急に指が折れ曲がります。 痛い。次に折れた指を伸ばそうとしても、カギ型のままで伸びない。他方の手で引っ張 って伸ばすと、グキッと音がして、指がビンと直立します。痛い。ばね仕掛けのように、 指がペコン、ペコンと大げさな動きをするのです。

  これが「ばね指」(弾発指)で、腱鞘炎の一種らしい。春先から左手の親指が自由に動 かせなくなり、湿布によってとりあえずを凌いだりしていました。利き腕は右だから、不自由 といっても、シャツのボタンが留めにくい、味噌汁の椀が抱えにくい、といった程度の ことです。自己診断で、親指の軟骨の変形だと思っていたから、へたをすると大手術 になりそうで、こわいから、医者にも相談せずに、そのままにしていました。

  7月になって、思い切って外科医の診断を受けたところ、「これはばね指」と即 刻病名を知らされ、3-4回、形ばかりの注射があった。そして、「切るしかありません 」とのご宣告。夏休み入りを待って、7/25に切ってもらったという次第ですが、おかげ さまで楽になりました。最近流行っていて、幼児にもある病気らしいので、みなさまも ご注意されたい。

 

◆株主優待引当金(未完)◆

  会社が純利益を稼ぐと、それはすべてが株主に帰属します。会社は株主のもので、株主が所有者 だから当然のことです。しかし、会社の純利益はそのまま株主のポケットに入るというわけでは ありません。会社の財産と株主個人の財産は区別されていますので、一定の手順を踏んで、会社の 純利益を個人の財産に移します。所定の手順を経て、会社の純利益が株主の個人財産に移転される と、それは「配当金」と呼ばれることになります。

 

◆水島先生ご生誕の地、中津へ◆

 神戸大学の発祥は神戸高商から。東京高商(現一橋大学)につづく、2校 目の国立の高商だったのです。創立時には、大阪高商(現大阪市立大学)との烈しい競争になって、国会の決戦投票にお いて1票差というきわどい勝ち方をしたのは有名な話です。その神戸高商の初代の校長が水島テツヤ先生です(ワープロ でお名前の漢字がでてきません。お許しください。写真で字をご覧いただきたいと思います)。六甲台の本館前に、立派 な胸像が立っていますので、およそのイメージをお持ちの方は多いだろうと思われます。

 ご略歴もご紹介する余裕がありませんが、東京高商ご卒業後、長く実務 界にあられ、神戸高商の創立にご尽力されたとのことです。神戸高商の開校とともに校長としてご活躍され、ビジネス教育 という面でも、大いに辣腕を揮われたそうです。

 水島先生のご生誕の地が中津とは、かねがね耳にしていたことです。 この2008年夏、その大分県中津市を訪れる機会があり、さっそくそのお宅を捜しにかかりました。ようやくにして分かっ たことは、すでにお宅はないものの、記念碑が残されているという点です。さっそく城下の武家屋敷の中の路地を走り回 って、狭い公園にたしかに記念碑を見つけました。立派なものです。

 この記念碑のヘッドにあるマーキュリーのシンボルは、わたしの記憶 では、一橋大学の校章に似すぎていて、神戸高商のものとはとても思えませんでした。この点はどうにも気分がすっきり しませんでしたが、水島先生のご生誕の地にはぜひ一度、と考えていただけに、この訪問は感動ものでした。

 大分県中津市といえば、福沢諭吉の「聖地」でもあります。諭吉は 大阪の中津藩邸で生まれましたが、幼少の折に父親を失い、母親とともに中津に帰り、少年時代をこの地ですごしまし た。20歳で大志を抱いて長崎に遊学に出て、それから大阪の適塾に学び、その後は維新後の東京で大活躍をいたしまし た。中津という狭いムラがよほどイヤになっていたらしく、中津を出るとき峠のうえで、中津に向かってツバを吐いた という有名な話が残っています。

 中津市には、福沢諭吉記念館が出来ていて、その一角には旧邸が復元 されています。いまどきの住宅に比べるとずいぶん狭いものですが、昔のひとは、このような住宅環境でも頑張れたので す。土蔵も残されていますが、その中は夏には涼しく、勉強によく使われていたと書かれていました。

 諭吉は慶応義塾大学の創設者ですから、中津は慶応大学の聖地です。 諭吉の学問的貢献は多数の領域に及びますが、西洋流の複式簿記の技法を「帳合乃法」(ちょうあいのほう)として、 日本に最初に紹介したのも諭吉です。この意味では、中津は会計学の聖地でもあるのです。

 

◆物価狂乱を控えての後入先出法の廃止(再)◆

 石油、石炭、ウランなどのエネルギー関係資源の価格が 高騰してきていますが、これに歩調を合わせて、トウモロコシ、麦、大豆、米などの穀物の相場が騰貴しは じめています。鉄鋼、乳製品、紙などにも値上げの嵐は拡がってきていますので、ここ1年先までには、生 活物資が大幅に高くなり、物価問題が最優先の課題として浮上してくるのは、確実なことです。

 物価騰貴に対処する会計システムには多数のものがありま すが、その中で最も身近なものは「後入先出法」(あといれさきだしほう)です。英語では、Last-in Fist-out といわれ、LIFO(ライホ)と略称されています。棚卸資産、つまり売り物の製商品だけに適用される会計方法で す。

 物価が傾向的に上昇する場合には、商品(製品)の仕入価格 (単価)はだんだんと高騰し、後から仕入れたもの価格が前に仕入れたもの価格より高くなります。後入先出法 は、後から仕入れた高い商品が先に売れたとみなす会計処理方法ですから、販売した商品の元値(売上原価)が 膨らみ、利幅(粗マージン)を圧迫します。つまり、後入先出法によると、物価騰貴時には、高い原価の商品を 先に売ったと処理して、費用を増やし、利益を減らすのです。日本企業においては、平均的にみて粗利益率は15% 程度ですから、それが3ー5%も下がって、大会社では数100億円も利益が少なく表示されることになるのです。

 物価騰貴時には、仕入価格の上昇と販売価格の引上げとが追い かけっこをしていて、時間のズレをともないながら、両方が上方に向かって急激に動いていきます。2007年から 2008年にかけてのガソリンの値動きが、そのよい例です。この状況において、先入先出法(後入先出法とは逆の 流れを想定)によると、高い売値に対して、古い、安い仕入値が割り当てられますので、利幅(粗マージン)が 大きくなり、大儲けしている印象を受けます。しかし、この大きな利益は物価騰貴による水膨れによるものが大 部分で、一種のバブルです。事実、商品を販売した後に在庫を補充しようとすると、仕入値が高騰してきいるた めに、補充ができないということになりがちです。この状況において、後入先出法によると、水膨れが圧縮され、 次の仕入れに難渋するといった事態が避けられるのです。後入先出法の場合には、新しい、高い仕入価格が真っ先 に費用とされますので、商品を販売した時にには、最新の原価で投資を回収し、この回収した資金によって、次の 仕入れをすることが可能になるのです。

 1930年代後半といえば第二次世界大戦前のころです。このころ 石油産業というのは新興産業でししたが、急激な物価変動に悩んでいたこの石油産業では、基礎有高法(恒常有高 法ともいう)という新しい会計方法を考案し、物価変動の影響を減殺しようと試みました。しかし、この基礎有高 法は、ごく一部ではありますが、時価評価法を利用しますので、取得原価基準によるオーソドックススな会計方法 には属さないとして、一般に認められた会計原則(GAAP)から排除されてしまいました。後入先出法というのは基礎 有高法の変種の1つといえますので、この方法の採用も多くの議論を呼び、特に税務上の正当な会計方法として認 められるかどうかについては、長い間の法廷争議となったという経緯があります。1940年代になって、後入先出法 は、裁判所の判決によって、時価評価法をまったく使わない取得原価会計の1方法と認定され、GAAPの範囲内にあ る会計方法として白日のもとに出てきたのです。それ以来、後入先出法は世界中の各国において、製商品の払出原 価を決定する方法として、広く受け入れられてきました。

◆次回の更新◆

 みなさまも、ご健康にて、ますますご活躍ください。次回の更新は 11月の予定をしています。ごきげんよう。さようなら。


2008.8.20

OBENET

代表 岡部 孝好

okabe@obenet.jp