A Message from Webmaster to New Version(July 01, 2015)
2015年07月版へのメッセージ
OBE Accounting Research Lab
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[1995年10月 ラボ開設のご挨拶][
Webmasterからのメッセージのバックナンバー]
◆浜寺公園のバラ◆
南海電車で大阪湾沿いに南に向かい、大和川の鉄橋を越すと賑やかな堺の街に出る。この堺のさらに南に行くと広大な松林が拡がっているが、
そこが浜寺公園である。浜寺公園の西側の海浜には多数の工場群が立ち並んでいるが、その内海の東側には松の巨木や桜が枝を拡げていて、
涼しげな日蔭をつくっている。この公園の中には大きなバラ園があって、やや盛りを過ぎた感じではあるものの、いまもいろいろな美しい花
の色を楽しむことができる。
浜寺公園は昔は大阪・京都の避暑地とされていたところであるから、周辺には広大なお屋敷がいまも残っているが、見物の1つは南海電車本線の
駅舎である。「浜寺公園駅」では、明治中期に建造された木造平屋建の駅舎が、いまもそのまま使われている。簡素でありながらなかなか趣
のある明治の建築物である。しかし、南海電鉄本線はいま高架工事をすすめているから、この文化財に指定されている駅舎もいずれは取り壊
されることになるのかもしれない。
◆トヨタ自動車と豊田利三郎◆
トヨタグループの源流をなすのは豊田自動織機製作所(現在では「豊田自動織機」が正式社名)。この会社の初代の社長が豊田(旧姓児玉)利三郎
(1884年-1952年)である。豊田利三郎は滋賀県彦根市の「児玉」家に生まれ、創立間もない神戸高商に2期生として入学した。神戸高商を1908年
に卒業すると、現在の大学院修士課程に相当する東京高商専攻部に進学して、さらに2年間学問を積んだ。東京高商専攻部の卒業後には伊藤忠商店
に就職し、早速、新設のマニラ支店に派遣され、その初代支店長に就任した。バリバリの商社マンとして、そのスタートを切ったわけである。
豊田利三郎には児玉一造というお兄さんがいたが、この児玉一造もバリバリの商社マンであり、三井物産の綿花事業部長を務めた後、東洋棉花(後のトーメン、
現在の豊田通商)を興し、その社長として商才を発揮した。この児玉一造が事業展開していた綿花のビジネスが豊田佐吉の自動織機製造の事業と接するところが
多かったらしく、2人の間には長らく親密な交友関係がつづいていた。この実兄の関係により、豊田佐吉の長女愛子と児玉利三郎の間に縁談が持ち上がり、1915
年に利三郎が婿養子として豊田家に入り、佐吉の自動織機事業をバックアップすることになった。1926年には豊田自動織機製作所が新たに設立される運びになった
が、その初代社長に就任したのも豊田利三郎であったし、また11年後の1937年にトヨタ自動車工業株式会社が設立されたとき、その初代社長に選ばれたのも
豊田利三郎であった。こんにちのトヨタ・グループの基礎を築いた1人が、豊田利三郎なのである。なお、豊田佐吉には長男がいたが、その豊田喜一郎が利
三郎の後を受けて、トヨタの自動車工業を飛躍的に発展させていった。
2015年6月、愛知県豊田市を訪れる機会があったので、「トヨタ鞍ヶ池記念館」を見学することになった。池端の広い芝生の上に散在するいく棟かの建物の
中には、豊田佐吉、豊田利三郎、豊田喜一郎の往年の業績を称えるパネルが展示されていたし、古い木製の織機なども陳列されていた(写真)。いまでこそトヨタは
ビジネス界のトップリーダーとして世界に光り輝いているが、その歴史は血の滲む苦労の連続であったらしい。この記念館のパネルで語られていることも、成功
物語というよりも苦労話が大部分を占めており、こころが洗われる逸話にいくつか出合うことができた。なお、自動車に関する博物館は別にあり、この記念館
には自動車関連の展示物はおかれていない。
◆戦後の資産再評価法と渡辺進先生◆
第二次世界大戦後、例によって大インフレが激進して、取得原価基準の会計制度はもはや耐えられなくなってしまった。販売目的の棚卸資産は頻繁に入れ
替えられるから、この入れ替えにともなって新しいその時々の時価を反映する価額に自動的に変更されるが、設備などの固定資産は古い戦前の価額に据え
置かれたままになっている。このため、減価償却費などがまったく無意味な数字になっていた。この状況を受けて「物価変動会計」の議論が巻き起こされ、
「資産再評価法」の立法という臨時措置によって苦境を切り抜けるということになった。日本では、この「資産再評価法」が三次にわたって施行された。
日本における資産再評価法の特徴は、次のような点にあった。
(1)資産の再評価によって資産を再評価するかどうかは強制的なものとせず、会社の選択に任せる。
(2)資産再評価の対象資産は固定資産とするが、どの固定資産を対象資産に含めるかは会社の判断に任せる。
(3)資産を再評価すれば、原価と時価(取替原価)との間に差額が発生するが、この差額――再評価積立金――は資本剰余金とし、純資産の一部とする。
(4)再評価積立金は配当の財源には充当できないものとするが、過年度から累積している欠損金の填補に当てることができる。
後年になってこの資産再評価法に触れた学術論文を読んだ覚えがあるが、そのほとんどは「どの時価が正しいか」、「減価償却費の計算はどうなったの
か」など、資産の評価額とか、費用の計上額の正当性にかんする議論が大勢を占めていたように思う。取得原価と時価の差額は資本剰余金として隔離され、
利益計算の枠外に放出されていたから、大筋において会計学上の問題は少ないとみなされ、学会ではほぼ肯定的に受け止められていたのである。
最近になって太田哲三先生の回顧録(*)を拝読していたところ、こうした資産再評価法に対するわたしの解釈が見当違いであったことが
わかってきた。資産再評価法は実質的には「会社再組織法」ともいうべきもので、疲弊した会社の「新出発」(fresh start)を促す会計手法
であったのである。なぜそういう解釈になるかというと、次のような理由があげられる。
*太田哲三著、『会計学の四十年』(中央経済社、昭和31年)。
(1)好業績の会社とか繰越損失(欠損金)がほとんどない会社においては、資産再評価の実施を差し控え、固定資産を引き続いて取得原価で評価する
傾向が一般的であった。これは、旧来の低い固定資産価額を継続すると減価償却費が少なくてすむので、純利益が膨らみ、配当を続けるのが容易だった
ことによるとみられている。
(2)巨大な繰越損失(欠損金)を抱える会社は資産再評価をすぐさま実施して、固定資産価額を膨らませる一方において、多額の再評価積立金を計上した。
そしてこの多額の再評価積立金を利用して、過年度からの繰越損失(欠損金)を一掃してしまった。この結果として、繰越損失(欠損金)を抱えていた会社
でも配当が可能となり、復配するケースが目立って増えた。
(3)資産再評価を実施した会社側の理由は、固定資産価額を適正にするとか、減価償却費の計算を適正にするということではなかった。会社が固定資産を
再評価したのは戦時に積み上がった繰越損失(欠損金)の圧迫を逃れるためであり、繰越損失(欠損金)の消去によって、会社の新出発を図るのが主たる目
的をなしていた。
終戦直後というのは、大砲や戦闘機を作っていた会社も作るものがなくなって、ナベ・カマを作って従業員を養っていた時代である。増資などとても出来
る環境ではなかったし、借金しようにも銀行がお金をもっていなかった。それなのに会社は資金に窮していて、出資や貸付けを模索していた。しかし会社
の繰越損失(欠損金)が障害になって、身動きがとれなくなっていた。債務超過の会社とか債務超過に瀕している会社に出資するとか、貸出しをするなど
ということは、当時でもとんでもないことであったのである。そこに資産再評価法という一陣の風が吹いて、繰越損失(欠損金)がどこかに吹き飛ばされ
たのである。債務超過に喘いでいた会社は立ち直り、戦後の復興に光が射しはじめた。
昭和23(1948)年ごろ、この資産再評価法の立法を政府に建言したのは紡績連合会であったが、その原案を立案して建議書を書いたのは東洋紡経済研究所
次長の渡辺進氏であった。渡辺進氏は1950年に神戸大学経済経営研究所教授に迎えられ、1967年に定年退官するまで、神戸大学の会計学スタッフとして活
躍された。名著の名が高い渡辺進著『棚卸資産会計』(1958年)は、氏の代表作の1つである。
わたしは昭和42(1967)年に神戸大学経営学部を卒業し、昭和44(1969)年に経営学研究科修士課程を終えているから、わたしの在学期間は渡辺進先生の在任期
間と重なっているところがある。しかし、研究所に渡辺先生という偉い大先生がおられるという話は何度か耳にしたが、残念なことにお会いする幸運には恵
まれなかった。資産再評価法に渡辺進先生が関与されていたという話はまったく耳にしていなかったうえに、渡辺先生は棚卸資産の専門家で、固定資産には
無関係と思い込んでしまっていた。惜しい機会を逃したものである。
◆議決権行使助言会社◆
日本では上場会社の7割が3月末決算会社。会社は決算後3月以内に株主総会を開かなければならないから、6月にはあっちでもこっちでも株主総会
ということになる。株主総会ということになると、それほどの規模の会社でなくても数千人の株主が集まってくるから、劇場、ホール、体育館、宴会場の
類はどこもここも満杯で、株主たちでごった返すことになる。いまや株主総会は、日本の都心を彩る初夏の風物詩になっている。
ここ10年ほどの間に、日本の会社に投資する外人株主が激増し、なかには発行済み株数の50%を超す株式を外人株主が保有する会社も出てきている。こうした
外人株主も株主総会の議決権を握っているから、発行会社の方からみると、外人株主がどのように議決権を行使するかは重大な関心事である。大きな割合の株
式を保有している機関投資家の意向は特に重要で、これらの「物言う株主」が株主総会で騒ぎ出すと、会社が提案する議案などひっくり返えることになりかね
ない。だから、発行会社の立場からしても、特に外人の機関投資家には直接にコンタクトをとって、議案の内容の詳細を、事前に詳しくご説明申し上げておきた
いところである。しかし、これが簡単にできることではない。外人の機関投資家は海の向こうに遠くは離れているし、日本語も通じないから、コミュ
ニケーションをとるのがまず困難である。しかし、これよりももっとむずかしいのは、時間の切迫である。株主総会の開催通知は3〜4週前に発送されるが、
それだけの間に総会資料を翻訳し、内容を理解していたく資料を作成して、そして総会で表明するであろう意見を聞き出すには、とても時間が足りないのであ
る。そこで出番になるのが、「議決権行使助言会社」である。
議決権行使助言会社というのは、外人の機関投資家向けのサービス会社で、株主総会において議決権をどう行使したらよいかを進言するのを商売にしている。
外人の機関投資家の立場からすれば、議決権行使助言会社の意見を事前に聞いておいて、その進言通りに投票すればよいわけだから、有料だといっても、大助
かりであることはたしかである。しかし、問題は議決権行使助言会社の進言の内容である。
外人の機関投資家の間には、日本の会社では経営陣の政策にかなり偏りがあって、株主を最優先にする原則が貫かれていないのではないかという疑念が拡がっ
ている。かつてのように労働組合に引きずり回される会社は目立たなくなっているにしても、従業員の処遇を大切にすることばかりを経営陣が考えていて、
赤字を垂れ流す工場を温存する会社が日本には多いと外人の機関投資家はよく指摘する。銀行との親密な関係を大事にするの日本の会社のやり方も、外人の
機関投資家からすれば嘆きの種であり、会社運営の美味しい果実は取引銀行に先に取られてしまっているのではないか、と疑っている。しかし、こうした根
本的な経営方針が株主総会の議題に掲げられることはないし、したがってまた外人の機関投資家においてはこれらの大事なテーマについては、議決権行使助
言会社から助言サービスを受ける機会はないのである。
株主総会の典型的な議案は役員の選任と配当政策の決定であるが、前者については社外役員の選任が、後者については低配当額の固定が外人の機関投資家の
関心の的である。しかし、これらの議案については最近では会社側で事前の配慮がなされていることが多いから、外人の機関投資者の「出る幕」は少なくな
っている。
昔の株主総会では「総会屋」が大活躍し、「サンセイ」、「サンセイ」という総会屋の大音声で議事が猛スピードで進行したことが少なくなかった。なかに
は20分で全議題の審議を完了したケースもあったと聞いたことがある。さすがに最近はこういう極端なケースは姿を消してしまったが、「議事が滞りなく」
終了するのを歓迎する傾向がまたもや強くなったように思われる。外人の持株比率が増加したのに、その外人株主の意見が株主総会に出てこないのも一因で
あると思われる。外人株主が増加してきているのに、その意見表明を支援する議決権行使助言会社が十分に機能を発揮していないのも、その一因であろう。
株主の意見を会社の経営陣に正確に伝える――これが会社ガバナンスの基本なのだから、議決権行使助言会社もこの会社ガバナンスの視点から、そのサービス
の中身を練り直すことが必要とされる。
◆シラー教授の CAPE 比率(再)◆
Robert J. Shiller博士は2013年のノーベル経済学賞の受賞者で、Yale大学の現職教授である。このほどみずほ証券の招きで大阪を訪れ、講演された。講演
会の会場は西梅田の高級ホテル、リッツ・カールトン。その2階の大広間は、900人の聴衆で埋め尽くされていたが、若者はほとんどみかけられず、
シニアの善男善女が参集する大寺院の大広間のようであった。同時通訳つきとはいえ、お話はかなりのハイ・レベルであったのに、会場には研ぎ澄
まされた雰囲気が漲り、しわぶき1つ聞こえない。こういう第1級の議論についてけるのだから、日本の老人も捨てたものではない。
2014のノーベル経済学賞受賞者のFama教授(シカゴ大学)が「市場は神である」といっているというのが、話の切り口である。市場は何もかも知り尽くし
ているのだから、「市場に訊け」と説くのがFama(と大多数のエコノミスト)である。これに対してShillerは、「市場は神ではない」という。
「完全な神が決めた朝の株価(ダウジョーンズ平均株価)と夕方の株価が20%も食い違ってくるようなことがありうるだろうか」と自説の展開をはじめる。
「市場は神のように完全な存在ではなく、不安、望みのような心理的要因によって影響される」という。Shillerが開拓した行動金融論(behavioural finance)
は、こうして始まる。
行動金融論というと突飛な話につながっているようにも思えるが、Shillerの考えは意外にもジミである。株価(企業価値)の基礎は「会計上の利益」だとみて、
われわれが常日頃そうしているように、利益にもとづいて株価を評価しようとするのである。ただ利益は短期的要因によって大きく変動するので、長期的観点
に視野を拡げ、さらに攪乱要因を取り除く必要があるという。もっと具体的にいうと、10年程度の長期的な移動平均利益を基礎にして、それにインフレ
率などの修正を施すのだそうである。
この長期的な移動平均利益と移動平均株価とを対比した市場指標がCAPE(The Cyclically Adjusted Price-Earnings ratio)であり、証券アナリストの間では
"Shiller's CAPE"という名で広く知られているところである。過去の長期間の株価の動きをこのCAPEによって遡及して分析してみると、
CAPEの予測能力は高く、1929年の大恐慌、1999年のITクラッシュ、2007年のリーマン・ショックもその発生が予見できたという。
会計上の利益数値が株価のベースだとする企業価値評価論を1930年代に展開したのは、Benjamin Graham and David Doddである。Shillerはこの古典と同じ
考え方によって、利益数値から将来配当を予測し、将来配当から株価を導いている。Shillerは一方では行動金融論というド派手な理論を展開しているが、そ
の拠り所はきわめてオーソドックスで、堅実である。証券市場の実務家でPER(Price-Earnings Ratio)を使わないひとはいないが、CAPEというのはそのPERに
少しばかりの手を加えたものでしかないから、CAPEという指標も業界人に馴染み易いものである。Shillerが大衆受けする理由の1つは、ここにあるのだろう。
Shiller理論の問題点の1つは、市場の不安材料が特定されていないことであろう。市場が心理的要因に左右され、悩み、不安、圧迫などによっても株価が変
動するというのは、否定しえないことである。しかし、どの心理要因が、いつ、どのように株価にインパクトを与えるのかははっきりしていない。この点で、
将来に残されている課題も少なくないと思えてならない。
◆隠密の商い(再)◆
戦国時代の武将は敵地に隠密を放ち、敵状を探らせたが、刀を腰にした武士姿の隠密も黒装束で固めた忍者姿の隠密も、敵地で警戒されて、
お役目を果たせなかったと思われる。どの敵地でも他国人の潜入に目を光らしていたから、その警戒網を潜りながら各地を移動し、
秘密情報を収集する仕事は、困難をきわめたにちがいない。
時代小説に登場する最も一般的な隠密の「職業」は、旅商人である。旅商人を装って、小商いを続けながら諸国を遍歴すれば、怪しまれずすむ
。敵地の役人に捉えられ、尋問された場合でも、ちゃんとした商人であることを立証できれば、言い逃れできる可能性が大きい。し
かし、旅商人に化けるとしても、いったい何を売り歩けばよいのであろうか。ひとまず採算は度外視するとしても、怪しげな商品では
身元を隠しおおせないし、旅廻りなのに日持ちのしない商品とか高級すぎる商品では商いそのものが成り立たない。ワラジ履きの
旅商人がひとりで担げる量にも限界があって、重すぎる商品や嵩張りすぎる商品も、話にならないであろう。
真田幸村の配下は、あの真田紐を売り歩いたというが、真田紐は当時でもブランドもので、メーカーが容易に推定できたから、隠密が売り歩く
商品として適切であったどうかは、かなり疑わしい。大和郡山の筒井順慶の配下は特産のカヤ売りを特技にしていたというが、カヤは夏場だけ
の季節商品であるうえに嵩張るから、たとえば関東の甲州とか上州まで足を延ばすのはむつかしいことであったろう。隠密の商いには一番適し
ているのは、誰もがほしがる一般的な必需品で、安価で、持ち運びが簡単な小物がよい。
こう考えていくと、富山の薬売りが隠密に向いた仕事であったという考えが浮かぶ。なかでも貝殻などの小ぶりの容器に詰めた「秘薬」は、
隠密が売り歩く商品に一番適していたのではないであろうか。薬草をすり潰した整腸薬とかマムシのエキスを溶かした切り傷用軟膏などは、持ち
運びが楽であっただけでなく、それなりの効能が期待できたから、農漁村などでも広く受け容れられ、隠密の商売なのか本業なのか見分け
がつかないほどであったにちがいない。
隠密の旅商人が扱った商品の中で最高傑作の1つは、おそらくは明智光秀の配下が売り歩いた針と糸である。針と糸は生活必需品であるのに、
各家庭で簡単に自作できるようなものではない。このため、どこに廻っても消費者に歓迎され、商品がよく捌けたと思われる。針と糸は運搬が簡単
であるし、販売単価は高くはなりえないから、代金の回収でトラブルが引き起こされるようなこともなかったであろう。
針と糸の商売を考えついたのは、明智光秀自身ではなく、その参謀であったとすれば、明智光秀はよい家来に恵まれていたことになる。しかし、
これは隠密の旅商人が扱った商品の選択のことであり、その旅商人が入手した機密情報に関することではない。明智光秀が針と糸の旅商人か
らどれほどよい機密情報を手にしていたのかは、いまなお未知のことである。
◆スチュワードシップ・コード(再)◆
スチュワードシップ・コード(stwardship code)というのは、機関投資者がしたがうべき行動規範を列記したものをいう。イギリスでは2010年に明文化されて
いたが、最近では日本においても関心が高まり、2014年になって金融庁においてガイドラインが定められれた。機関投資者は個人投資者の資金の運用
を任された受託者であるから、受託者として個人投資者の最善の利害(the best interest)に沿って投資行動を選択する義務を負っている。この義務が
スチュワードシップ(stwardship)の原義であり、明文化されるかどうかかわらず、機関投資者としては当然に遵守しなければならない行動規範である。し
かし、この当たり前の義務をあえて明文化して、その遵守を機関投資者に押し付けなければならない点に、現代のビジネス社会の苦渋がある。機関投
資者は資金委託者の個人投資者の利害よりも、オノレの利害を優先する傾向がなくならないのである。悪くすると、個人投資者を食い物にする、アクド
イ機関投資者も次々に現れてくる。
「委託者にとって最善のことだ」と機関投資者が本気で信じている場合であっても、その投資先がスカタンで、結果的には個人投資者に損害を与える
ことが少なくないが、こういった場合にはスチュワードシップはいったいどうなるのであろうか。このケースはやや微妙ながら、きわめて重要である。まず第1に、
機関投資者は「委託者にとって最善のことだ」と本当に思っていたのに、機関投資者が投資に失敗して、委託者の個人投資者に損をさせるケースが実際には
きわめて多い。第2に、機関投資者はいいかげんな投資行動を選択して、個人投資者に損害を与えているのに、「委託者にとって最善のこと」をやったと釈
明するケースも、これまた実際にきわめて多い。だから、「機関投資者は委託者にとって最善のことをやるべし」と定めたところであまり意味はなく、「学生は勉
強すべし」というのと同じ絵空ごとにしかならないおそれがある。
委託者の利害にあからさま反する機関投資者の行動がスチュワードシップに違背することは、もちろんのことである。しかし、実際において「委託者の利害に
反する行動であった」ことを立証するのは容易なことではないから、機関投資者の違反行為を締め出すのはたいへんな難事業である。これよりもさらにむつ
かしくなるのが、機関投資者が「委託者にとって最善のこと」をやろうしたのに、結果においてそれが実現されていないケースである。スチュワードシップ責任
がはたされていないのは結果から明らかようであるが、判断がむつかしい。本当にやろうとしていたのか?、手を抜いたのではないか?、やり方が甘かったの
ではないか?、言い訳をしているだけではないか?、こうした疑念が限りなく
湧いてくる。スチュワードシップの責めを完全に果たすとすれば、こうした疑念をすべて晴らすことが必要とされるが、それは神様のみができることで、人間
には無理なことであろう。実際には、どうコードを定めるべきであろうか。
スチュワードシップの責めを果たす1つの実際的な途は、「わたしは一所懸命に委託者のために頑張りましたが、結果はこれこれとなしました」と、委託
者に向けて機関投資者が「言い訳をする」ことだといわれている。機関投資者の投資行動が思惑通りのよい結果を生むようなことは滅多にないことなのだから、
結果がうまく行かないという想定で、機関投資者が「あれもやりました、これもやりましたが、結果がこの通りで、すいません」というふうに「申し開き」を
するというのである。これを「報告責任」、「説明責任」、あるいは「会計責任」と呼んでいるが、問題はこの「申し開き」を委託者の個人投資者が納得してくれる
かどうかである。
金融庁のスチュワードシップ・コードは、こういう主旨から、スチュワードシップ責任を果たす基本方針、投資先企業のモリタリングの方針、議決権
行使と株主総会への対応などについて、機関投資者がそれぞれの基本指針を公表することを求めている。その「申し開き」が適切かどうかは、読
者の判断にお任せするほかはない。
◎金融庁 日本版スチュワードシップ・コに関する有識者検討会 「責任ある機関投資家」の諸原則
≪日本版スチュワード シップ・コ日本版スチュワード シップ・コード≫〜 投資と対話を通じて企業の持続的成長促すために〜
◆次回の更新◆
次回の更新は09月を予定しています。あちこちで新種の病気が流行っているみたいですので、気をつけましょう。これから夏の本番を迎えますが、
くれぐれもご自愛ください。ごきげんよう、さようなら。
2015.07.01
OBENET
代表 岡部 孝好

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