A Message from Webmaster to New Version(June 1, 2017)


   2017年06月版へのメッセージ


     OBE Accounting Research Lab



Back Numbers [1995年10月 ラボ開設のご挨拶][ Webmasterからのメッセージのバックナンバー]


◆新著『神戸高商・神戸商大の会計学徒たち』、いよいよ発売◆

  かねてより準備中であった岡部孝好著『神戸高商・神戸商大の会計学徒たち』が、いよいよ一般書店にて発売されます。

  神戸大学を興したのは、二人の簿記学者です。この二人の簿記学者が苦労を重ねて、神戸高商を立ち上げました。神戸 高商はわが国二番目の官立(国立)の高等商業学校ですが、それは「簿記の神戸高商」としてスターしたのです。明治36 (1905)のことです。

  神戸高商は、会計学、経済学、商業学といった新興学問を取り込み、大きく発展していきます。明治・大正時代を通じて、日本の 代表なビジネス・スクールとして高くそびえ立つ存在になりました。

  神戸高商は昭和4年に神戸商業大学(神戸商大)に昇格し、東京商大(現一橋大学)、大阪商大(現大阪市立大学)とと もに「三商大時代」を築きます。

  第二次世界大戦中、神戸商大は「神戸経済大学」に名称を変更します。これは「商」という1文字が軍部に嫌われたこと によるものです。しかし、神戸経済大学(神戸経大)は逆境に中で活躍をつづけ、学部においては「経営学科」を、大学 附属機関としては「経営学専門部」を開設し、経営学の研究・教育を積極的に展開します。

  第二次大戦が終結し、6・3・3.4制の新しい学校教育制度がはじまります。戦後のこの学制改革の結果として、新制 神戸大学が生まれ、その中に「経営学部」というわが国初の新学部が創設されました。神戸経大時代にあった法学部門は法学部 として、また経済学部門は経済学部として分離独立したために、新制神戸大学の経営学部の主要部門は経営学、会計学、 商学の3つに絞り込まれました。これが現在の神戸大学経営学部の原型です。

  神戸大学経営学部は昭和24年から疾走をはじめます。昭和28年に学部の第1期生が卒業すると、すぐさま大学院(修士、 博士課程)を開設し、学部と大学院の両方で大活躍をはじめたのです。昭和30年代にはじまった日本経済の高度成長の波に 乗って経営学部は大躍進を遂げますが、その後押しをしたのが、昭和40年代の経営学ブームです。

  神戸高商の開校のころは、「簿記の神戸高商」と呼ばれていました。神戸高商はそれから間口を拡げ、会計学、原価計算、 会計監査などについても、研究・教育の拠点校として今日まで活躍をつづけてきました。簿記・会計学の発展という視点 から、神戸高商⇒神戸商大⇒神戸経大⇒神戸大学経営学部という発展過程を追っているのが、新著『神戸高商・神戸商大 の会計学徒たち』です。出版は神戸新聞総合出版センター、販売価格は\2,000+消費税です。

◆6月10日に研究フォーラムを開催◆

  会計学はたえず進歩をしつづけていますから、新しい理論や実務の動向を捉え、頭脳をリシャッフルしていかなければ、 時代に取り残されてしまいます。この点で定期的に研究会を開いて、仲間たちといろいろな角度から会計学の新動向につい て意見を交わすことはきわめて重要なことです。

  こうしたアカデミックな研究会は下準備がたいへんで、なかなか頻繁に開催できるものではありません。現役時代で も、年1回とか、隔年に1回というのがせいぜいといったところでした。現役を退いてからは、もっと間隔が拡がって、 思い出したときにポツンと開くという感じになっていました。しかし、活力があった昔の研究会を忘れていない人も いるらしく、ことしの年賀状にも、「先生のアノ研究会はどうなっていますか」というのが、何枚かありました。

  ここ2-3年、日本では不祥事だらけです。シャープが迷走につぐ迷走を重ねたあと、こんどは東芝がグラついています。 「不適切会計」、「不正会計」などの用語が新聞紙上に踊っていて、日本の会計制度がうまく機能していないことに対し て世は憤慨し、騒ぎ立てています。わたしたちが直接に責めを負うことではないにしても、この現状は、こころを重くし てしまいます。

  正月以来いろいろと思いを巡らした挙句、久し振りに研究会を開催することになりました。その研究フォーラムのプロ グラムが下記のものです。主催研究団体は「実証会計学研究フォーラム」となっていますが、「実証会計学」という前 半部分にはさして意味がありません。報告テーマからもわかるように、外部会計の全般をカバーするテーマが掲げられ ています。複式簿記、会計報告、財務諸表監査に渡っていて、共通項は「会計責任(accountability)」です。

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     実証会計学研究フォーラムの公開セミナー開催について(ご案内)

1. 開催日時   2017年6月10日(土)、 15:00-17:00(17:15から懇親会)

2. 開催場所   神戸大学六甲台キャンバス 本館2階206教室

3. 会費      \5,000(懇親会費を含む)。

           *神戸大学経営学研究科の学部生と院生は無料

公開セミナー・プログラム テーマ : どこへ行ったのか、会計責任

  報告1. 正確な会計記録と会計責任(15:00-15:25)

           神戸大学経営学研究科        教授       清水 泰洋

  報告2. 事実に忠実な会計報告と会計責任(15:30-15:55)

           神戸大学経済経営研究所       准教授      榎本 正博

  報告3. 実効性のある会計監査と会計責任(16:00-16:25)

           PwCあらた監査法人大阪事務所長 公認会計士      高濱   滋

  討論.  どこへいったのか、会計責任(16:30-16:55)

   (司会)    神戸大学名誉教授                   岡部 孝好

  懇親会(17:15-20:00)  会場:アカデミア館3階「レストランさくら」

参加要領

* 会場案内図は神戸大学のホームページをご覧ください

* 受付は14:00より、会場入口付近にて行います。

* 公開セミナーだけ、懇親会だけの参加も可能です。

* 会日の3日前までに、幹事宛に参加登録をする必要があります。

    ◎登録メール・アドレス:kobeokayume@gmail.com

    ◎登録事項:所属、住所、氏名、連絡先

         :参加の方法(@セミナーのみ、A懇親会のみ、Bセミナーと懇親会の両方の区別を明記)

                                             

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  他人(株主と債権者)の財産を預かった人(経営者)は、受託者としての義務を忠実に果たす責任があります。この受 託者の責任が会計責任です。受託者は、預かった財産を誠実に運用・管理するのはもちろんですが、財産の増減の経過を 正確に帳簿に記録し、その顛末を会計数値に集約して、預託者に会計報告を行う責めを負っています。その会計報告には ウソが紛れ込む不正リスクがありますから、会計報告は会計監査を通じて事実の忠実な表現であることが保証されていなけれ ばならないのです。受託者が会計責任を果たすと、預託者の「疑いを晴らすこと」、さらには「信頼関係を築くこと」が 可能になり、これを基礎にして財産の預託関係が成り立つのです。会計責任が果たされていないとなると、財産の預託関 係を支える基礎が揺らぐことになります。

井尻雄士 先生を偲んで

  会計学の世界的リーダー、井尻雄士先生が2017年1月18日お亡くなりになられました。81歳でした。2012年にカーネギー ・メロン大学を退職された後も、専門誌に掲載されている幾編かの論文に接しましたので、相変わらずお元気にてご活躍中の ことと思っておりました。それなのに突然の訃報に接して、大きな衝撃を受けております。ほんとうに偉大な人を亡く したと、惜しんでも惜しみきれない思いに沈んでいます(お写真はAccounting Education Newsの最新号より借用しております)。

  井尻先生は神戸市の三宮のお生まれで、1934年2月24日に、父井尻竹次郎、母ヒロの長男として誕生されました。父上は パン屋か何かを営んでおいでだったと伺った記憶があります。ご父母のお墓は神戸市の山手にあるらしく、阪神淡路大震 災のときには帰国後まっさきに墓地を訪れ、墓石が倒れていなかったと、胸をなでおろしておいででした。井尻先生にと って神戸は文字通りのホームタウンであり、阪急三宮駅付近の情景などは「昔とほとんど変わっていない」と、いつも楽 しそうにお話になられていました。たぶんはこの神戸とのご縁で、神戸大学もわたしも井尻先生のお世話になるというた いへんな幸運に恵まれることができたのです。井尻先生にはいろいろとご配慮をたまわり、ほんとうにありがとうござい ました。こころからお礼を申し上げます。

  井尻先生は幼少のときよりソロバン塾に通っていましたし、奈良商業高校で若年のころにすでに簿記を習得していました。 その奈良商業高校2年生のときに公認会計士の一次試験に合格し、高校卒業後に入学した同志社短期大学在学中に二次試験にパスしています。 その後に立命館大学法学部に在籍し、実務補習を受けながら同時に法学も学びます。21歳で三次試験にも合格しましたので、 日本の最年少の公認会計士という新記録は井尻先生がマークすることになりました。この新記録は、たぶんいまも破られてい ないはずです。

  井尻先生は同志社大学在学中に、2つの大きな出合いをしています。1つはゼミ担当者の西村民之助先生から、ことばに尽く せぬほどの大きな学術的影響を受けたことです。「これこれは西村先生に教わった」という話は井尻先生から何度も聞いたこ とがありますが、文書になって残っていることもいくつかあるはずです。第2は、西村先生の娘さんの倫子(ともこ)さんと 知り合ったことです。二人は1962年に結婚され、二人のお嬢さんをお育てになりました。お嬢さんは二人とも学者になったと お聞きしました。

  井尻先生はプライス・ウオーターハウスなどで数年働いてから渡米し、ミネソタ大学大学院で1960年に修士号を、そして1963年に カーネギー・メロン大学大学院でPh.Dを取得されています。そのPh.D論文が後に出版されたManagement Goals and Accounting for Control(1965). 『計数管理の基礎』(岩波書店、1970年)だったというのですから、井尻先生はすでに院生時代からとんでもない高レベルの研究をなされていた ことになります。1963年に大学院を終えると西海岸のスタンフォード大学に奉職され、1967年までこのスタンフォード大学をベースにして活躍 されました。神戸大学の丹波康太郎教授がアメリカに出張され、井尻先生に初めてお会いになられたのはそのころのことです。わた しはちょうどそのとき神戸大学大学院で丹波先生の講義を受けていましたが、帰国されるやいなや丹波先生は「スタンフォード大にすごい日本人 研究者がいる」とお話になられたのを、いまもはっきりと覚えています。わたしが井尻先生のご高名に初めて接したのは、このときでした。

  1960年代の会計学界はいまとよく似ていて、時価主義会計がどうのとか、保有損益がどうのこうのといった、とても本質的とはいえない議論に沸 いていました。ところがスタンフォード大学から突如として新星が現れ、公理論(axiom theory)、測定論(measurement theory)といった自然科学系 の概念を駆使して、ユークリッド幾何学にも匹敵する超精密な新会計理論を展開しはじめたのです。それが、若き井尻雄士先生だったのです。井尻 先生はその著『会計測定の基礎』(東洋経済新報社、1968年)において、「支配」、「数量」、「交換」など、ごく少数の基本公理だけを使って、 1つの会計現象をすみずみまで説明しつくす一般理論を構築しようとしてしたのです。驚いたことに、この理論的説明の対象となっていたのは慣行 的な会計制度、つまり歴史的原価会計であったのです。「公理論、測定論によって、歴史的原価会計の成り立ちを理論的に解明する」というのが 井尻先生の構想であったらしいのですが、この大胆なチャレンジに世界中の会計学者がみな目を見張りました。

  井尻先生は1967年に母校のカーネギー・メロン大学に戻られ、その会計学研究陣の中核的スタッフとして大活躍されました。それ以降の学問的業績 については、あまりにも多すぎて、ここでは列挙しきれません。1982年にアメリカ会計学会の会長に推され、2年にわたるその職責を果たされました。 1989年には49番目の「会計殿堂」(Accounting Hall of Fame)」入りを果たされ、その殿堂があるOhio State Universityではいまも井尻先生の偉業が讃えられているはずです。

  井尻先生には渾身の力を尽くして、会計学の発展を導いていただきました。神戸大学に対して、そして神戸大学の岡部に対しても、明るい光と励まし おことばで先々を照らしてくださいました。そのおこころ尽くしに厚くお礼を申し上げます。どうかこれからも、高い空の上からお導きいただきますようお願いいたします。合掌。

◆2016年ノーベル経済学賞に契約理論の経済学者が◆

 現在の実証会計学はエージェンシー理論・契約理論をその起源にしています。取引を行う二人(またはそれ以上)の経 済行動を「契約関係」として分析するのがエージェンシー理論・契約理論です。その契約関係には、ウソをつく、相手を ダマすという行為が当然に含まれます。  会計学の観点からこの契約関係を捉えますと、相手にウソをつかせない、相手にダマされないということが重要になり ます。相手にウソをつかせたり、相手にダマされたりするようでは、取引が成り立たないからです。会計学というのは、 相手にウソをつかせない、相手にダマされない社会的システムづくりを研究する学問だといえます。取引実績を会計帳簿 に記録する、監査によってその帳簿記録を点検するというのがその例になります。  実証会計学が拠って立つ契約関係は、1970年ごろから若い経済学者によって研究テーマに取り上げられていました。当時 は前人未踏の研究領域であり、何もかも分からないことばかりだったのです。それから40年経って、いまではエージェンシー 理論・契約理論といえば、ミクロ経済学の基本研究分野として確立されています。その契約理論を育てた研究者の中の二人が、 2016年のノーベル経済学賞に輝きました。Oliver Hart と Bengt Holmstrom がその人です。  過去のノーベル経済学賞の受賞者 (The Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel)

2016 Oliver Hart and Bengt Holmstrom

2015 Angus Deaton

2014 Jean Tirole

2013 Eugene F. Fama, Lars Peter Hansen and Robert J. Shiller

2012 Alvin E. Roth and Lloyd S. Shapley

2011 Thomas J. Sargent and Christopher A. Sims

2010 Peter A. Diamond, Dale T. Mortensen and Christopher A. Pissarides

2009 Elinor Ostrom Oliver E. Williamson

2008 Paul Krugman

2007 Leonid Hurwicz, Eric S. Maskin and Roger B. Myerson

2006 Edmund S. Phelps

2005 Robert J. Aumann and Thomas C. Schelling

2004 Finn E. Kydland and Edward C. Prescott

2003 Robert F. Engle III, Clive W.J. Granger

2002 Daniel Kahneman, Vernon L. Smith

2001 George A. Akerlof, A. Michael Spence and Joseph E. Stiglitz

◆戦前期の法人税制とその自主申告制度(再)◆

  日本では個人を納税者にする最初の所得税制が誕生したのは、明治20(1887)年である。同居家族の所得を含め3年平均所得が300円以上である者が納税義務者とされ、所定の役所に所得金額届を提出して納税する。これが新設の個人所得税制である。この所得金額届を審査するのは公選の所得調査委員であり、最終的には7人の委員の決議によって課税ベースとなる所得金額が決定された。

  この個人向けの所得税法をモデルにして明治32(1899)年に創設されたのが、法人向けの所得税(法人税)である。この法人税の創設時に国税の税務行政の管轄はすべて政府機関に統合され、課税所得の金額を調査して決定する権限は府県の税務管理局と各地の税務署に移管された。以前の所得調査員会は廃止を免れたものの、所得金額の決定権をもたない諮問機関にとどまることになった。法人税の課税所得の決定権限をすべて政府に集約するこの集権的な徴税機構が、悪名高い「賦課課税制度」である。その悪名を高めたのは、お役人が個人の税額を勝手に決めて、お役人がその税金を高圧的に取り立てたからである。この賦課課税制度は、第二次大戦後のシャウプ勧告まで存続した。

  賦課課税制度のもとでは、法人の課税額がいくらなのかを決定するのも、またそれを徴収するのも課税当局である。それなのに、課税当局には各法人の原初データがなく、納税者の所得がいくらなのかが不明である。そこで法人税制の創設にあたり、課税当局は納税者に対して所得金額届に損益計算書を添付することを求めた。ところが、納税者が提出するこれらの書類には不実記載が多く、公正な課税額を決定するのにはほとんど役に立たなかった。そこで、大正2(1913)年の税法改正時に、財産目録、貸借対照表、損益計算書などへ添付書類の範囲を拡大したが、不実記載は一向に減らず、依然として虚偽、脱漏が幅を利かせることになった。こうした不正な提出書類に対して課税当局は取り締りの強化によって対抗したが、課税当局の高圧的な姿勢は法人税制に対する産業界の反発を強めるばかりであった。

  このような実情を受けて、大正2(1913)年の税制改正時に、納税者の申告が誠実なものであればそれを積極的に是認しようとする動きが、課税当局側に生まれた。この自主申告を奨励する運動は、大正9(1920)年の税制改正後にいっそう積極化され、納税者サイドにおいて計算した課税所得を、正直に自主申告しているかぎり、課税当局ではその申告所得を尊重することになった。

  この自主申告奨励制度のもとでは、課税所得の計算方法、計算の裏付け方、申告の仕方などについて、納税者と課税担当者とが知識を共有していなければならない。そこで大正9(1920)年の所得税法の改正を受けて、各府県の税務監督局ではまず内部向けの講習会を開催し、この課税担当者の再教育が一巡すると、引き続いて一般の納税者向けに講習会を開くことになった。

  この自主申告奨励活動において課税当局が注目したのは、会計帳簿の作成である。当時の商法25条には会計帳簿の作成義務が明記されていたが、罰則がなかったこともあって、この条文は宙に浮いており、日常取引を会計帳簿に記録している法人は、貿易商社、海運会社など、ごく一部の大会社に限られていた。街の商店や工場では、大福帳に債権・債務の増減を記帳するのがせいぜいであり、組織的な会計帳簿を作成している法人などほとんどなかった。しかし、これでは課税所得の自主申告のための資料が揃わないので、事業活動の経過をいかに会計帳簿に洩れなく記録させるか、これが講習会の中心的テーマとなった。しかし、会計帳簿というものは、いったいどのように作成したらよいやら、街の人々は迷うばかりであった。

  この場面において最も活躍できたのは、複式簿記であったかもしれない。しかし、大正時代になっても複式簿記は庶民からは遠い雲の上の存在であったし、洋式の帳簿も、ペンもインクもどこにも売られていなかった。入手可能な文具は、和紙を綴じた大福帳、硯と墨と筆、それにソロバンだけであった。アラビア数字を操れる人も多くはなかったと思われる。この環境において、課税当局は会計帳簿の作成をどのように指導したのであろうか。

  自主申告の奨励運動は長期にわたって、全国的に繰り広げられたが、その講習会のプログラムはみつかっていない。このため、自主申告奨励活動の内容がどのようなものであったかは、調査の手掛かりがまったくない。断片的な資料によると、出納帳への記帳が奨励されていたようでもあるし、取引の証憑書類を系統的に保存することの重要性が強調されていたようでもある。最も先進的な事例としては複式簿記の解説を試みているケースもあるにはあったようであるが、どのようなテキストを使って、だれが講師になって複式簿記を教えていたのかがはっきりしない。しかし、大正末期から昭和初期にかけて、仮に課税当局の自主申告奨励活動の一環として複式簿記の大衆教育が実施されていたとすれば、この発見は日本の簿記史・会計史において画期的な意義をもつといわなければならない。日本の簿記史・会計史の文献では、高等ビジネス教育機関における簿記・会計学教育に光が当てられることは少なくないが、税制との関連において実施された複式簿記教育が分析された例はこれまでになかったからである。

  通説によれば、日本の税制において自主申告制度が確立されるのは、昭和24(1949)年のシャウプ勧告においてである。会計帳簿の作成を前提にする青色申告制度が採用され、納税者の自主申告制度が日本の隅々に行き渡ることになったのは、シャウプ勧告にもとづく戦後の税制改革によるとされている。しかし、大正末期から昭和初期において課税当局により複式簿記教育が実施されていたとすれば、たとえ萌芽的なものであっても、自主申告制度はシャウプ勧告よりも25年も前に、日本の地に生まれていたことになる。

≪参考文献≫

税務関連法令集http://www.nta.go.jp/ntc/sozei/sousho/03.htm

同解説 http://www.nta.go.jp/ntc/sozei/sousho/03shotoku/kaidai.htm

◆会計不正:マスキング価格(再)◆

  2015年に発覚した東芝の一連の会計不正の中で、「マスキング価格」ほど珍妙な手口はない。その名称は社内の隠語であったのかもしれないが、字義通りに解すると「覆面価格」を意味するから、事実を隠蔽するヤミ価格が、大手を振って東芝の社内を闊歩していたという印象を受ける。

  会計不正では純利益を実際よりも多く見せ掛けるのがふつうである。純利益は次の式で計算される。

  収益 − 費用 = 純利益

   純利益を実際よりも多く見せ掛けるには、収益を嵩上げするか、費用を隠すかしかないことになるが、ふつうは収益の嵩上げの方が選択される。最も一般的な収益項目は売上高であるから、売上高の過大計上が純利益を多く見せ掛ける最も典型的な手法になる。 ところが、東芝では、費用の過小計上によって、純利益を膨らませたのである。いったいどのようにして、費用を過小に計上することができたのであろうか。この問いに答えるには、費用が増える道筋をまず理解しておいて、次にこの道筋を逆転させて、費用が減少したように見せ掛けるテクニックを使うことになる。

  いま商品の仕入れを行って現金\100を支払うとすると、現金が減るが同額の資産(棚卸資産)が増えるから、費用が増えたことにはならない(掛けによって商品を仕入れても結果は同じで、負債(買掛金)と資産(棚卸資産)が同じ額だけ増えることになる)。その商品を顧客に\150で現金販売すると、受け取った現金に相当する売上高\150が計上され、同時に商品の仕入価格に相当する費用\100が計上される。顧客への販売時に計上されるこの費用(売上原価)は、商品という大切な棚卸資産を販売によって失ったという理由によるものである。

   (借方)売掛金    15O (貸方)  売上高    150

       売上原価   100       棚卸資産    100

  収益\150は現金増加額\150に等しいし、費用\100は商品(棚卸資産)の減少額\100と同じである。したがって純利益\50は収益と費用の差額として計算できるが、現金増加額と棚卸資産減少額の差額としても計算することができる。このニつの計算をなにげなくしているところが複式簿記の妙技である。

  この予備知識にもとづいて、東芝の不正会計に話をすすめよう。東芝のマスキング価格というのは、架空販売のケースに当たるから、売れてもいないのに売上高を計上するというのが「本来の不正の手口」だといえる。ところが、東芝はこの「本来の不正の手口」を使わなかった。しかし、架空販売だとすれば、話の筋道として、「本来の不正の手口」によっていればどういうことになっていたかを、先に確かめておく必要があろう。

  架空販売というのは実際には販売していないのに、販売取引をでっちあげることであるから、マスキング価格をいくらにするかは、好き勝手に決めることができる。東芝がでっちあげたその価格は原価の6倍とか8倍という説があるが、ここでは単純化して5倍だと仮定することにしよう。\100の商品を\500で売ったと偽って、\400の純利益をえたことにするわけである。その場合には、会計学では次の処理をしなさいと、教室では教えている。

   (借方)売掛金   500 (貸方) 売上高    500

       売上原価  100      棚卸資産   100

  本当に販売取引があった場合には、商品の実物が売り手から買い手へ動くし、運賃などの関連経費も発生する。会計監査人は実際の荷動きとか関連経費などを確認して、販売取引が本物かどうかをたしかめるという決まりになっている。だから、商品が倉庫に眠ったままなのに、販売取引あったというニセ伝票を起こすようなことはできない。そこで、東芝の担当者が智恵に智恵をしぼって考え出したのが、OEMである。OEMというのは、「東芝のマークの付いたパソコンを、東芝の指図通りに製造してください」という形で、他のメーカーへ生産を委託することである。材料はすべて東芝が支給し、工賃だけを東芝が委託先に支払う。支給した材料は東芝の商品を委託先に預けただけのことだから、空間的に委託先に移動していても、その所有権は東芝が握ったままである。したがって商品が販売されたことにはならないが、空間的に移動しているので、販売を見せ掛けるには多少は役に立つ、と東芝の担当者には思えたかもしれない。

  しかし、OEMという委託取引をそのまま売上高に計上すると、架空販売が露見してしまう可能性が大きい。売上高は監査人にとっても最も重要なチェック項目であり、売上高を操作すると、監査人に簡単に見つかってしまうおそれがある。そこで東芝では、OEMの材料支給分を売上高に計上する処理をあきらめた。「本来の不正の手口」ではみつかりやすいから、その手口を離れて、監査人のチェックが緩い非標準的な手口を採用したのである。その非標準的な不正の手口は、次のような処理になっているという。

  (借方)売掛金   500 (貸方) 売上原価   500

      売上原価  100      棚卸資産   100

  売上高に計上する代わりにマスキング価格\500をそっくり売上原価に計上しているので、棚卸資産の減少額と差し引きすると、売上原価はマイナス\400となっている。売上原価は費用項目なので、売上原価が\400少なくなるとれば、それだけ純利益は増加する。純利益が\400増加するということは、結果において架空売上を\500計上したのと同じことになる。

  東芝では、翌期にOEMのパソコンが納品された時点で、上の架空販売の処理をすべて取り消すとともに、たとえば外注加工費\50を計上して、実際の取引処理に引き戻している。

  (借方)売上原価   500 (貸方) 売掛金    500

      棚卸資産   100      売上原価   100

  (借方)外注加工費 50  (貸方) 未払金     50

  上半分は前期の架空取引の取り消しであり、下半分は本来の委託製造による工賃の計上である。架空販売を取り消せば元に戻ったようにみえるかもしれないが、そうではない。前の年度に\400の架空利益を公表済みであるから、会計不正はすでにその目的を達成しているのである。

  さて、ここでマスキング価格という会計不正が、監査においてなぜ発見されなかった点にも、注意を促したい。たしかに架空販売によって売上高は嵩上げされていないが、その言い訳は通用しないであろう。架空販売による売掛金(あるいは特別の「未収入金」とされていたかもしれない)は計上されていたのであるから、通常の監査手続きにおいて、この営業債権の存否は期末に必ず確認されなければならないことであった。また、マイナスの売上原価というのも、大量の返品でもなければありえない会計処理なのであるから、監査人が見落としてはならないことである。しかも、期末の架空販売の処理を翌期にそっくり取り消しているのだから、巨額の金額を期初に修正処理しているという異常性だけからしても、監査に手抜かりがあったというそしりは免れないであろう。

◆次回の更新◆

  次回の更新は、7月ごろを予定しています。春爛漫の候、ご健康にはくれぐれもご留意いただいたうえで、日々を存分にお楽しみください。ごきげんよう、さようなら。


2017.04.01

OBENET

代表 岡部 孝好