A Message from Webmaster to New Version(August 15, 2016)
2016年08月版へのメッセージ
OBE Accounting Research Lab
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[1995年10月 ラボ開設のご挨拶][
Webmasterからのメッセージのバックナンバー]
◆新株の第三者割当てと株式の希薄化◆
◎株式の水割りと希薄化
会社の既発行株式総数が1000株であり、現在の1株の株価が200円だとすると、会社の時価総額は掛け算により200,000円となる。この会社が新株1000株を発行して、それを旧株主にタダで渡すと、発行済株数は倍の2000株になるが、1株の価値は半分に落ちて、100円になる。こうした1対2の株式分割のケースでは、発行会社の財政状態には何の変化もないのに、株数だけが倍増しているから、1株の価値は半額になっているわけである。なお、この株式分割のケースでは、株数は2倍になっても株価は半分になっているから、旧株主の立場からすると、損得はない点に注意されたい。
1対2の株式分割では会社の株数を2倍に増やし、1株当たりの価値を半分に下げる。それはコップの中のウイスキーに同量の水を注ぎ、その総量を2倍にするのと同じであり、量は増えるが味は薄くなる。このことから、株式分割は一般に「水割り」(watering)とか「希薄化」と呼ばれている。
◎持ち分の贈与
会社の発行株式総数が1000株であり、現在の1株の株価が200円だという上と同じケースにおいて、新株1000株を追加的に発行して、それを旧株主には渡さず、誰か他の第三者にタダで渡すと、どうなるか。発行済株数だけが2倍の2000株に増えているから、明らかに「水割り」が起きていて、1株の価値は半分に下がっている。問題は新株の行方である。新株は第三者に渡されており、旧株主の株数は少しも増えていないから、旧株主は株価が半額になったことによって、大損害を被っている。他方の第三者は株価下落後の株式ではあるものの、100円の価値をもつ新発行の株式をタダで頂戴しているから、マル儲けである。
発行価格がゼロの新株式を発行すると、株数だけが増えて、希薄化が発生する。その新発行株式を旧株主に渡せば単なる株式分割になるのに、それを第三者に渡すと旧株主は希薄化により大損を被る。だから、第三者に特に有利な価格で(この場合にはゼロ円で)新株を引き渡すことは、「有利発行」と呼ばれていて、原則禁止になっている。会社のオーナーである旧株主に損害を与える行為であるから、背任行為に相当する。ところが、第三者への有利発行をせざるをえないケースが、実際には少なからずあるのである。
◎第三者割当てによる資本注入
会社が破たんの危機に直面している場合を考えよう。たとえばいま会社の資金繰りが行詰まっているのに、銀行から融資を断られているような場合には、経営破綻は目前に迫っている。そこに豊富な資金を握っている財産家を探して、緊急の救済を要請することになる。財産家は条件が有利であれば、増資に応じてもよいといったとすれば、どれだけの新株式をいくらで発行するかが交渉の焦点になる。ここで計算を簡単にするために、新株数は旧株主の持株数と同じ1000株だとすれば、問題は発行価格をどう決めるかに絞られる。
現在の時価が1株200円だとすれば、財産家に割り当てる新株の価格が200円を上回ることはありえないし、発行価格をゼロとしたのでは、発行会社への資金の流入がなくなり、第三者割当ての意味が失われる。したがって、新株の発行価格は最小0、最大200の範囲内において、交渉によって決められることになる。
交渉の結果として、財産家に対する第三者割当の株価が1株50円と決まったとすれば、会社へ50,000円の資金が払い込まれ、第三者には1000株の新株が引き渡される。新株発行後の株式総数は2000株になっているが、時価200円の株式を50円で売却しているから、希薄化が起きている。新株発行前には時価総額が200,000、株数が1000株であったのに対して、発行後には時価総額が250,000円、株数は2,000株となっているから、この第三者割当てによって、株価は200円から125円 (=250000/2000)まで下落していると推定される。この125円という新株価は、旧株主からすると75円(=200-125)の損失の発生を、新株主からすると75円(=125-50)の利得の発生を意味している。言い換えると、新株主が取得した1株当たり75円の利得は、旧株主が希薄化によって被った75円の損害に対応しているのである。これは、第三者割当てが旧株主から新株主への持ち分の贈与、という意味合いをもつことを示している。
◎シャープの場合
2015年にシャープが経営危機に陥り、2転3転の末、台湾の某メーカーの救済を受けることになった。2016年の4月になって第三者割当てによる資本注入計画がはっきりしてきたが、株主総会に提案された第三者への新株発行価格は88円だったと報道されている。当時の同社の時価は160円近傍であったから、希薄化による旧株主の損害の比率は上の例よりも大きく、このため株主総会における旧株主の執行部追及も一段と激しかったといわれている。たしかに水割りの程度が大きくなると旧株主の損害も大きくなるが、どの程度の水割りが適正かを判定するのも容易なことではない。
破綻に瀕している会社の株式は、その価値評価がむつかしい。価値評価が怪しい株式のやり取りを通じて資本注入を行うのが第三者割当てなのだから、どの程度の水割りが適切なのか、ルールづくりは困難なことである。しかし、現実には第三者割当てが不明朗で、「なんでそうなったの?」と問い質したいケースが多数ある。
◆戦前期の法人税制とその自主申告制度◆
日本では個人を納税者にする最初の所得税制が誕生したのは、明治20(1887)年である。同居家族の所得を含め3年平均所得が300円以上である者が納税義務者とされ、所定の役所に所得金額届を提出して納税する。これが新設の個人所得税制である。この所得金額届を審査するのは公選の所得調査委員であり、最終的には7人の委員の決議によって課税ベースとなる所得金額が決定された。
この個人向けの所得税法をモデルにして明治32(1899)年に創設されたのが、法人向けの所得税(法人税)である。この法人税の創設時に国税の税務行政の管轄はすべて政府機関に統合され、課税所得の金額を調査して決定する権限は府県の税務管理局と各地の税務署に移管された。以前の所得調査員会は廃止を免れたものの、所得金額の決定権をもたない諮問機関にとどまることになった。法人税の課税所得の決定権限をすべて政府に集約するこの集権的な徴税機構が、悪名高い「賦課課税制度」である。その悪名を高めたのは、お役人が個人の税額を勝手に決めて、お役人がその税金を高圧的に取り立てたからである。この賦課課税制度は、第二次大戦後のシャウプ勧告まで存続した。
賦課課税制度のもとでは、法人の課税額がいくらなのかを決定するのも、またそれを徴収するのも課税当局である。それなのに、課税当局には各法人の原初データがなく、納税者の所得がいくらなのかが不明である。そこで法人税制の創設にあたり、課税当局は納税者に対して所得金額届に損益計算書を添付することを求めた。ところが、納税者が提出するこれらの書類には不実記載が多く、公正な課税額を決定するのにはほとんど役に立たなかった。そこで、大正2(1913)年の税法改正時に、財産目録、貸借対照表、損益計算書などへ添付書類の範囲を拡大したが、不実記載は一向に減らず、依然として虚偽、脱漏が幅を利かせることになった。こうした不正な提出書類に対して課税当局は取り締りの強化によって対抗したが、課税当局の高圧的な姿勢は法人税制に対する産業界の反発を強めるばかりであった。
このような実情を受けて、大正2(1913)年の税制改正時に、納税者の申告が誠実なものであればそれを積極的に是認しようとする動きが、課税当局側に生まれた。この自主申告を奨励する運動は、大正9(1920)年の税制改正後にいっそう積極化され、納税者サイドにおいて計算した課税所得を、正直に自主申告しているかぎり、課税当局ではその申告所得を尊重することになった。
この自主申告奨励制度のもとでは、課税所得の計算方法、計算の裏付け方、申告の仕方などについて、納税者と課税担当者とが知識を共有していなければならない。そこで大正9(1920)年の所得税法の改正を受けて、各府県の税務監督局ではまず内部向けの講習会を開催し、この課税担当者の再教育が一巡すると、引き続いて一般の納税者向けに講習会を開くことになった。
この自主申告奨励活動において課税当局が注目したのは、会計帳簿の作成である。当時の商法25条には会計帳簿の作成義務が明記されていたが、罰則がなかったこともあって、この条文は宙に浮いており、日常取引を会計帳簿に記録している法人は、貿易商社、海運会社など、ごく一部の大会社に限られていた。街の商店や工場では、大福帳に債権・債務の増減を記帳するのがせいぜいであり、組織的な会計帳簿を作成している法人などほとんどなかった。しかし、これでは課税所得の自主申告のための資料が揃わないので、事業活動の経過をいかに会計帳簿に洩れなく記録させるか、これが講習会の中心的テーマとなった。しかし、会計帳簿というものは、いったいどのように作成したらよいやら、街の人々は迷うばかりであった。
この場面において最も活躍できたのは、複式簿記であったかもしれない。しかし、大正時代になっても複式簿記は庶民からは遠い雲の上の存在であったし、洋式の帳簿も、ペンもインクもどこにも売られていなかった。入手可能な文具は、和紙を綴じた大福帳、硯と墨と筆、それにソロバンだけであった。アラビア数字を操れる人も多くはなかったと思われる。この環境において、課税当局は会計帳簿の作成をどのように指導したのであろうか。
自主申告の奨励運動は長期にわたって、全国的に繰り広げられたが、その講習会のプログラムはみつかっていない。このため、自主申告奨励活動の内容がどのようなものであったかは、調査の手掛かりがまったくない。断片的な資料によると、出納帳への記帳が奨励されていたようでもあるし、取引の証憑書類を系統的に保存することの重要性が強調されていたようでもある。最も先進的な事例としては複式簿記の解説を試みているケースもあるにはあったようであるが、どのようなテキストを使って、だれが講師になって複式簿記を教えていたのかがはっきりしない。しかし、大正末期から昭和初期にかけて、仮に課税当局の自主申告奨励活動の一環として複式簿記の大衆教育が実施されていたとすれば、この発見は日本の簿記史・会計史において画期的な意義をもつといわなければならない。日本の簿記史・会計史の文献では、高等ビジネス教育機関における簿記・会計学教育に光が当てられることは少なくないが、税制との関連において実施された複式簿記教育が分析された例はこれまでになかったからである。
通説によれば、日本の税制において自主申告制度が確立されるのは、昭和24(1949)年のシャウプ勧告においてである。会計帳簿の作成を前提にする青色申告制度が採用され、納税者の自主申告制度が日本の隅々に行き渡ることになったのは、シャウプ勧告にもとづく戦後の税制改革によるとされている。しかし、大正末期から昭和初期において課税当局により複式簿記教育が実施されていたとすれば、たとえ萌芽的なものであっても、自主申告制度はシャウプ勧告よりも25年も前に、日本の地に生まれていたことになる。
≪参考文献≫
税務関連法令集http://www.nta.go.jp/ntc/sozei/sousho/03.htm
同解説 http://www.nta.go.jp/ntc/sozei/sousho/03shotoku/kaidai.htm
◆瓜生島の沈没(再)◆
九州には桜島、霧島、阿蘇、島原などに活火山があり、あちこちで火を噴いているから、
地震は珍しいことではない。わたしは少年時代を大分県の国東半島で過ごしたから、地震はいつものことで、少々厳しい地震でも腰を抜かすようなことはなかった(ただし、阪神淡路大震災は例外で、あの時には本当に腰が抜けた)。ガタガタと揺れたあとで、棚の上のコップが落ちるようなことは、しょっちゅうあったような気がする。しかし、子供のころに伝え聞いた話で、いまもときどき思い出すのは、地震で大揺れした後、別府湾に浮いていた小島が沈没してしまったという戦国時代ので実話である。
今回の熊本地震はかなり大きな規模のもので、群発する余震もなかなか衰えをみせない。最初は阿蘇周辺だった震源地はいまや東西に広がり、湯布院、別府温泉にも移動しつつあるようにみえる。別府は田圃の用水路からお湯が噴き出しているところだから、地震とは無縁ではありえない。その別府でのお話である。
記録上の最も大きい大分県の過去の地震は「文禄の別府湾地震」――たぶんは慶長豊後地震が正式名――であろう。これは関ヶ原の戦いの4年前に、別府湾の活断層がずれたことによる直下型地震だといわれている。1596年9月4日(閏では文禄5年7月12日)に豊後国別府に発生したこの大地震は周辺に大打撃を与えたが、震源地に地殻変動を引き起こした。最も象徴的な地殻変動は、瓜生島(うりゅうじま)と久光島(ひさみつじま)が海底に沈没したことである。
地震前には、別府湾に2島が浮かんでいて、漁業の基地として周辺の漁民に親しまれていたという。それなのに大地震の後には2島は影も形もなくなって、別府湾の水面には静かな波が漂うばかりになった。地元の若い漁師が素潜りで昔の瓜生島の痕跡を探したところ、神社の階段らしきものが確認できたというが、真偽のほどはいまも不明である。何といっても瓜生島の沈んでいる海底は恐ろしく深く、簡単に調査できるところではないらしい。
現在の別府市の繁華街は海辺の浜脇から西のJR別府駅方面に拡がっているが、その浜脇の東の沖合に久光島が、そして久光島のさらに東に瓜生島があったという。瓜生島の鼻先には現在の大分市の勢家町(大分港付近)があったらしいから、別府と大分は2つの島を介して、海上においてつながっていたことになる。当時の豊後国の首府
は「府内」と呼ばれ、その西方の保養地は「別府」といわれていたから、久光島と瓜生島は、2つの「府」を結びつけつる要路だったわけである。しかし、意外と文献的証拠も少ないらしく、つい500年ほど前のことなのに、事実関係ははっきりしていない。
この別府湾地震に連動する形で発生したのが、慶長伊予地震と慶長伏見地震である。別府湾地震はあちこちに大規模な地震を誘発したが、格別大きかったのが愛媛県の地震と京都府の地震であった。伊予の誘発地震は瀬戸内海の沿岸部に、特に愛媛に壊滅的な打撃を与えたし、京都伏見の誘発地震は、秀吉が建築していた伏見城の天守閣を倒壊させるなどの大被害をもたらした。
◆予算の移用と流用(再)◆
日本政府から給付された国庫補助金をどう使うか、ここの課題である。たとえば、
X先生の研究補助金として1,000万円が支給されることが決まったとしよう。この1,000万円
はX先生の研究助成を目的とするものであり、それ以外の目的に使ってはならない。当り前のことであるが、このことが次の含意をもっていることにまず注意したい。
(1)X先生以外の人間が、この補助金を使ってはならない。Y先生がX先生の補助金を使用すると、それは補助金の「移用」になって、罰則が適用される。移用というのは「目的上の使用」といっても、本来の人物とか本来の部署ではないところに予算を充当することであり、「盗用」にも相当することばである。
(2)X先生が勤務するZ大学の経費を補填するために、この補助金を使ってはならない。大学経費への充当は、X先生の研究の範囲を超えている点では、補助金の「移用」にあたる。大学経費への充当は、X先生の研究目的に含まれない点では、「目的外使用」そのもであり、補助金の「流用」とみなされる。
(3)X先生へ支給される1,000万円は、その使途が事前に(申請時に)決められている。たとえば図書200万円、旅費交通費300万円、研究補助者人件費500万円という明細になっているとすると、この明細は大枠であり、変更することはできない。明細であれ何であれ支出の基本計画を示すのが予算の枠組みであり、予算制度上は「款」という大分類に属するとされている。予算執行において2つ以上の款に跨る補助金の使用は禁じられているから、仮に図書費が30万円余っているからといって、それを旅費交通費に充当すると、補助金の「目的外使用」とみなされ、罰則が適用される。ある款の予算を他の款の予算に回すのは、2つの款を跨ぐ予算執行を意味するのである。
補助金予算の分類においては、「款」は「項」に、「項」はさらに「目」に細分される。この予算枠の細分化がすすむにつれて金額も小さくなっていくが、これに応じて「予算の流用」もその縛りが緩くなる。補助金の流用には(a)正当な理由があって、しかも(b)流用の手続きにしたがっていなければならないが、分類が小さくなると、これら(a)と(b)のいずれにおいても、その内容が簡略化される。「目」にあたる費目では補助金の流用が許されているが、その理由も手続きも厳格な要件は求められていない。しかし、「項」になると、かなり明確な理由が必要であって、上司の決裁を経ている場合でないと、予算の流用は許されない。「款」になると、縛りはさらに厳しくなって、流用禁止となる。
補助金については「事故」が多いが、それは「予算は単なる努力目標であり、達成しても達成しなくてもよい」という甘い考えによることが多い。実際には予算は縛りがタイトな数字であり、予算の枠を踏み越えることは本来は不可能ことなのである。特に大分類の「款」にことことがいえ、この分類枠を踏み越えると、犯罪者になってしまう。
◆会計不正:マスキング価格(再)◆
2015年に発覚した東芝の一連の会計不正の中で、「マスキング価格」ほど珍妙な手口はない。その名称は社内の隠語であったのかもしれないが、字義通りに解すると「覆面価格」を意味するから、事実を隠蔽するヤミ価格が、大手を振って東芝の社内を闊歩していたという印象を受ける。
会計不正では純利益を実際よりも多く見せ掛けるのがふつうである。純利益は次の式で計算される。
収益 − 費用 = 純利益
純利益を実際よりも多く見せ掛けるには、収益を嵩上げするか、費用を隠すかしかないことになるが、ふつうは収益の嵩上げの方が選択される。最も一般的な収益項目は売上高であるから、売上高の過大計上が純利益を多く見せ掛ける最も典型的な手法になる。
ところが、東芝では、費用の過小計上によって、純利益を膨らませたのである。いったいどのようにして、費用を過小に計上することができたのであろうか。この問いに答えるには、費用が増える道筋をまず理解しておいて、次にこの道筋を逆転させて、費用が減少したように見せ掛けるテクニックを使うことになる。
いま商品の仕入れを行って現金\100を支払うとすると、現金が減るが同額の資産(棚卸資産)が増えるから、費用が増えたことにはならない(掛けによって商品を仕入れても結果は同じで、負債(買掛金)と資産(棚卸資産)が同じ額だけ増えることになる)。その商品を顧客に\150で現金販売すると、受け取った現金に相当する売上高\150が計上され、同時に商品の仕入価格に相当する費用\100が計上される。顧客への販売時に計上されるこの費用(売上原価)は、商品という大切な棚卸資産を販売によって失ったという理由によるものである。
(借方)売掛金 15O (貸方) 売上高 150
売上原価 100 棚卸資産 100
収益\150は現金増加額\150に等しいし、費用\100は商品(棚卸資産)の減少額\100と同じである。したがって純利益\50は収益と費用の差額として計算できるが、現金増加額と棚卸資産減少額の差額としても計算することができる。このニつの計算をなにげなくしているところが複式簿記の妙技である。
この予備知識にもとづいて、東芝の不正会計に話をすすめよう。東芝のマスキング価格というのは、架空販売のケースに当たるから、売れてもいないのに売上高を計上するというのが「本来の不正の手口」だといえる。ところが、東芝はこの「本来の不正の手口」を使わなかった。しかし、架空販売だとすれば、話の筋道として、「本来の不正の手口」によっていればどういうことになっていたかを、先に確かめておく必要があろう。
架空販売というのは実際には販売していないのに、販売取引をでっちあげることであるから、マスキング価格をいくらにするかは、好き勝手に決めることができる。東芝がでっちあげたその価格は原価の6倍とか8倍という説があるが、ここでは単純化して5倍だと仮定することにしよう。\100の商品を\500で売ったと偽って、\400の純利益をえたことにするわけである。その場合には、会計学では次の処理をしなさいと、教室では教えている。
(借方)売掛金 500 (貸方) 売上高 500
売上原価 100 棚卸資産 100
本当に販売取引があった場合には、商品の実物が売り手から買い手へ動くし、運賃などの関連経費も発生する。会計監査人は実際の荷動きとか関連経費などを確認して、販売取引が本物かどうかをたしかめるという決まりになっている。だから、商品が倉庫に眠ったままなのに、販売取引あったというニセ伝票を起こすようなことはできない。そこで、東芝の担当者が智恵に智恵をしぼって考え出したのが、OEMである。OEMというのは、「東芝のマークの付いたパソコンを、東芝の指図通りに製造してください」という形で、他のメーカーへ生産を委託することである。材料はすべて東芝が支給し、工賃だけを東芝が委託先に支払う。支給した材料は東芝の商品を委託先に預けただけのことだから、空間的に委託先に移動していても、その所有権は東芝が握ったままである。したがって商品が販売されたことにはならないが、空間的に移動しているので、販売を見せ掛けるには多少は役に立つ、と東芝の担当者には思えたかもしれない。
しかし、OEMという委託取引をそのまま売上高に計上すると、架空販売が露見してしまう可能性が大きい。売上高は監査人にとっても最も重要なチェック項目であり、売上高を操作すると、監査人に簡単に見つかってしまうおそれがある。そこで東芝では、OEMの材料支給分を売上高に計上する処理をあきらめた。「本来の不正の手口」ではみつかりやすいから、その手口を離れて、監査人のチェックが緩い非標準的な手口を採用したのである。その非標準的な不正の手口は、次のような処理になっているという。
(借方)売掛金 500 (貸方) 売上原価 500
売上原価 100 棚卸資産 100
売上高に計上する代わりにマスキング価格\500をそっくり売上原価に計上しているので、棚卸資産の減少額と差し引きすると、売上原価はマイナス\400となっている。売上原価は費用項目なので、売上原価が\400少なくなるとれば、それだけ純利益は増加する。純利益が\400増加するということは、結果において架空売上を\500計上したのと同じことになる。
東芝では、翌期にOEMのパソコンが納品された時点で、上の架空販売の処理をすべて取り消すとともに、たとえば外注加工費\50を計上して、実際の取引処理に引き戻している。
(借方)売上原価 500 (貸方) 売掛金 500
棚卸資産 100 売上原価 100
(借方)外注加工費 50 (貸方) 未払金 50
上半分は前期の架空取引の取り消しであり、下半分は本来の委託製造による工賃の計上である。架空販売を取り消せば元に戻ったようにみえるかもしれないが、そうではない。前の年度に\400の架空利益を公表済みであるから、会計不正はすでにその目的を達成しているのである。
さて、ここでマスキング価格という会計不正が、監査においてなぜ発見されなかった点にも、注意を促したい。たしかに架空販売によって売上高は嵩上げされていないが、その言い訳は通用しないであろう。架空販売による売掛金(あるいは特別の「未収入金」とされていたかもしれない)は計上されていたのであるから、通常の監査手続きにおいて、この営業債権の存否は期末に必ず確認されなければならないことであった。また、マイナスの売上原価というのも、大量の返品でもなければありえない会計処理なのであるから、監査人が見落としてはならないことである。しかも、期末の架空販売の処理を翌期にそっくり取り消しているのだから、巨額の金額を期初に修正処理しているという異常性だけからしても、監査に手抜かりがあったというそしりは免れないであろう。
◆次回の更新◆
次回の更新は、11月ごろを予定しています。秋風とともに身体の動きが軽くなり、旅行、パーティ、スポーツなど、ますます盛んになってきます。ご健康にはくれぐれもご留意いただいたうえで、この秋の日々を存分にお楽しみください。ごきげんよう、さようなら。
2016.08.15
OBENET
代表 岡部 孝好

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