A Message from Webmaster to New Version(Spring, 2020)


   2020年春季版へのメッセージ


     OBE Accounting Research Lab



Back Numbers [1995年10月 ラボ開設のご挨拶][ Webmasterからのメッセージのバックナンバー]


◆Ball and Brown による半世紀前の大ヒット論文の回顧◆

  会社の利益情報は、投資者に本当に役に立っているのか。この疑問に取りつかれた二人の若者が、利益情報の公表に対して株価がどう反応しているかを調査しはじめた。いまから半世紀以上も前の、1960年代のことである。ここに二人の若者というのは、オーストラリアのUniversity of New South Walesを修了し、シカゴ大学大学院Booth SchoolのPhDコースに進学したRay BallとPhil Brownである。Brownの入学はBallより3年早く、Ballの入学時にはBrownはすでに講師を務めていた。Ballと同期にBooth Schoolに入学したオーストラリア人としてはRoss Wattsがあり、Ballがその後シカゴ大学の代表的研究者として活躍したのに対して、Wattsはロッチスター大学で実証会計学の旗頭として名をなすことになった。

  当時のシカゴ大学は新しい学問のルツボになっていて、特にミクロ経済学、金融論、証券市場論などの分野において、つぎつぎに開発される「新理論」に沸き立っていた。Ball と Brownもその雰囲気から強烈な刺激を受け、会計利益公表までの過去1年間における株価の変動を跡づけはじめた。コンピュータはまだない時代だったし、またアメリカにはソロバンはなかったから、手計算で月次のリターンを計算したのである。この研究結果をまとめたのが、"An Empirical Evaluation of Accounting Income Numbers," Journal of Accounting Research(1968)である。当時の会計学の主流は「概念派」であり、実証研究に注目する人など誰もいなかったから、この論文をThe Accounting Reviewに持ち込んだが、掲載を断られてしまった。そこで同僚のDavidsonに相談したところ、創刊まもない学内のJournal of Accounting Researchに掲載される運びになり、ようやく日の目を見ることができた。

  Ball and Brown(1968)は2017年に50周年を迎えたが、この古典はいまでも会計学分野で最も多く引用される最重要文献に数えられている。この半世紀の間に効率的市場仮説(EMH)、CAPMなど、財務(金融)論において革新的理論がつぎつぎに出現して、新情報が株価に組み込まれるプロセスが脚光を浴びたが、そのたびの引合いに出されたのがBall and Brown(1968)である。会計学の実証研究において、「イベント・スタディ」というのはいまでは古典的研究スタイルとされていて、この手法を開発したBall and Brown(1968)が引用されないことはない。

  Ball and Brown(1968)ではいくつかの新機軸が提示されたが、最も重要なのは「経験的評価」(empirical evaluation)という検証スタイルである。理論A、理論B、理論Cなどのどれが優れているかといった、従来の概念的なレベルの選択問題はかれらの関心事ではなかった。かれらの問題は、旧来より市場に公表されている「利益数値」がはたして有用なのかどうかを証拠づけることであった。この有用性のテストにあたって、実際の株価に照らしてみたのが、かれらの斬新な着想であった。利益数値が証券投資に実際に役立っているとすれば、その影響が株価に現れるはずと考えたのである。この経験主義的アプローチこそ、実証主義会計の先駆的試みだったといえよう。

  Ballはシカゴ大学で、Brownはオーストラリアの母校でいずれもご健在で、ご活躍中である。Ball and Brown(2013)において、半世紀前のBall and Brown(1968)を回顧して、これまでの学界の発展について論評している。

Ball and Brown,"Ball and Brown (1968): A Retrospective " The Accounting Review, January 2015, p.1.

 

◆これからもまたBasicか? 次世代のコンピュータ教育◆

  ビル・ゲーツ(Bill Gates)といえば、コンピュータ会社のマイクロソフトを創業したビジネス・ヒーローであり、MS-DOS、WindowsといったOSの大成功によって世界中の富を懐に入れたリッチマンとして知られている。いまでは故郷のシアトルに帰って、広大な半島の森林に豪邸を構え、優雅なリタイヤー生活を楽しんでいる、といううわさである。

  ビル・ゲーツが最初に手掛けたのは、コンピュータ言語のBasicである。ハーバード大学の貧乏学生時代に、仲間のポール・アレンとともにBasicというインタプリタを作り上げたのは、1975年のことという。インタプリタというのは、テキスト・ファイルから受け取った簡略な指令を、その都度マシン・コードに翻訳して、そのまま実行させるというやり方を指しており、簡便で素早いその動作は、小型パソコンを動かすのに最適であった。当時でも人間とマシンの仲立ちをするCOBOL、FORTRANといった「通訳」はないわけではなかったが、これらは本格的なコンパイラー言語であり、機械語への翻訳は完璧であったものの、緻密すぎて、素人には扱いにくいものであった。これに対してBasicは、どんなトピックでもそつなくこなす同時通訳みたいなもので、使い勝手のよい手軽なコンピュータ言語だと、特に若者たちに激賞されていた。それに加え、Basicには高度のグラフィク処理能力が備わっていたから、アニメなどの世界では、追随を許さないすぐれものという高い評価が定着した。 CENTER>

  ビル・ゲーツのMS社における初期の発展は、Basicの技術的優位性によるところが大きかったが、その特異な販売戦略が寄与するところも少なくなかった。1980年代に本格的なPC時代を迎えてから、パソコンの販売ではBasic内装済みとするのが標準になったが、そのBasicの売り手はMS以外になかったから、パソコン・メーカーはビル・ゲーツにお百度参りをして、Basicのプログラムを手に入れていた。その際にビル・ゲーツは同じバージョンのBasicを売ったのではお金にならないとして、「異なるバージョン」のBasicを各社に売りつけた。日本のNECにはN88-Basicを、富士通にはF-Basicを、という具合に、それぞれの会社に向けた特殊仕様のBasicプログラムをわざわざ仕立てて引き渡したのである。日本におけるコンピュータの普及や発展に大渋滞をもたらしたのは、このMSの販売戦略であった。NECのPCで動いていたBasicのプログラムが、富士通のPCでは動かないという状況になったからである。両方のPCでうまく動いたとしても、色化け、文字化けなどがあちこちに現れ、プログラムの書き直しが不可欠という事態になった。「Basicは方言が多すぎて、話にならない」という不評が拡がったのは、このことの結果である。

  1,900年代になると、PCとPCを直結するインターネットが爆発的に拡がったが、スタンドアロンのパソコンをベースにするプログラミングが下火になったというわけではない。BasicはVisual Basicにグレードアップされる一方で、C言語が拡がり、ますますコンピュータは身近なところで活躍するようになった。そして2,000年代になると、コンピュータの利用環境は様変わりに変って、大学では、経営学部も、医学部も、農学部も、工学部も、音楽学部も、みなパソコンなしでは講義が成り立たないという状況になってしまった。ワープロはもとより、表計算、パワーポイントなど、多数のソフトの助けを借りないことには、研究も教育も前にすすまないという環境になったのである。

  何もかもコンピュータという新時代に移って、幼児教育から大学教育にいたるまで、学校教育におけるコンピュータ教育はいったいどうなっているのだ、という声高な批判があちこちで湧き上がってきた。学校の方でも、やれコンピュータ・リテラシーだ、やれコンピュータ操作能力だと、走り回っている関係者は少なくない。しかし、学校において学生にコンピュータの何を教えるのでしょうか? ブラウザーの回し方なのか、メールの打ち方なのか、あるいはグラフの描き方なのか?

  わたしの答えは、ビル・ゲーツの時代に戻って、学生のBasicでプログラムを組ませてはどうか、というものである。コンピュータにはコンピュータ流の頭の使い方があり、ものごとを取り扱う流儀がある。コンピュータに親しむには、コンピュータの考え方を知り、コンピュータの動作のクセを知るのが一番である。そのためには、最新のBasicソフトを入手して(*)、コンピュータとの対話を楽しむのがよいだろう。

*最新のBasicのソフトとしてはフリーソフトの「Tiny Basic」をお勧めする。

◆保守主義の「条件」とは何なのだ?◆

  値札が7,500円の商品を買い、キャッシヤーに10,000円札を渡してから、お釣りをポケットに突っ込み、駐車場の車に戻ってシートベルトを締める。ポケットの釣銭をたしかめてみて、1,500円しかないと分かったときには、顧客はレシートを握って、1,000円の「損失」の取り戻しに走るにちがいない。他方、お釣りが3,500円だったことが分かったときには、わざわざシートベルトを解いて、多すぎる1,000円の返金に店に戻る顧客もあるかもしれない。しかし、「次のときにでも償いをしよう」とかいいながら、シフトレバーをDに入れて、発進する人も少なくないであろう。

  足りないお釣りの1,000円を取り返したとすれば、顧客の支払額は7,500円に訂正される。多すぎるお釣りの1,000円を顧客が返金したときにも、支払額は7,500円になる。キャッシヤーがまちがえたのは、マイナス側とプラス側に分かれているとはいえ、いずれも1,000円であり、顧客が正直に申告し、キャッシヤーがミスを訂正すれば、決済金額は、値札の7,500円に落ち着く。

  蝶々が羽根を拡げると、左右同型の美しい形になる。こういう対称形をシンメトリー(symmetry)といっている。上例のお釣りのまちがいは、7,500円の取引価格を軸にして、上下に1,000円の幅の羽根を拡げているから、この種の取引はシンメトリーだということができる。しかし、すべての取引がシンメトリーになるとはかぎらない。現に、上例では、多すぎるお釣り1,000円を財布に入れたまま、走り去った顧客もいたではないか。

  少なすぎる釣銭1,000をすぐに取り戻すにくる顧客がいるのに、多すぎる釣銭1,000を返金しない人がいる。このケースではマイナス側とプラス側が同型になっておらず、非対称形になっている。この買い物の結果は、アシンメトリー(asymmetry)なのである。

  問題はなぜアシンメトリーになるかであるが、それには利己心が絡んでいる。釣銭が足りないというのは売り手のミスであり、買い手からすれば、その非を責めてもよいことである。ミスによって損害をこうむっているのは買い手なのだから、買い手には許しがたいことである。他方、釣銭が多すぎるというのは、売り手のミスによることで、買い手には許せないことではない。多すぎる釣銭は、買い手には、特別のサービスだといえないこともない。

  買い物は取引であり、取引で有利になったり不利になったりするのは、当たり前のことである。利己心に照らしてみると、釣銭のやり取りも取引の一部であり、その結果がアシンメトリーになるのは、理不尽なこととはいえない。しかし、会計学ではこのことに、ごく最近まで気づいていなかった。売り手からみても買い手からみても、取引の結果はどちら側にも傾くことはないとして、シンメトリーだと想定してきたのである。

  利得とか損失の会計処理にあたって、損失に対して特に慎重な配慮を求める実践的指針は、保守主義(conservatism)の原則といわれ、古くから世界中で広く支持されてきた考え方である。「資産は控えめに、負債は多めに」とか「収益は控えめに、費用は多めに」というと、“石橋を叩いて渡る”やり方を強制するものであり、表現の忠実性という基本原則に反していると批判される。それにもかかわらず、保守主義的な実務はいまも残っているどころか、むしろ拡散する傾向さえ見受けられる。資産評価損を早めに認識する低価法は従来は棚卸資産に限られていたのに、いまでは固定資産に対しても減損処理が行われている。退職給付債務、資産除去債務など、簿外負債をオンバランスシート化するのもますます積極的にすすめられている。アシンメトリーな取扱いを求める変則的な会計処理方法が、あたかも標準的な会計ルールでもあるかのように、いまもまかり通っているのである。

  このような情況において、アシンメトリーな会計処理に合理性があることを論証しようと挑戦したのが、Basu[1997]である。Basu[1997]によれば、次のような保守的会計処理には、契約効率性(contracting efficiency)の視点からして、存在意義が大きい。

 ◎利得の認識時点を遅らせ、損失の認識時点を繰り上げる

 ◎利得の認識では監査上の証拠を厳しくし、損失の認識では監査上の証拠を甘くする

  これらいずれも旧来の保守主義と考えを共有しているが、重要な相違点もある。旧来の保守主義が「時と所」を区別せず、一様に慎重な会計方法の選択を求めていたのに対して、Basuの保守主義は「時と所」の違いが重要な意味をもっている。ここに「時と所」というのは、背後の契約関係の違いであり、背後の契約関係の違いによって保守主義がコスト節約的になることもあれば、そうでもないこともあるというのである。このことから、従来の保守主義は「無条件保守主義」(unconditional conservatism)と、またBasuの保守主義は「条件つき保守主義」(conditional conservatism)と呼ばれ、契約関係におけるコスト節約効果によって区別されることになった。

  契約関係がどのように組まれているかによって保守主義のメリットが違ってくるというのは、慎重な行動によって身を守るという思考が取引そのものに浸透しているからである。これは、いい換えれば、保守主義というのはビジネスのあり方を支える基本原則であり、会計学だけの問題ではないということにほかならない。《続》

《参考文献》

BASU, S. “The Conservatism Principle and Asymmetric Timeliness of Earnings.” Journal of Accounting & Economics 24 (1997): 3-37.

WATTS, R.2003a. “Conservatism in Accounting Part I: Explanations and Implications.” Accounting Horizons 17 (2003): 207-221.

Watts, R. 2003b. “Conservatism in accounting part II: Evidence and research opportunities,” Accounting Horizons 17 (2003): 287?301.

◆メッセージ更新のお知らせ◆

  2018年春からの2年間、無届けの「休場」をして、たいへんご心配をおかけしました。この《春季版》は「あの世」からのものとお思いの方も おられるかもしれませんが、これは「この世」からのものです。言い訳は山ほどありますが、とりあえずこころも、 身体も、そしてパソコンも復調しましたので、2020年春季版をアップさせていただきます。もしもコロナウイルスに捉まえられたとしたら、重症化しやすいのは、 高血圧、糖尿病、肺気腫・・・・・・の持病をもつ高齢者だと報じられていますが、この症例のすべてにぴったり嵌まるわが身では、 とても生き残れないなと思いながらも、OBE Accounting Research Labを思い切って再開することにしました。たぶんは《春季版》の次は、 《秋季版》になるでしょう。

  学者にとって本は商売道具で、これなしには商売はあがったりですが、過日その未練を捨てて本の大整理をやり、何十箱ものダンボールを処分しました。 そして、数箱の本とともに近くのマンションに引越しました。多少の不自由さは覚悟のうえだったとはいえ、やはり不便は不便です。しかし、本の山に埋 もれた生活から抜け出したことはたしかで、すっきりした気分で、すがすがしい毎日を過ごしています。このうえはコンサートやダンスにとか、山陰の 温泉とか沖縄の観光になどと、いろいろ精を出すつもりでしたが、結局のところ頭の奥にこびりついている昔のアカは落とし切れず、このページも会計 のトピックばかりになりました。これからは少しでも守備範囲を拡げたい、というのが願いです。


2020.03.01

OBENET

代表 岡部 孝好