A Message from Webmaster

 to New Version(April 1, 2007)




2007年04月版へのメッセージ


OBE Accounting Research Lab



Back Numbers [1995年10月 ラボ開設のご挨拶][ Webmasterからのメッセージのバックナンバー]


◆花の春◆

 ことしは雪の降らない暖かい冬の日々でしたから、 卒業式には花吹雪の下で記念写真を撮ることになるのかと思っていましたが、桜の満開は4月にずれこみ、 入学式となってもまだ五分咲きの状況です。花の春はこれからが本番ですが、みなさんご機嫌いかがでし ょうか(下のしだれ桜は京都の鴨川公園で、2007年3月撮影)

 4月はまた学期初めで、大学ではいつ もながらの繁忙なスケジュールに追われ、あわただしい毎日となっています。しかし、 新入生だけでなく、在学生もスタッフもまた、新学期には目を輝かしていますので、この 季節のキャンパスは活気に満ちて、賑やかです。みな期待に胸を膨らませいるからでしょう。

 わたしもこの4月に同社大学商学部に 移籍し、御所に隣接する今出川のキャンパスに研究室を移しました。2年前に大学を移ったと き、「シンマイですので・・・」とご挨拶申し上げたところ、古い友人に「”ココマイ”の間違いで しょう」と耳打ちされたのを想い出しますが、やはり新しい環境ではいくばくかの緊張と高揚を感 じます。新入生にまけないように、フレッシュな気持ちで、せい一杯、やっていきたいと思って います。

◆リレーションシップ・バンキング◆

 銀行はお金を貸すのがビジネスです。お 金を借りてくれなければ、銀行は商売にならない。しかし、貸したお金(と利子)を返して もらわないことには、銀行のビジネスは成り立たない。貸したお金が返ってこないというこ とは、現金を贈与しているのと同じことになってしまう。

 銀行はお金を返してくれる人だけに、お金 を貸したい。銀行はお金を返さない人に、お金を貸したくない。お金を返してもらうのに、テ マ、ヒマのかかる人にも、貸したくない。テマ、ヒマがかかると、コスト高になって、採算が 合わない(右の彼岸桜は同志社大今出川キャンパスで、2007年3月撮影)

 しかし、銀行には大きな悩みの種がありま す。誰がお金を返してくれる人なのか、誰がお金を返さない人なのかが分からないのです。誰 もが「必ず返します」といいますが、それは口先だけのことです。借りた金の使途、その事業 の先行きなどを訊いても、答えは当てにならない。銀行からみて、誰が「よい顧客」(good customer)で、 誰が「わるい顧客」(bad customer)なのかが見分けがつかない。銀行は情報不足の状況におか れている(顧客の側では自分がいずれかを知っているから、正確にいうと情報の非対称性がある)。

 では、この情報不足に、銀行はどのように対 処しているのだろうか。銀行の情報の対処の仕方には、2つがあることが知られています。まず 第1は、会計数値、格付けなど市場に出回る情報を利用して情報不足を補い、これらの数値基準 によって「よい顧客」だけに貸付けを行う方式です。この方式は、一般にトランザクション・バ ンキング(transaction banking)と呼ばれています。透明性の高い高度な市場における、大規模な 金融取引はこのトランザクション・バンキングによっています(下の夜桜は大阪城西の丸で、2007年4月撮影)

 情報不足の銀行における第2のビジネスのやり 方は、リレーションシップ・バンキング(relationship banking)です。これは、銀行とその顧客 との間の濃密な「関係」を利用して情報不足を補い、「よい顧客」を選別して、その顧客だけに 貸し出しを行う方式です。互いに顔のみえる相対型(あいたいがた)の貸付取引であり、過去の 実績などのほかに、人柄などの個人的な属性も考慮されます。

 わが国では古くから、銀行とその顧客との間で は、「長いお付き合い」が大事といわれてきました。リレーションシップ・バンキングはこの考 え方によっており、「長いお付き合い」が銀行サイドに顧客に関する良質な情報を蓄積させ、こ の顧客情報の利用が「よい顧客」の選別を効果的にしているとみています(下の夜桜は大阪城千貫楼前、2007年4月撮影)。。

 リレーションシップ・バンキングは旧式なやり 方であり、もはや時代遅れという見方もないわけではありません。しかし、最近では、この見方 が変わってきて、リレーションシップ・バンキングの見直しがはじまっています。トランザクシ ョン・バンキングは先進的で、スマートにみえるが、銀行はそれだけではビジネスをやっていけ ないことがはっきりしてきたのです。

[参考文献]滝川好夫、「リレーションシップ・バンキングの経済理論:1つのサーベイ」、 『神戸大学経済学研究年報』第53巻(2006年2月)、41-64頁。

◆ビッグ・バスとリストラ損失引当金◆

 会社の事業がうまくいかず、あちこちに「含み損」 がある場合には、大規模なリストラを掛けて、思い切って損失を表に吐き出し、会社の建て直しを図 ることがあります。この大掛かりな損失の吐き出しは、大タライに湯を満たして、徹底的にアカ落し をすることにたとえて、英語ではビッグ・バス(big bath)といっています。「デッキを洗う」、 「膿を出す」、「身を軽くする」などといった表現も日常的によく使われていますが、会計学では、 ビッグ・バスが標準的な用語になっています。日産自動車のゴーン社長がこのビッグ・バスを成功さ せてから、わが国でもこの戦略はめずらしい手ではなくなっています。

 事業がうまくいってないときには、損益計算書の利 益数値は赤字になっています。この状況においてビッグ・バスを仕掛けると、巨額の特別損失が表面化 し、赤字が膨らんで、利益数値は大幅なマイナスになります。このことから、ビッグ・バスは、もとも と赤字になる予定の利益数値を、さらにいっそう押し下げることだと定義されることもあります。いず れにしても、利益数値の赤字がとほもなく大きくなると、市場にはショックが拡がり、株価が暴落した り、融資が止まることになりかねません。ビッグ・バスは、わるくすると会社を破綻させてしまうので す。この意味で、ビッグ・バスは、リスクの高い経営戦略だといえます。病人にたとえれば、内科的治 療をあきらめて、大手術を受けるようなものなのですから。

 ビッグ・バスは大胆な事業の再構築ですが、危険が 大きい。そこで、もっと早いステップにおいて、もっと穏やかな対策を講じようとする動きが、最近で は拡がってきています。リストラにはまだ踏み切っていないものの、いずれはリストラが避けられない 見通しになりますと、その時点においてすでに発生している「含み損」を、とりあえず当期の損失とし て認識しておくのです。この方法による場合には、リストラはまだ実施していなから、将来のリストラ 損失を見込計上することになります。会計処理ではこのような損失の見込計上の場合には引当金を負債 として認識しますが、その引当金の名称としてはリストラ損失引当金などが使われます。実際には、事 業再構築引当金、事業構造改善引当金など、もっと穏やかな名称によることが多いわけですが(リストラ損失引当金の事例について はケーススタディをみられたい)。

 リストラ損失引当金は、将来にリストラを実施する 予定はあるが、現時点ではまだリストラは実施していない段階において設定されます。したがって、金 額もあまりにも巨額になる前に、リストラの損失が損益計算書にまえもって計上されます。時間の経過 とともに、リストラ損失が増えていくとすれば、毎期の増加額だけが、損益計算書の損失として認識さ れ、この追加分が引当金に積み上げられていきます。

 こうしてリストラ損失引当金が設定されている場合に は、実際にリストラを実施した期間においては、その引当金の取崩しが行われるだけとなり、リストラ損 失はもはや発生しないことになります。引当金の金額が不足する場合に、この不足分が損益計算書に損失 として計上されることはありますが、実際のリストラ時にその損失が認識されることはないのです。

 リストラ損失引当金は、将来のビッグ・バスのときに 表面化する損失を前取りするためのものです。このため、実際にビッグ・バスが行われたときには、たと え赤字でも、利益数値が大きく押し下げられることはないわけです。リストラ損失引当金を通じた事前の 対処によって、外部に公表される利益数値は平準化されており、株価、融資などへの悪影響も減殺される ことになります。

◆方丈[度量衡の話]◆

 長さの単位の1尺(しゃく)は30センチメートル(古い 単位では33センチかもしれない)。1丈(じょう)というのは10尺だから、3メートルという計算 になります。方丈(ほうじょう)というのは1丈四方の面積であり、3×3メートル、 つまり9平米の広さになります。畳敷きに換算すると、4畳半(=7.3平米)よりも広く、 6畳(=9.72平米)よりも狭い。

 鴨長明が出世競争に嫌気がさし、京都の伏見日野山に隠遁したとき、音羽山の 麓に結んだイオリ(庵)は方丈の広さのワンルームであった。「ゆく河の流れは絶えずして・・・」の『方丈記』(1212年、岩波文庫 30-100-1)によると、平屋の草葺のこのワンルームには、東側に3尺あまりのヒサシ(庇)が張り出していて、その下 に炊事用のカマドが築かれていた。 南側の音羽山に面してカケヒ(筧)によって岩の窪みに水が引かれていたが、 屋外にあったはずのトイレについては、その所在が明らかにされていない。 風呂は、当時は、なかったかもしれない。

 室内には、西南の端に仏具棚があった以外にはめぼしいものはなく、北壁に貼 られた仏像図の前に衝立が立っていたのと、西側の壁際に3つの籠が並べられていただ けであったらしい。西壁に琴と琵琶が立てかけられいたが、方丈のひと間は家具らしいものもなく、簡素な風 情であった。床は、南側だけが竹のスノコ敷きというから、残りは板張りであ ったのだろう。

 現代の学生が住むワンルーム・マンションでも、狭くとも、室内には玄関、押入れ、風 呂、トイレ、キッチンがあって、ダイニング・テーブル、TV、勉強机、ベッドを置く広 さがある。散歩の帰り道に近所の不動産屋の窓に貼られている図面を覗いてみたが、20平米前後というの が多く、16平米というのが一番狭い物件であった。1,000年前と現代とは比較できないこ とかもしれないが、9平米の方丈では、現在の学生たちはとても生活できないと、泣き出 すにちがいない。しかし、鴨長明は「一身を宿すに不足なし」といい切っている。

◆オープン価格制度への移行◆

 日本ではメーカーが、製造した商品・製品を消費者に直接に販売する例は少ない。メーカ ーが卸売り(問屋)にまず販売し、次に卸売りが小売りに販売し、最後に小売りが消費者 に販売する。卸売りが1段階だけのケースもあるが、卸売りが多段階になっていることも あって、菓子業界のように、一次卸(関西)、二次卸(大阪府)、三次卸(北摂)を経て、 ようやく小売り(近所の商店)に達することもある。なお、メーカーが子会社の販社をもって いるケースもあるが、この販社は卸売り(問屋)の役割を果たしている。

 メーカーも卸売りも、また小売りも、それぞれ独立の取引主体なのだから、それぞれの顧 客に売るか売らないか、いくらで売るかを自分自身で決めることができる。他人の指図を 受けることではない。メーカーから卸売りへの販売価格も、卸売りから小売りへの販売価格も、 また小売りから最終消費者への販売価格も、それぞれの当事者の間における交渉によっ て決められるものです。他人が指図してはならない、というのが決まりです(左と下の花は 大分県の森林に自生していた天然のえびね蘭。2006年5月撮影)

 メーカーが最終消費者にいたるまでのすべての流通ステップを取り仕切り、小売りが最終 消費者に販売する小売価格を「定価」として定めることがあります。この定価販売をメーカー が無理やりに強制するのは、他人の販売価格をメーカーが指図して、さらにこの指図に縛り つけることになりますから、法律(独禁法)に違反します。いわゆる再販売価格維持です。しかし、 メーカーでは、指図はしないとしても、「希望」は伝えてもよいことになっています。メーカーが卸 売りへの販売価格を決めるだけでなく、卸売りから小売りへの「希望卸価格」を設定し、さらに小売 りから消費者への「希望小売価格」を設定するわけです。これが「建値制」であり、流通の末端までの 値段が事前に決められてしまうことになります。

 このようにしてメーカーが希望小売価格を設定し、 小売りがこの希望小売価格で実際に販売すると、メーカー、卸売り、小売りがともに予定のマージンを 確保でき、思惑通りにビジネスが展開できることになります。たとえば、希望小売価格が¥100である場 合に、メーカーから卸売りへの卸価格が¥60、卸売りから小売りへの卸価格が¥80だとすれば、卸売りに も小売りにも¥20のマージンが落ちることになります。

 この建値制は流通の各段階におけるマージンを保証する ことになりますから、ビジネスを安定化させることはたしかです。しかし、実際にはリベート制が組み合わ されていますから、建値制の運営は簡単にはいかないのです。いま、仮に¥100の商品を10個売る小売りに も、1,000個売る小売りも1個あたりマージンが\20同じだとすれば、小売りにはそれなりの儲けがあるとし ても、強い販促のドライブはかからないことになります。そこで、大量に販売する1,000個以上を販売する 小売りを優遇することにして、1,000個以上を販売した小売りには、1個あたり¥10の報奨を渡すとしよう (あるいは小売りの仕入価格を¥10下げて、¥70にする)。このリベートは、たしかに小売りの販売活動 を刺激するのに役立ちますが、他方で、値崩れの原因にもなりかねません。たとえば、950個しか売れてい ない小売りにしてみれば、無理にでも残りの50個を売りさえすれば、1,000個分のリベートが手に入るわけ ですから、大幅に値下げしてでも、50個を売りさばこうとするにちがいありません。こうして、値崩れがお きて、メーカー希望価格が守られないのです。

 流通の末端で値崩れがおきたとき、メーカーがもっとも嫌 がるのが、値引きの基準としてメーカー希望小売価格が使われることです。「希望小売価格の30%引き」、 「希望小売価格の50%OFF」といったチラシが撒かれると、もはや建値の回復は困難です。

 この事情を受けて、最近では建値制そのものを廃棄し、 「オープン価格制」へ移行する例が増えています。オープン価格制では、メーカーは卸売りとの取引価格を 決めるだけで、卸売りと小売りの取引価格にも、小売りの販売価格にも関与しません。卸売りも小売りも、 それぞれが自由に価格を設定して、販売します。このオープン価格制によると、小売りが投売りをする可能 性がありますが、その場合でもメーカーでは卸価格を変更せず、「どうぞご自由に!」と放置します。

 小売りが値引販売すると、流通の末端では、もちろん値崩 れがおきます。しかし、オープン価格制のもとではメーカー希望小売価格はないわけですから、もはや「希望 小売価格のxx%引き」といった表現はできません。実売価格が、小売りの店頭に表示されるだけのことです。

 オープン価格制になりますと、パソコンなどの値段は、メー カーのホームページを開いても書いてありません。小売りの店頭に行ってみないと、本当の小売価格はわからな いことになります。この点でたしかに不便もありますが、透明性が高く、世界標準の値決めの方法であることは まちがいありません。ビールなどの業界において、いまこのオープン価格制が拡がってきています(事例につい てはケーススタディをみられたい)。

◆制度会計、内部統制、そして管理会計◆

 会計学の教科書によると、会計には会社内部向けの会計(内部会計) と会社外部向けの会計(外部会計)とがあり、内部向けが管理会計(managerial accounting)と、また外部向けが財務会 計(financial accounting)と呼ばれています。制度会計というのは、会社法、金融商品取引法、法人税法などの法令によっ て縛られている会計を意味しますから、財務会計だけにかかわっており、管理会計は無関係だとされています (下の桃は千早赤阪村の千早城金剛山登山口で2007年3月撮影)

  しかし、制度会計と管理会計が「無関係」だというのは明らかに過度の単純化であり、誤解をあたえかねないいい方です。たとえ ば、損益計算書に表示されている「売上総利益」というは売上高から売上原価を差し引いた金額ですが、売上原価の金 額は原価計算手続きの適用によって製品原価を算定しないことには計算できないものであり、原価計算が前提になってい ます。貸借対照表に出てくる製品、半製品、仕掛品なども、原価計算手続きによってそれぞれの金額が計算されたものです。 原価計算は管理会計の重要な一部ですから、この原価計算ひとつをとっても、制度会計と管理会計がまったくかか わりがないわけではないことになります。

  制度会計と管理会計とのこのかかわりをさらにいっそう深めると思われるのが、いま話題の内部統制制度です。内部統 制はかなり大掛かり仕組みであり、とても簡単には扱いきれませんが、たとえば資材の調達の場面において、業務プロセス についての日常的なチェック体制を構築するとなれば、発注、納品、検収、保管、出庫、決済などにわたって業務分掌、 職務権限、決裁制度、記録体制などを整理したうえで、まず社内ルールを明示化することが不可欠になってきます。しかし、 業務手順にかんするこのような社内ルールは調達管理システム、在庫管理システム、文書管理システムなど織り込まれて いるはずですから、それこそ管理会計システムそのものだといえます(左はあせびの花。千早赤阪村の千早城址で、2007年3月撮影)

  企業会計審議会が公表した「財務報告に係る内部統制の評価及び監査に関する基準」と「同実施基準」(2007年2月15日) は、金融商品取引法に盛り込まれ、法律によって「制度化」されます。また経営者による評価が内部統制報告書として強制 開示されるだけでなく、公認会計士による外部監査の対象となり、監査報告書も公表されることになります。この点で、内部統制が制度 会計の一部になることには疑いないことです。しかし、問題はその中身です。もし、内部統制というのが事実の上で管理会計 と一体のもだとすれば、管理会計は制度会計の中に組み入れられ、外部監査の対象に含められることになります。制度会計は、 財務会計だけでなく、管理会計を包摂する時代を迎えたといえよう。

◆次回の更新◆

  これからが花のシーズンです。陽気の春の日々をお楽しみください。次回の更新は6月を予定しています。ごきげんよう。さようなら。


2007.04.01

OBENET

代表 岡部 孝好

okabe@obenet.jp