A Message from Webmaster to New Version(March 20, 2015)
2015年03月版へのメッセージ
OBE Accounting Research Lab
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[1995年10月 ラボ開設のご挨拶][
Webmasterからのメッセージのバックナンバー]
◆新時代のタクシー◆
街角で手を挙げて、流しのタクシーを拾う――こうした風景はもう過去のものになったのかもしれない。外出の足に車がほしいときには、ポ
ケットからスマホを出して、画面の「車」のロゴにタッチすればよい。そうすれば、スマホが周辺に駐車している多数のドライバーのスマホに
信号を送り、ドライバー側のスマホの地図の上に小旗を立て、車が必要な「顧客」の位置を知らせる。顧客の場所が近いか遠いか、他
のドライバーがどう動くかなどを判断して、ドライバーは自分の車のスターターを回すかどうかを決める。そして、行くとなれば「ただいまお
迎えに」というサインを顧客に送り、数分以内に顧客の傍に車を横づけにする。サンフランシスコの街角で、いまよくみかける光景である。
外出の足が必要な顧客とその顧客を乗せるドライバーを結び付けているのは、スマホにダウンロードされている1本のソフトである。一番人気のソ
フトは"Lyft"というのだそうであるが、顧客とドライバーの両方がこのソフトをスマホに乗せておくと、それだけで顧客とドライバーの「マッ
チング」が可能になる。「車」のロゴのタッチを受けてマッチイングが完了すれば、ドライバーは顧客を乗せて、行先に向けて車を走らせる。
目的地に到着すると、"Lyft"が走行距離を測定していて「料金」を教えてくれるから、顧客はクレジットカードによって決済する。これで、すべ
てが終る。顧客への会計報告もドライバーへの会計報告も、"Lyft"が毎月まとめて、後からメールで通知する。
ここでドライバーというのは、ふつうの自家用車のドライバーであり、主婦、学生、定年退職者、失業者など、その「本業」はさまざまである。
日本の第二種免許に相当する特別のライセンスをもっているわけではないし、「XXタクシー」といった運輸会社の従業員であるわけでもない。
車は自分持ちのものであり、車の屋根に「XXタクシー」といった標識燈を載せているわけでもない。ドライバーも車も、まったくふつうの自
家用車であり、日本流にいうと「白タク」である。
これらのドライバーは街角に駐車しており、車内で本を読んだりテレビを観たりしながら、日頃は暇つぶしをしている。"Lyft"が"ピー"と鳴っ
て、チャンスが訪れたときには、すぐに車を回して顧客を拾うだけのことである。どちみち車も体もは遊んでいることだし、車を
走らせることは苦になることではない。そのうえに顧客が拾えれば、けっこういい小遣い稼ぎになる。
スマホに"Lyft"をダウンロードして「客待ち」をしている自家用車は、シスコの街にはあちこちにいる。だから顧客の方が待たされるような事態は、
起きる心配がない。顧客にとって一番早くて便利なのは"Lyft"であるし、また"Lyft"の方がはるかに料金が安い。"Lyft"の仲間の間でも競争が激
しいから、ドライバーは車をピカピカに磨いたり、顧客を退屈させない話題を用意したりして、競争優位に立とうとしている。このことの結果として、既
存のタクシーに乗る人はいなくって、タクシー業界は干上がりそうになっている。アメリカのことであるから、タクシー会社と"Lyft"との間で派
手な訴訟合戦が展開されているという。
ご存じのように、アメリカでもタクシー業界は規制産業であるから、認可を受けた事業者だけが、認可を受けた地域内だけで事業を営むことが
できる。料金も認可制で、決められた金額を指定のメーターで計って請求するというのが決まりである。日本ほどには厳しくはないとしても、ア
メリカでもタクシー事業では、車両にもドライバーにも、一定の要件の充足が要求されている。それなのに、"Lyft"を使う白タクたちは、こう
したルールを一切無視して、勝手気ままに「無許可タクシー業」を楽しんでいるのだから、既存のタクシー事業者が怒り出すのは当然の成り行き
である。違法な事業を放置することは法治国家では許されることではないと、タクシー事業者は口角に泡を飛ばしながら行政責任も追及してい
るという。しかし、ここで浮かび上がってくるのは、規制そのものにかかわるもっと根本的な問題である。はたしてタクシー業界に規制は必要
なのであろうか。次の点に注意したい。
(1) 自動車の製造技術は著しく改善され、最近では「自動運転車の実用化」が話題になっているほどである。それのなのに、タクシー事業用車だと
いう理由で、規制によって特別の仕様を要求することは必要なのであろうか。ふつう仕様の自家用車でも十分に安全に顧客を輸送することがで
きるのだから、タクシー事業用の車両に何か特別なことを要求するのは、過剰規制である。
(2) 自動車の運転技術は特別な技能ではなく、いまはだれもが安全に車を操作することができる。VIPを輸送するというわけではない
のだから、規制によってドライバー・ライセンスを定め、特別な運転技能を要求する必要はないであろう。
(3) タクシー事業には、法外な料金を請求する不正が発生するおそれがないとはいえないが、"Lyft"のようなコンピュータ・システムに
よって実際の走行距離にもとづき、正確な料金請求が行われるのであれば、料金の計算と請求の仕方にまで規制を加える必要はないであろう。
(4) タクシー業界には、わざと遠回りをする「雲助運転」が頻発した歴史があるが、"Lyft"のようなコンピュータ・システムによって
乗降位置と時間、走行経路などを精密に追跡するとすれば、特にそのための規制がなくとも、そうした「雲助運転」は防止できるであろう。
とんでもない猛スピードで車を走らせたり、赤信号を突っ切ったりする危険なドライバーとか、車体を傷だらけにしている下手くそなドライバー
が世の中に少なくないのも事実である。また、すり減ったタイヤの車とか、マフラーから黒煙を吐き出す欠陥車などが、大通りを堂々と走ってい
るのを見かけることもないわけではない。さすがにタクシー事業用車にはこのような事例が発生する余地はないと思われるが、これが規制の結果なの
かどうかは疑わしい。危険運転の防止はタクシー業界だけに重要なのではなく、すべての車両に重要な課題だといえるし、また車体の整備につい
ても同じことがいえる。交通ルールの順守とか、車体整備とかはタクシー事業用車だけの課題ではなく、すべての車両に共通する課題なのである。
したがって、規制を掛けるのであれば、タクシー事業に限定するのではなく、すべての車に規制を拡げなければならない。現に日本では国際的にみてき
わめて稀な厳しい車検制度が存在するが、この結果として、日本では「オンボロ車両」が走り回る確率が外国に比べて著しく低くなっている。
タクシー事業には、婦女子やハンディキャップ・パーソンを安全に輸送するという「公共性」があるし、その中には「24時間切れ目なしに」とい
うサービスが含まれる。現行の規制をすべて取り払っても、こうした公共性が確保できるようにするには、なお検討すべき余地が残されているこ
とはたしかである。安全輸送を脅かすリスクを減らすには、ドライブ・モニターの設置だけでなく、車内用のモニタリング装置を開発して、普及
させることも不可欠かもしれない。しかし、これらは、やろうとすればできないことではない。
いずれにしても、アメリカでは、すでに「新時代のタクシー」が始まっている。これによって顧客にとっては利便性が明らかに向上しているが、
このことがもたらす波及効果も見落とさないようにしたいものである。
(1) アメリカにおいても自家用車はステータス・シンボルであり、最近でも高級乗用車に乗り換える動きは止まっていない。その高級自家用車
は通常はガレージに眠ったままになっていて、埃をかぶっている。これを「顧客輸送用」に転用することは遊休資源を活用することを意味する。
(2) 白タク事業を始めたドライバーは専業主婦、定年退職者、失業者などであり、ヒマを持て余している。これらの「遊休人的資源」に活躍の
機会を与えることは社会的メリットが少なくない。
(3) 白タク事業の「起業」を見込んで新車を買う例が少なくないといわれているし、また白タク事業に従事する「奥様方」の間では新しいファッシ
ョンが流行っていて、新しいスタイルのパンツやブーツがよく売れるという。こうした需要の刺激によって、アメリカ経済も活性化されている可
能性が大きい。
◆シラー教授の CAPE 比率◆
Robert J. Shiller博士は2013年のノーベル経済学賞の受賞者で、Yale大学の現職教授である。このほどみずほ証券の招きで大阪を訪れ、講演された。講演
会の会場は西梅田の高級ホテル、リッツ・カールトン。その2階の大広間は、900人の聴衆で埋め尽くされていたが、若者はほとんどみかけられず、
シニアの善男善女が参集する大寺院の大広間のようであった。同時通訳つきとはいえ、お話はかなりのハイ・レベルであったのに、会場には研ぎ澄
まされた雰囲気が漲り、しわぶき1つ聞こえない。こういう第1級の議論についてけるのだから、日本の老人も捨てたものではない。
2014のノーベル経済学賞受賞者のFama教授(シカゴ大学)が「市場は神である」といっているというのが、話の切り口である。市場は何もかも知り尽くし
ているのだから、「市場に訊け」と説くのがFama(と大多数のエコノミスト)である。これに対してShillerは、「市場は神ではない」という。
「完全な神が決めた朝の株価(ダウジョーンズ平均株価)と夕方の株価が20%も食い違ってくるようなことがありうるだろうか」と自説の展開をはじめる。
「市場は神のように完全な存在ではなく、不安、望みのような心理的要因によって影響される」という。Shillerが開拓した行動金融論(behavioural finance)
は、こうして始まる。
行動金融論というと突飛な話につながっているようにも思えるが、Shillerの考えは意外にもジミである。株価(企業価値)の基礎は「会計上の利益」だとみて、
われわれが常日頃そうしているように、利益にもとづいて株価を評価しようとするのである。ただ利益は短期的要因によって大きく変動するので、長期的観点
に視野を拡げ、さらに攪乱要因を取り除く必要があるという。もっと具体的にいうと、10年程度の長期的な移動平均利益を基礎にして、それにインフレ
率などの修正を施すのだそうである。
この長期的な移動平均利益と移動平均株価とを対比した市場指標がCAPE(The Cyclically Adjusted Price-Earnings ratio)であり、証券アナリストの間では
"Shiller's CAPE"という名で広く知られているところである。過去の長期間の株価の動きをこのCAPEによって遡及して分析してみると、
CAPEの予測能力は高く、1929年の大恐慌、1999年のITクラッシュ、2007年のリーマン・ショックもその発生が予見できたという。
会計上の利益数値が株価のベースだとする企業価値評価論を1930年代に展開したのは、Benjamin Graham and David Doddである。Shillerはこの古典と同じ
考え方によって、利益数値から将来配当を予測し、将来配当から株価を導いている。Shillerは一方では行動金融論というド派手な理論を展開しているが、そ
の拠り所はきわめてオーソドックスで、堅実である。証券市場の実務家でPER(Price-Earnings Ratio)を使わないひとはいないが、CAPEというのはそのPERに
少しばかりの手を加えたものでしかないから、CAPEという指標も業界人に馴染み易いものである。Shillerが大衆受けする理由の1つは、ここにあるのだろう。
Shiller理論の問題点の1つは、市場の不安材料が特定されていないことであろう。市場が心理的要因に左右され、悩み、不安、圧迫などによっても株価が変
動するというのは、否定しえないことである。しかし、どの心理要因が、いつ、どのように株価にインパクトを与えるのかははっきりしていない。この点で、
将来に残されている課題も少なくないと思えてならない。
◆岸和田の岡部長景と西条の伊藤述史(再)◆
岸和田といえば「だんじり祭り」の街で、秋口には狭い町筋をだんじりが激しく駆け回ることで知られている。街の中央には三層の立派な城郭が聳えているが、このお城が第二次大戦後に再建された岸和田城である。お城を取り巻く石垣とお濠は昔の姿そのままに残されており、お濠の外には武家屋敷の家並がいまもつづいている。
岸和田藩は、江戸時代の終わりまで13代にわたり岡部家5万石によって治められていた(念のため申し添えると、岸和田5万石の岡部家と岡部孝好の岡部家は無関係である)。世が明治に変わって岸和田も廃藩になったが、その14代城主に予定されていたのが岡部長景(おかべ ながかげ:1884年-1970年)である。幼少のときより英才の声が高く、長じて東京帝国大学にすすんで、卒業後には外務省に入省した。明治・大正を通じ外交官として各国大使を歴任したあと政治家に転じ、第二次大戦前には文部大臣まで登りつめた。
この岡部長景と同年に外務省に入省し、外交官としてよく似たキャリアを積み上げたのが伊藤述史(いとうのぶふみ:1885年-1960年)である。伊藤述史は愛媛県新居浜の生まれで、旧制西条中学で学んだ秀才である。その後の学歴はやや変わっていて、伊藤述史は当時の出世コースである旧制高等学校から帝大というルートをたどらなかった。
1903(明治36)年に文部省直轄の官制學校として4年制の高等商業學校が神戸に開設されたが、伊藤述史が入学したのはその神戸高商の方であった。神戸高商は予科1年、本科3年の四年制であり、予科は旧制中学出身者を受け入れる第1部と、旧制商業学校出身者を受け入れる第2部に分かれていた。第1期生の予科の入学者は第1部130名と第2部42名、合計172名であったが、西条中学出身の伊藤述史が組み入れられたのはもちろん予科第1部である。
第2部の学生には数学(週4時間、単位は以下同じ)、物理(3)、化学(3)、博物(2)、あわあせて12時間が必須とされており、一般教養科目が重点的な履修科目とされていた。これに対して、第1部の学生の重点科目は商業科目であり、簿記(4)、商業算術(5)、商業通論(2)、経済学(3)、あわせて14時間の履修が要求された。予科の第1部の学生に商業科目を、第2部の学生には一般教育科目をと、別々の教育メニューを提供するというのが神戸高商の戦略であり、この点において先行の東京高商と差別化を図っていたが、神戸高商においてもう1つの売り物にしていたのが語学教育である。予科では英語が特に重視されており、第1部・第2部ともに週総授業時間32時間のうち10時間が英語教育に充てられていた(下の写真は岸和田城に隣接する「五風荘」。現在はがんこ寿司が料亭として運営している。)。
当時の神戸高商の学舎は神戸市葺合区筒井(現在の王子公園の西で、葺合高校の校舎あたり)におかれていたが、開校当初の教育環境はまだ十分に整えられていなかったと推定される。校長は水島鐵也で、教育職員としては他に教授7、助教授4の合計12名がいたにすぎなかった。しかし、この定員の枠外にお雇いの外国人教員が2−3名いて、英語教育はこの外人教員があたっていた。伊藤述史が西条中学においてどれほど英語に親しんでいたかは不明であるが、神戸高商におけるこの徹底した英語教育が伊藤述史の語学の才能を開花させたことは、まちがいないことである。本科に進級すると英語のほかに第二外国語(清、仏、露、独、西より1つ選択)の履修が要求されたが、語学の天才、伊藤述史にとってはこれも才能を刺激する絶好の機会になった。
当時の東京高商と神戸高商は経済・商学系の最高学府であり、帝国大学系の高等教育との接点はなかった。当時の帝国大学は法律・政治の専門大学であり、経済・商学系の科目をまったく開講していなかった。このため東京高商と神戸高商では経済・商学系の研究者養成を自ら行う必要があったが、この役割を担当したのが東京高商に附置された「専攻部」である。東京高商には1897(明治30)年より2年制の「専攻部」が設置され、これが今日の大学院修士課程の役割を果たしていた。問題はこの専攻部に進学できる資格が狭く限定されていたことで、最初は東京高商の卒業生以外は入学を許されなかった。1902(明治35)年に日本第2の官立高商とし
て神戸高商の開設が決定されたときこの枠が拡大され、東京高商の卒業生だけでなく、神戸高商の卒業生も東京高商専攻部に受け入れるということになった。1907(明治40)年に神戸高商を卒業した第1期生の伊藤述史はさっそくこの制度を活用して東京高商専攻部に進学し、さらに語学の才を磨くことになった。そして、専攻部卒業時には、わけなく高文(外交官試験)に合格して、外務省に入省したが、その入省時の同期生が岡部長景なのであった。(下の写真は和紙の原料となる「ミツマタ」の花。)
伊藤述史は外務省入省後リヨン大学に留学し、フランス人の夫人と結婚。その後イタリア、フランス、スイス、支那、オランダ、ドイツ等において外交官として活躍した後、1927年には国際連盟帝国事務局次長に就任した。1933年に国際連盟総会において松岡洋介主席全権大使が連盟脱退の大演説をぶち上げたことはあまりにも有名な話であるが、その松岡洋介をバックアップしたのが伊藤述史である。伊藤述史はその後、在ポーランド特命全権公使、支那特命全権公使、内閣情報部長、情報局総裁と、戦時内閣において光輝く要職を務め上げた。神戸高商の第1期生としての伊藤述史は国際舞台において大活躍し、日本中の衆目を集めた。
戦前において貴族院議員(現在の参議院議員)の大多数を占めるのは皇族、華族であったが、岡部長景は男爵であったから、文部大臣を務めた後、当然のキャリアとしてこの貴族院議員に選ばれた。これに対して、平民の出身であった伊藤述史にとっては貴族院議員というのは雲の上の椅子であったのに、1945年には狭い狭い門を潜り抜けてついにその貴族院議員の椅子を射止めた。しかし、その直後に日本はポッダム宣言を受諾し、終戦によってすべてが終わった。岡部長景も伊藤述史もともにGHQに戦争責任を追及され、1946年には公職を追放された。
◆隠密の商い(再)◆
戦国時代の武将は敵地に隠密を放ち、敵状を探らせたが、刀を腰にした武士姿の隠密も黒装束で固めた忍者姿の隠密も、敵地で警戒されて、
お役目を果たせなかったと思われる。どの敵地でも他国人の潜入に目を光らしていたから、その警戒網を潜りながら各地を移動し、
秘密情報を収集する仕事は、困難をきわめたにちがいない。
時代小説に登場する最も一般的な隠密の「職業」は、旅商人である。旅商人を装って、小商いを続けながら諸国を遍歴すれば、怪しまれずすむ
。敵地の役人に捉えられ、尋問された場合でも、ちゃんとした商人であることを立証できれば、言い逃れできる可能性が大きい。し
かし、旅商人に化けるとしても、いったい何を売り歩けばよいのであろうか。ひとまず採算は度外視するとしても、怪しげな商品では
身元を隠しおおせないし、旅廻りなのに日持ちのしない商品とか高級すぎる商品では商いそのものが成り立たない。ワラジ履きの
旅商人がひとりで担げる量にも限界があって、重すぎる商品や嵩張りすぎる商品も、話にならないであろう。
真田幸村の配下は、あの真田紐を売り歩いたというが、真田紐は当時でもブランドもので、メーカーが容易に推定できたから、隠密が売り歩く
商品として適切であったどうかは、かなり疑わしい。大和郡山の筒井順慶の配下は特産のカヤ売りを特技にしていたというが、カヤは夏場だけ
の季節商品であるうえに嵩張るから、たとえば関東の甲州とか上州まで足を延ばすのはむつかしいことであったろう。隠密の商いには一番適し
ているのは、誰もがほしがる一般的な必需品で、安価で、持ち運びが簡単な小物がよい。
こう考えていくと、富山の薬売りが隠密に向いた仕事であったという考えが浮かぶ。なかでも貝殻などの小ぶりの容器に詰めた「秘薬」は、
隠密が売り歩く商品に一番適していたのではないであろうか。薬草をすり潰した整腸薬とかマムシのエキスを溶かした切り傷用軟膏などは、持ち
運びが楽であっただけでなく、それなりの効能が期待できたから、農漁村などでも広く受け容れられ、隠密の商売なのか本業なのか見分け
がつかないほどであったにちがいない。
隠密の旅商人が扱った商品の中で最高傑作の1つは、おそらくは明智光秀の配下が売り歩いた針と糸である。針と糸は生活必需品であるのに、
各家庭で簡単に自作できるようなものではない。このため、どこに廻っても消費者に歓迎され、商品がよく捌けたと思われる。針と糸は運搬が簡単
であるし、販売単価は高くはなりえないから、代金の回収でトラブルが引き起こされるようなこともなかったであろう。
針と糸の商売を考えついたのは、明智光秀自身ではなく、その参謀であったとすれば、明智光秀はよい家来に恵まれていたことになる。しかし、
これは隠密の旅商人が扱った商品の選択のことであり、その旅商人が入手した機密情報に関することではない。明智光秀が針と糸の旅商人か
らどれほどよい機密情報を手にしていたのかは、いまなお未知のことである。
◆スチュワードシップ・コード(再)◆
スチュワードシップ・コード(stwardship code)というのは、機関投資者がしたがうべき行動規範を列記したものをいう。イギリスでは2010年に明文化されて
いたが、最近では日本においても関心が高まり、2014年になって金融庁においてガイドラインが定められれた。機関投資者は個人投資者の資金の運用
を任された受託者であるから、受託者として個人投資者の最善の利害(the best interest)に沿って投資行動を選択する義務を負っている。この義務が
スチュワードシップ(stwardship)の原義であり、明文化されるかどうかかわらず、機関投資者としては当然に遵守しなければならない行動規範である。し
かし、この当たり前の義務をあえて明文化して、その遵守を機関投資者に押し付けなければならない点に、現代のビジネス社会の苦渋がある。機関投
資者は資金委託者の個人投資者の利害よりも、オノレの利害を優先する傾向がなくならないのである。悪くすると、個人投資者を食い物にする、アクド
イ機関投資者も次々に現れてくる。
「委託者にとって最善のことだ」と機関投資者が本気で信じている場合であっても、その投資先がスカタンで、結果的には個人投資者に損害を与える
ことが少なくないが、こういった場合にはスチュワードシップはいったいどうなるのであろうか。このケースはやや微妙ながら、きわめて重要である。まず第1に、
機関投資者は「委託者にとって最善のことだ」と本当に思っていたのに、機関投資者が投資に失敗して、委託者の個人投資者に損をさせるケースが実際には
きわめて多い。第2に、機関投資者はいいかげんな投資行動を選択して、個人投資者に損害を与えているのに、「委託者にとって最善のこと」をやったと釈
明するケースも、これまた実際にきわめて多い。だから、「機関投資者は委託者にとって最善のことをやるべし」と定めたところであまり意味はなく、「学生は勉
強すべし」というのと同じ絵空ごとにしかならないおそれがある。
委託者の利害にあからさま反する機関投資者の行動がスチュワードシップに違背することは、もちろんのことである。しかし、実際において「委託者の利害に
反する行動であった」ことを立証するのは容易なことではないから、機関投資者の違反行為を締め出すのはたいへんな難事業である。これよりもさらにむつ
かしくなるのが、機関投資者が「委託者にとって最善のこと」をやろうしたのに、結果においてそれが実現されていないケースである。スチュワードシップ責任
がはたされていないのは結果から明らかようであるが、判断がむつかしい。本当にやろうとしていたのか?、手を抜いたのではないか?、やり方が甘かったの
ではないか?、言い訳をしているだけではないか?、こうした疑念が限りなく
湧いてくる。スチュワードシップの責めを完全に果たすとすれば、こうした疑念をすべて晴らすことが必要とされるが、それは神様のみができることで、人間
には無理なことであろう。実際には、どうコードを定めるべきであろうか。
スチュワードシップの責めを果たす1つの実際的な途は、「わたしは一所懸命に委託者のために頑張りましたが、結果はこれこれとなしました」と、委託
者に向けて機関投資者が「言い訳をする」ことだといわれている。機関投資者の投資行動が思惑通りのよい結果を生むようなことは滅多にないことなのだから、
結果がうまく行かないという想定で、機関投資者が「あれもやりました、これもやりましたが、結果がこの通りで、すいません」というふうに「申し開き」を
するというのである。これを「報告責任」、「説明責任」、あるいは「会計責任」と呼んでいるが、問題はこの「申し開き」を委託者の個人投資者が納得してくれる
かどうかである。
金融庁のスチュワードシップ・コードは、こういう主旨から、スチュワードシップ責任を果たす基本方針、投資先企業のモリタリングの方針、議決権
行使と株主総会への対応などについて、機関投資者がそれぞれの基本指針を公表することを求めている。その「申し開き」が適切かどうかは、読
者の判断にお任せするほかはない。
◎金融庁 日本版スチュワードシップ・コに関する有識者検討会 「責任ある機関投資家」の諸原則
≪日本版スチュワード シップ・コ日本版スチュワード シップ・コード≫〜 投資と対話を通じて企業の持続的成長促すために〜
◆寿司ロボット(再)◆
回転寿司の主役といえば、ぐるぐる廻ってくるあのベルトコンベヤーと思うかもしれないが、ふつうのレスト
ランにたとえれば、ベルトコンベヤーは皿運びの給仕でしかない。レストランで一番大事な役は料理を作
るシェフであろうが、回転寿司におけるシェフはマシンの寿司ロボットである。寿司ロボットはシャリ玉、
巻き寿司、いなり寿司・・・・・に専門化していて、大きなお櫃にご飯を積んでおくと、1分間に何百個もどん
どん握って、あのベルトコンベヤーの上に載せていくという。
ふつうの寿司屋では職人がシャリを握るが、その際決定的に重要なのは酢飯の握り加減だだそうで、シンマイの小僧
に酢飯を扱わせると、握りが堅すぎたり柔らかすぎたりで、いかにいい具(タネ、ネタ)を上に載せても、いか
にいいワサビを練り込んでも、上等の寿司にはならないらしい。ところが修業を積み上げている寿司ロボット
には心得があり、堅すぎもしないし柔らかすぎもしない均一なシャリ玉をほんわりと握る。だから、客の口に入
るのは一流の職人が握った第一級の寿司と変わるところがない。実際には、回転寿司の具はぺらぺらとした
紙のようなものが多いから、「やはり職人が握ったものでないと・・・・・」といった愚痴がこぼれてくるが。
回転寿司が大流行りで、不二精機、鈴茂器工など、日本の寿司ロボットメーカーはかなり潤っている
模様であるが、こうした日本独特の食品加工機に注目しはじめているのが、海外のレストランである。最近
は日本食ブームで、海外では和食のレストランを展開する動きが拡がっている。その和食メニューの目玉はも
ちろんsushiであるが、日本製の寿司ロボットを買ってくればよいのだから、コトは簡単である。日本に派遣して店
舗の運営の仕方を2−3人に仕込んでもらわなければならないとしても、寿司職人を日本から呼び寄せる
必要はないのだから、経費も安いし、開業準備も短期で足りる。寿司屋のハッピ、ハチマキ、テヌグイなどの小道具もインターネ
ットで売っているし、醤油、ガリ、刺身のツマなどもどこかの専門業者が卸しているという。
30年ほど前に海外で暮らしたことのある人びとは、海外で味わう寿司の1切れがどれほど舌に浸みるものか
は忘れられずにいるにちがいない。懐かしさに涙ぐみながら喉に押し込んだにぎり寿司のひと口は、忘れようににも忘れられ
ない遠い日本の味があった。そのにぎり寿司が、いまでは海外のどこでも安くいただける時代になりつつあるのは、寿司
ロボットのおかげであるから、文明の進化に喜ぶべきであろう。
◆次回の更新◆
寒い冬の後退とともに、いつしが梅、桃の季節が過ぎて、桜の季節を迎えています。卒業、入学、転勤、引越しといっ
た慌ただしい行事に追われておられる方も多いと思われますが、皆さまご健勝にて、陽春の太陽をお楽しみのことと存じます。
絶好のスポーツの季節になり、球場通いも忙しくなってまいりました。広島カーブスが抜群の潜在力ですが、今年のタイガース
はどうなるのでしょうか。次回の更新は06月を予定しています。ごきげんよう、さようなら。
2015.03.20
OBENET
代表 岡部 孝好

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