A Message from Webmaster to New Version(October 1, 2014)


   2014年10月版へのメッセージ


     OBE Accounting Research Lab



Back Numbers [1995年10月 ラボ開設のご挨拶][ Webmasterからのメッセージのバックナンバー]


◆Jean Tiroleにノーベル経済学賞◆

  Jean Tirole(1953-)はフランス人の経済学者で、特に産業組織論という学術分野において顕著な業績をあげているが、 会計学に関連する著述はまったく残していないから、会計学には無縁の人と思われやすい。しかし、Tirole はエージェンシー理論とゲーム理論の大家であるうえに、市場と組織の境界、つまり「中間組織」に対して鋭い 経済分析を加えてきたミクロ経済学者でもあり、これらの先端的なビジネスの研究を通じて会計学の発展に 寄与したところが少なくない。そのTiroleがめでたくも、2014年のノーベル経済学賞を受賞した。昨2013年 のノーベル経済学賞はFamaであったが、ことしはTroleとなった。

  Tiroleの研究拠点は本国のフランスというよりもアメリカであり、1981年にボストンのMITでPh.D.を授与されて以 来、MITに研究職として務めながら、このMITの研究室から世界に向けて輝かしい研究成果を発信しつつけてきた。 その代表的著作をなすのが、The Theory of Industrial Organization(MIT Press,1988)である。

  わたしは1990年代に日本のビジネスを特徴づける「系列」(keiretu)に興味をもち、会計情報を組み込んだタテ の企業間関係を研究していたことがある。このタテの企業間関係には2通りが区別されており、その1つとし ては中核メーカーから下請け−孫請けへと上流に向けて拡がる企業と企業との生産ネットワークがあるし、もう1つと しては中核メーカーから卸売り−小売りへと下流に繰り広げられている流通ネットワークがある。これらいずれも 海外には存在しない日本独特の企業と企業とを結ぶネットワークであるが、問題は、この企業間ネットワークが日本 だけに存在するのは、いったい「なぜか」である。

  アメリカの中核メーカーは上流の生産ネットワークも、下流の流通ネットワークももっていない。しかし、ア メリカでは同じものが中核メーカーの会社の内側にあって、社内の生産組織とか社内の販売組織として編成され ている。日本では会社の外側において企業間ネットワークによって業務が分担されているのに、アメリカでは、同じ業 務が会社の内側において下部部局によって分担されている。いいかえると、アメリカでは会社組織のウ チにあるものが、日本では会社組織のソトにあるのである。とすれば、次の問題は「なぜウチのものがソト にあるのか」、あるいは「なぜソトのものがウチにあるのか」ということになる。どちらの効率がよく、 どちらが競争優位に立つのであろうか。

  こうした疑問を追っていたとき、目からウロコが落ちる思いをしたのが、 TiroleのThe Theory of Industrial Organizationで あった。会社組織のウチとソトで同じ仕事の分担(分業)が行われている場合においては、仕事の委託者が委託先をうまく コントロールした方が効率が高く、市場競争の勝者になれる。エージェンシー・ロスをより多く削減した方が効率が 高くなるのだから、ウチとソトの選択問題は、どちらがエージェンシー問題をうまく解決できるかにかかっている ことになる(Tiroleの顔写真はWikipediaより借用)

組織の内側では価格メカニズムが働いていない。これに対して組織の外側は市場であるから、価格メカニズムが 資源の配分を導いている。会社組織のウチとソトでは価格メカニズムの作用の仕方がまったく異なっているから、 keiretuがあるかないかは、この点によっても大きな効率上の違いがもたらされる。ウチとソトの選択問題は、 Tiroleによれば市場メカの全般にかかわっていて、エージェンシー問題のコントロールの有効性だけに よるのではない。しかし、エージェンシー理論の視点からkeiretuを注視しているということ自体が斬新で あり、その卓抜したセンスには敬意を表するほかはない。この点にかんするTiroleの研究成果がノーベル賞でどこまで 評価されたかは不明であるが、地球規模の立派な仕事であることはまちがいない。

◆「置き薬方式」による軽食品の出先販売◆

  日持ちのするスナック菓子、レトルト食品などを詰めた軽食品箱を会社に持ち込み、オフィスの棚と かパントリーに置かしていただく。箱の中の商品には値札が付いているから、食品を食べた人は 料金を横の小箱に入れてほしい、というお願い札を隅に貼っておく。この軽食品箱のオ ーナーは週1回巡回して、減った商品を補充するとともに、賞味期限が切れた商品を新鮮 な商品と取り替える。これが、大阪のオフィスビル街で最近はやり出した新ビジネスである。

  残業の夜にスナック菓子の袋を破る、雨の日の昼食にレトルト・カレーをチンする、弁当のお かずの補いにサバ缶を開く・・・・・ こういった形で、軽食品箱の中身はけっこう減っていくら しい。昔のオフィスにはお湯のポットしかなかったから、カップヌードルでがまんするほかはな かった。いまはチンがあるから、かなり幅広いレシピーがこなせる。

  この種の軽食品箱のお届け先は、当初は会社のオフィスとか工場に限られていたのに、最 近では、一般家庭にも拡がりはじめているという。レトルトのお惣菜、缶詰・ビン詰食品、塩 干モノの補助食品をうまくアレンジしておくと、買い物のテマ・ヒマが省けると、忙しい主婦 の皆さまにたいへん喜んでいただけるのだそうだ。

  軽食品箱は簡素なダンボール製が標準であるが、最近では小型冷蔵庫が使われることがあ るというから、この方向でも進歩が著しい。お買いものをして、その後に冷蔵庫の中を整理す るという面倒な作業は、どこの家庭でも週何回かは繰り返していることであるが、こういう革新がつづ くとその先には、ショッピングから冷蔵庫の詰め換えまでを軽食品箱の業者がそっくり請け合う時 代がやってくるのかもしれない。

  ここで注目したいことは、この軽食品箱のビジネスのやり方が「富山の置き薬」にそっくりであるとい う点である。

 (1)売り手はワンセットの商品を詰めた軽食品箱を、会社のオフィスに持ち込んでいるが、中の商 品は買い手に預けているだけで、それは売り手の所有物である。持ち込みの時点では、商品は 未販売である。

 (2)次の巡回時に箱の中の「在庫」を点検してみて、減ったものがあればその減ったものを 売れたとみなし、代金を徴収する。買い手が「食べる」時点まで商品は売り手のもので、買い手が 「食べた」時点で商品が販売されたとみなしている。

 (3)代金の徴収は単なる後払いではなく、「食べただけを支払う」が、「食べなかったものは 払わない」という独特の方式になっている。

 (4)「食べる」時点までの在庫を保有するのは売り手なのだから、売れなかったことによる損害(売残り損失) はすべて売り手の負担になる。買い手は無在庫方式によって一切の在庫負担を免れているから、 腐る、賞味期限が切れる、盗まれる、といった在庫管理上のリスクをまったく心配する必要がない。

  この「富山の置き薬」方式は日本的ビジネスであり、世界に例がないものである。委託販売(consignment)に きわめてよく似ているが、委託販売では商人Aが商人Bに商品を預けて販売を委託するのに、「富山の置 き薬」方式では買い手に直接に商品を預ける。

  日本のデパートに拡がっている「消化仕入れ」というのも「富山の置き薬」方式によっているが、それ は商人Aが商人Bに販売を委託するのであるから、実質的にみて委託販売と異なるところはない。 ところが、この軽食品箱のケースは「富山の置き薬」のそっくりそのままであるから、デパートによう に店舗を構える必要がない。顧客、つまり買い手に直接に商品を預けるので、無店舗販売が可能 になっているのである。日本古来の知恵を、今のビジネスに活かしている好例である。

◎参照⇒岡部孝好、「消化仕入れの取引デザイン」

◆隠密の商い◆

  戦国時代の武将は敵地に隠密を放ち、敵状を探らせたが、刀を腰にした武士姿の隠密も黒装束で固めた忍者姿の隠密も、敵地で警戒されて、 お役目を果たせなかったと思われる。どの敵地でも他国人の潜入に目を光らしていたから、その警戒網を潜りながら各地を移動し、 秘密情報を収集する仕事は、困難をきわめたにちがいない。

  時代小説に登場する最も一般的な隠密の「職業」は、旅商人である。旅商人を装って、小商いを続けながら諸国を遍歴すれば、怪しまれずすむ 。敵地の役人に捉えられ、尋問された場合でも、ちゃんとした商人であることを立証できれば、言い逃れできる可能性が大きい。し かし、旅商人に化けるとしても、いったい何を売り歩けばよいのであろうか。ひとまず採算は度外視するとしても、怪しげな商品では 身元を隠しおおせないし、旅廻りなのに日持ちのしない商品とか高級すぎる商品では商いそのものが成り立たない。ワラジ履きの 旅商人がひとりで担げる量にも限界があって、重すぎる商品や嵩張りすぎる商品も、話にならないであろう。

  真田幸村の配下は、あの真田紐を売り歩いたというが、真田紐は当時でもブランドもので、メーカーが容易に推定できたから、隠密が売り歩く 商品として適切であったどうかは、かなり疑わしい。大和郡山の筒井順慶の配下は特産のカヤ売りを特技にしていたというが、カヤは夏場だけ の季節商品であるうえに嵩張るから、たとえば関東の甲州とか上州まで足を延ばすのはむつかしいことであったろう。隠密の商いには一番適し ているのは、誰もがほしがる一般的な必需品で、安価で、持ち運びが簡単な小物がよい。

  こう考えていくと、富山の薬売りが隠密に向いた仕事であったという考えが浮かぶ。なかでも貝殻などの小ぶりの容器に詰めた「秘薬」は、 隠密が売り歩く商品に一番適していたのではないであろうか。薬草をすり潰した整腸薬とかマムシのエキスを溶かした切り傷用軟膏などは、持ち 運びが楽であっただけでなく、それなりの効能が期待できたから、農漁村などでも広く受け容れられ、隠密の商売なのか本業なのか見分け がつかないほどであったにちがいない。

  隠密の旅商人が扱った商品の中で最高傑作の1つは、おそらくは明智光秀の配下が売り歩いた針と糸である。針と糸は生活必需品であるのに、 各家庭で簡単に自作できるようなものではない。このため、どこに廻っても消費者に歓迎され、商品がよく捌けたと思われる。針と糸は運搬が簡単 であるし、販売単価は高くはなりえないから、代金の回収でトラブルが引き起こされるようなこともなかったであろう。

  針と糸の商売を考えついたのは、明智光秀自身ではなく、その参謀であったとすれば、明智光秀はよい家来に恵まれていたことになる。しかし、 これは隠密の旅商人が扱った商品の選択のことであり、その旅商人が入手した機密情報に関することではない。明智光秀が針と糸の旅商人か らどれほどよい機密情報を手にしていたのかは、いまなお未知のことである。

◆近畿圏における税務署別の法人税収の推移◆

  会社は1年の事業活動の結果を決算によって締め括って、その決算の数値を税務署に申告する。 これが法人所得税の申告制度であるが、その申告の届出を受けるのは、会社の本社を管轄する税務署 である。会社の本社が日本の領土内にあるのに、その本社の所在地を管轄する税務署が存在しないとすれ ば、法人所得税を申告する(そして納税する)税務署がないということになるが、日本ではそのような幸運が巡ってくる 可能性はゼロである。日本の各地に税務署が散らばっていて、法人所得税を申告する税務署 は必ずどこかに1つある。

  ある地域を管轄する税務署があるとしても、その税務署の管内に会社がまったくなければ、もちろん 法人所得税が納付されることにはなりえない。その税務署の立場からいうと、法人所得税に関するかぎり、 この法人ゼロのケースには徴収する法人税はまったくない。

  会社の事業が振るわず、課税の対象となる純利益がマイナスであれば、その会社は法人所得税を 納める義務がなくなる。このため、ある1つの税務署の管内に多数の会社が存在している場合でも、 会社の決算がどれもこれも赤字であれば、その税務署には法人所得税を納める会社はないこ とになる。このケースでも、税務署の法人税の税収はゼロという結果になる。

  1つの税務署において、その法人所得税の税収が大きくなるには、2つの条件がそろわなくてはならない。まず 第1に、その管轄下に多数の会社が存在することが必要とされる。第2に、管内の会社の業績が優れていて、 課税対象の純利益が多くなければならない。これを2条件をまとめると、法人所得税については、業績の優れ た会社を多数抱えている税務署が多くの税収を確保できるということになる。

  近畿圏をカバーする大阪国税局の管内において、どの税務署が毎年どれだけ法人所得税を掻き集めている かを集計した統計値が毎年発表されている(大阪国税局統計情報)。それをみると、各税務署の「成績」が わかるが、近畿圏におけるダントツの1位は「大阪東税務署」である。大阪東税務署は大阪市中央区を 管轄しているが、中央区のすべてではない。中央区の一部は大阪南税務署の所管とされている。それにもかかわら ず、大阪東税務署の法人所得税収は近畿で最も多い。

  近畿圏において法人所得税収が2番目に多いのは、「京都下京税務署」である。これは、京都市下京区には電 機機器を製造する「京都の元気企業」が多数立地していて、その業績が素晴らしいという理由によっている。こ れらの2つの税務署において集められる法人所得税収がどう推移しているか、その年度別の変化を調べた結果 が下のグラフに示されている。

  リーマンショックの2007年以前では、1位の大阪東税務署が凋落ぎみであり、いずれは2位の京都下京税務署に 追い抜かれると予測する向きが多かった。しかし、リーマンショック後には形勢が変わってきて、大阪東税務署の 勢いが戻りつつあるのに、京都下京税務署の衰えが回復してきていない。大阪東税務署の管内では、企業業績 がよくなっているのに、京都下京税務署の管内では、どうも企業業績が思わしくないもようなのである。

  なお、グラフの最下段には大阪門真税務署の法人所得税収の年度別推移が示されているが、これは大阪門真 税務署が第3位ということによるのではない。大阪門真税務署の管内には近畿圏を代表する会社が、いや日本を 代表する会社が幾社か立地しているはずであるから、この大阪門真税務署の税収をついでに調べてみただけの ことである。しかし、結果の予想通りであり、大阪門真税務署においても法人所得税収が増える傾向はまったく示 されていない。

◆スチュワードシップ・コード(再)◆

  スチュワードシップ・コード(stwardship code)というのは、機関投資者がしたがうべき行動規範を列記したものをいう。イギリスでは2010年に明文化されて いたが、最近では日本においても関心が高まり、2014年になって金融庁においてガイドラインが定められれた。機関投資者は個人投資者の資金の運用 を任された受託者であるから、受託者として個人投資者の最善の利害(the best interest)に沿って投資行動を選択する義務を負っている。この義務が スチュワードシップ(stwardship)の原義であり、明文化されるかどうかかわらず、機関投資者としては当然に遵守しなければならない行動規範である。し かし、この当たり前の義務をあえて明文化して、その遵守を機関投資者に押し付けなければならない点に、現代のビジネス社会の苦渋がある。機関投 資者は資金委託者の個人投資者の利害よりも、オノレの利害を優先する傾向がなくならないのである。悪くすると、個人投資者を食い物にする、アクド イ機関投資者も次々に現れてくる。

  「委託者にとって最善のことだ」と機関投資者が本気で信じている場合であっても、その投資先がスカタンで、結果的には個人投資者に損害を与える ことが少なくないが、こういった場合にはスチュワードシップはいったいどうなるのであろうか。このケースはやや微妙ながら、きわめて重要である。まず第1に、 機関投資者は「委託者にとって最善のことだ」と本当に思っていたのに、機関投資者が投資に失敗して、委託者の個人投資者に損をさせるケースが実際には きわめて多い。第2に、機関投資者はいいかげんな投資行動を選択して、個人投資者に損害を与えているのに、「委託者にとって最善のこと」をやったと釈 明するケースも、これまた実際にきわめて多い。だから、「機関投資者は委託者にとって最善のことをやるべし」と定めたところであまり意味はなく、「学生は勉 強すべし」というのと同じ絵空ごとにしかならないおそれがある。

  委託者の利害にあからさま反する機関投資者の行動がスチュワードシップに違背することは、もちろんのことである。しかし、実際において「委託者の利害に 反する行動であった」ことを立証するのは容易なことではないから、機関投資者の違反行為を締め出すのはたいへんな難事業である。これよりもさらにむつ かしくなるのが、機関投資者が「委託者にとって最善のこと」をやろうしたのに、結果においてそれが実現されていないケースである。スチュワードシップ責任 がはたされていないのは結果から明らかようであるが、判断がむつかしい。本当にやろうとしていたのか?、手を抜いたのではないか?、やり方が甘かったの ではないか?、言い訳をしているだけではないか?、こうした疑念が限りなく 湧いてくる。スチュワードシップの責めを完全に果たすとすれば、こうした疑念をすべて晴らすことが必要とされるが、それは神様のみができることで、人間 には無理なことであろう。実際には、どうコードを定めるべきであろうか。

  スチュワードシップの責めを果たす1つの実際的な途は、「わたしは一所懸命に委託者のために頑張りましたが、結果はこれこれとなしました」と、委託 者に向けて機関投資者が「言い訳をする」ことだといわれている。機関投資者の投資行動が思惑通りのよい結果を生むようなことは滅多にないことなのだから、 結果がうまく行かないという想定で、機関投資者が「あれもやりました、これもやりましたが、結果がこの通りで、すいません」というふうに「申し開き」を するというのである。これを「報告責任」、「説明責任」、あるいは「会計責任」と呼んでいるが、問題はこの「申し開き」を委託者の個人投資者が納得してくれる かどうかである。

  金融庁のスチュワードシップ・コードは、こういう主旨から、スチュワードシップ責任を果たす基本方針、投資先企業のモリタリングの方針、議決権 行使と株主総会への対応などについて、機関投資者がそれぞれの基本指針を公表することを求めている。その「申し開き」が適切かどうかは、読 者の判断にお任せするほかはない。

◎金融庁 日本版スチュワードシップ・コに関する有識者検討会 「責任ある機関投資家」の諸原則

≪日本版スチュワード シップ・コ日本版スチュワード シップ・コード≫〜 投資と対話を通じて企業の持続的成長促すために〜

◆寿司ロボット(再)◆

  回転寿司の主役といえば、ぐるぐる廻ってくるあのベルトコンベヤーと思うかもしれないが、ふつうのレスト ランにたとえれば、ベルトコンベヤーは皿運びの給仕でしかない。レストランで一番大事な役は料理を作 るシェフであろうが、回転寿司におけるシェフはマシンの寿司ロボットである。寿司ロボットはシャリ玉、 巻き寿司、いなり寿司・・・・・に専門化していて、大きなお櫃にご飯を積んでおくと、1分間に何百個もどん どん握って、あのベルトコンベヤーの上に載せていくという。

  ふつうの寿司屋では職人がシャリを握るが、その際決定的に重要なのは酢飯の握り加減だだそうで、シンマイの小僧 に酢飯を扱わせると、握りが堅すぎたり柔らかすぎたりで、いかにいい具(タネ、ネタ)を上に載せても、いか にいいワサビを練り込んでも、上等の寿司にはならないらしい。ところが修業を積み上げている寿司ロボット には心得があり、堅すぎもしないし柔らかすぎもしない均一なシャリ玉をほんわりと握る。だから、客の口に入 るのは一流の職人が握った第一級の寿司と変わるところがない。実際には、回転寿司の具はぺらぺらとした 紙のようなものが多いから、「やはり職人が握ったものでないと・・・・・」といった愚痴がこぼれてくるが。

  回転寿司が大流行りで、不二精機、鈴茂器工など、日本の寿司ロボットメーカーはかなり潤っている 模様であるが、こうした日本独特の食品加工機に注目しはじめているのが、海外のレストランである。最近 は日本食ブームで、海外では和食のレストランを展開する動きが拡がっている。その和食メニューの目玉はも ちろんsushiであるが、日本製の寿司ロボットを買ってくればよいのだから、コトは簡単である。日本に派遣して店 舗の運営の仕方を2−3人に仕込んでもらわなければならないとしても、寿司職人を日本から呼び寄せる 必要はないのだから、経費も安いし、開業準備も短期で足りる。寿司屋のハッピ、ハチマキ、テヌグイなどの小道具もインターネ ットで売っているし、醤油、ガリ、刺身のツマなどもどこかの専門業者が卸しているという。

  30年ほど前に海外で暮らしたことのある人びとは、海外で味わう寿司の1切れがどれほど舌に浸みるものか は忘れられずにいるにちがいない。懐かしさに涙ぐみながら喉に押し込んだにぎり寿司のひと口は、忘れようににも忘れられ ない遠い日本の味があった。そのにぎり寿司が、いまでは海外のどこでも安くいただける時代になりつつあるのは、寿司 ロボットのおかげであるから、文明の進化に喜ぶべきであろう。 

◆FASB+IASBが新収益認識基準を発表◆

  IASBとFASBは、コンバージェンス・プログラムの基本計画にもとづき収益認識に関する新会計基準を準備してきていたが、このほどその最終版の完成 にこぎつけ、2014年5月28日付けで「顧客との契約から生じる収益」を発表した。この新収益認識基準は顧客への財・サービスの移転を 売り手が移転と交換に受け取れると期待する販売対価によって計上することを求めるものであり、旧来の収益認識ルールを大幅に変更するものではな い。しかし、従来では業種とか販売方法の違いによってばらばらに定められていた収益認識方式を統一的な基本原則にもとづいて体系化しただけでなく、 多数の会計処理方法の間の矛盾を除去したり、開示方法の拡充を行ったりしている。また複数要素契約(multiple-element arrangement)の会計処理を 改善し、多数のサービスを抱き合わせる最近の販売動向への対処をすすめている。詳細は「新会計基準(GAAP)制定の動き」のコーナーで検討する予定 である。

  この新会計基準の施行は、FASB基準による場合には2016年12月15日以降に始まる会計年度から、IFRS基準による場合には2017年1月1日以降に 始まる会計年度からとされている。しかし、日本基準については邦訳が未発表であり、施行年度も明らかにされていない。

◆環太平洋火山帯(再)◆

  太平洋沿岸を取り巻く「火の輪」(ring of fire)というのは、環太平洋火山帯のことである。先般のロスアンゼルスの地震も、南米チリの地震も この「火の輪」の仕業といわれているし、また東日本大震災、インドネシアの大津波も、この「火の輪」が暴れたことによるらしい。北米も南 米も、地図の上では日本から遠くかけはなれているように見えるが、「火の輪」という同じ囲炉裏を囲んでいると考えると、親近感が増してくる (下の画像はFox newsのTV画面より転載)

  アメリカのロッキー山脈はとてつもなく高くて、険しいが、これは「火の輪」を囲む火口の縁取りのようなものらしい。カナダのバンクーバーは1980年に 1年間住んだ懐かしい都市であるし、隣接するシアトルも数年ごとに訪れている美しい街であるが、周辺には5,000メートル級の高山が群がっていて、 その中腹では5月になってもスキー場が賑わっているほどである。一昨年の2013年にはシアトル空港から飛び立った飛行機の窓越しにMT.Rainierの頂上付 近を真横に眺める幸運に遭遇したが、真夏であったのにあちこちに残雪があって、濡れた黒い山肌の上で雪の中の水滴が太陽に輝いてキラキラしてい た。1997年に半年を過ごしたオレゴン州にも、MT.Food, MT.Three Sistersなどの美しい峰々が連なっているが、その山はどれも5,000M級で気高く、美し い姿を空中に突き上げている。MT.Three Sistersのドライブウエーには夏に車で一番上まで昇ったが、肌寒い上に空気が薄い感じで、写真を撮るのが精いっ ぱいというところであった。こうした北米のロッキーの山並みはカルフォールニアからメキシコを越え、さらに南米を縦に貫いているのだから雄大であること このうえない。このロッキー山脈の東裾野にはまた広大な砂漠が拡がっているが、その砂漠も丘陵あり、岩山あり、渓谷ありの激しい凹凸続きで、平坦な砂 地はごく稀にしかない。グランドキャニオンの険しい谷底は観光地として有名であるが、北米にはもう少し規模の小さいキャニオンがあちこちにある。これらは、 いずれの側面からみても古代における「火の輪」の活発な火山活動の痕跡なのである。

  「火の輪」はカムチャッカ、日本列島をめぐってオセアニアに達しているが、火山が煙を噴き上げ、高い山々が聳えているのは日本だけではない。 南の島にはサンゴ礁で出来た海抜数メートルの島々が多数あることは広く知られているが、他方には峻嶮な高山もあって、人を寄せつけないという 点はあまり注意されていない。たとえばニューギニア島には、MT.Jaya 5,000M、MT. Mandara 4,700M、MT.Wilhelm 4,500Mなどの高山が並んでいるし、 きょうも噴煙を吐いている活火山もいくつかある。

  なお、上の画像に示されている「チャレンジャー海溝」(Challennger deep)というは地球上で最も深い海の窪みで、水面から10,920Mもの下にある海底の 中の海底である。場所はフイリピン海溝のはるか東方沖であるが、所属はミクロネシア連邦だという。位置はFais島から南西に287 km、お馴染みの Guam島から北東に 304 km離れており(11°22.4′N 142°35.5′E)、広さは11KM×1.6KMとやや狭い。名称は、前世紀末にこれを発見した英国の軍 艦の名前にちなんだものというが、なにしろ深いことはまちがいない。エベレストが8,000Mだから、それよりもなお3,000Mも深い計算になる。山高ければ、また 谷深しというべきか・・・・・

◆ファーマにノーベル経済学賞(再)◆

  Eugene Francis Fama (1939.2.14-)がついに2013年のノーベル経済学賞に輝いた。共同受賞者として Robert ShillerとLars Peter Hansenが挙げられているが、これら共同 受賞者とFamaとの学術的な関係はよくわからない。ともかく、ノーベル経済学賞というのは最高の賞なのだから、これ以上に目出たいことはない。

  Famaはイタリア系の三世としてMassachusetts州のBostonに生まれ、1960年にTufts Universityという無名の大学を卒業している。学部時代にはスポーツに興じており、 アスリートとしてかなりの名をなしていたらしい。その後にUniversity of Chicagoの大学院に進学したのがFamaの素晴らしいキャリアの始まりで、 University of ChicagoのM.B.AとPh.Dを取得してからたちまち金融論の若手研究者として大躍進の途を辿りはじめた。 これまで一度もUniversity of Chicagoを離れたことはないというから、University of Chicagoに根を生やした、University of Chicago生粋の金融学者である (Famaの写真はUniversity of Chicagoのホームページから借用)

  University of ChicagoにおけるPh.D論文はランダム・ウォークにしたがう株価に関するものであったが、この論文はすぐさま"The Behavior of Stock Market Prices"というタ イトルでJournal of Business(January 1965)に掲載され、学界と実務界の両方に大きな衝撃を与えた。Famaはつづけて1969年に"The Adjustment of Stock Prices to New Information"という画期的な論文をInternational Economic Reviewに発表したが、この研究は当時最新のCRSPというデータベースを使った株価の実証分析 であり、今日でいうところの"event study"の先駆けをなすものであった。FamaはEMH(efficient-market hypothesis)の「元祖」とされているが、その理論的な基礎になっているの はこれらの初期の数本の研究成果であり、その大綱は"Efficient Capital Markets: A Review of Theory and Empirical Work,"Journal of Finance(May 1970)にまとめられている。

  Famaが提唱したEMHでは、市場の効率性のタイプに(1)strong form、(2)semi-strong form、(3)week formの3つがあるとされたが、この区別が情報の種類の違いによるのか、 市場における情報分布の違いを指すのか、市場均衡の成立ちの違いを意味するのかがよくわからず、ずいぶんと苦労をさせられたものである。市場がstrong formであれ ば、すべての情報が市場の隅々にまで完全に行き渡っているから、だれにも利得獲得のチャンスがなくなるという点はよく理解できるとしても、それとは違う状況では、どこが、 どう違ってくるのか判然としない。"semi-strong"、"week"というのは、単なる「程度の違い」では片づかないらしいが、かといって何か本質的な違いを指しているとも考えにく い。いまでもこの難解なパズルによく遭遇するが、そのたびに泣きたい思いがしてくる (下の写真は東福寺、2013.11.12に撮影)

  FamaのEMHにおけるもう1つのやっかいな問題は、EMHにおける「効率性」には市場均衡モデル、つまり市場価格形成のメカニズムがくっついていて、切り離せないということ である。これは"joint hypothesis problem"と呼ばれているから、どちらか一方だけに軸足を移すようなことは、やってはいけないらしい。実際の株式リターンと理論上の期待 リターンが食い違っているいるケースがでてきているが、その場合でも、「市場が不効率だからだ」と簡単に片づけてしまったり、「価格形成モデルがダメなのだ」と断定してし まったりすると、一方を切り捨てたことになって、それは やってはいけないのだという。「効率性」も「価格形成モデル」も単独ではテストできないという理屈だから、2つをジョイントさせてテストするほかはないということになる。しかし、両 方を同時にテストして、どっちがわるいということになるのか、両方ともわるいということになるのか、どうにもよくわからない。

  Famaがいう"anomaly"は理論的に説明不能な奇怪な価格現象を指しているが、その"anomaly"も市場の効率性に原因があるのか価格形成モデルに欠陥があるのか、どうも はっきりしない。"joint hypothesis"の下ではどちらが原因なのか、両方に原因があるのかが判然としないから、気分がすっきりしない。まったくこまったことである。

  EMHによる会計学の実証研究は1968年のBall and Brownにはじまるわけであるが、こうしてFamaのキャリアに並べてみると、会計学の研究がFamaの研究にそれほど遅れを とっていなかったことがわかる。Famaにキャッチアップする形で会計学の研究が進展してきたのであるから、Famaのノーベル経済学賞の受賞は、会計学の見地からしても、 エポックメイキングなできごとであることはまちがいない。しかし、会計学研究者からすると、EMHも"anomaly"も、ずいぶんと体力をすり減らされた厄介なアイデアであったといえ よう。

  金融論の世界においては、FamaのEMHと同じくらいに揺るぎない地位を確保しているもう1つの理論にCapital Asset Pricing Model (CAPM)がある。このCAPMにおいて 広く受け入れられている考え方の1つは、個別銘柄の株価は市場平均株価(日経ダウ平均など)と密接な関係をもっており、2つの関連を示すベータ値(β)によって 個別銘柄の株価はかなりうまく説明できるというものである。1993年にFenchと共同執筆した論文"Common Risk Factors in the Returns on Stocks and Bonds," Journal of Financial Economics Vol.33 (1993)において、Famaはこの一般的な考え方を覆した。市場平均のほかに2変数を追加して、3変数によって個別銘柄の 株価を説明すれば、理論が大幅に改善されるという新しい主張を展開しはじめたのである。いわゆる"Fama=French three-factor model"である。 この"Fama=French three-factor model"によれば、"anomaly"のいくつかも、変則的な現象ではなく、当たり前の正常な現象に変わるというから、FamaにおいてはEM HとCAPMとがどこかで融合しているのかもしれない。しかし、EMHとCAPMの壁を取り払うだけでなく、"joint hypothesis"もなおも有効だというのだから、ストーリーは 簡単ではない。Famaが仕事をすればするほど、わたしにとっては未知の世界がどんどん拡がっていくような気がしてならない。

◆国際会計基準(IFRSs)への対応は、もう暫く事態静観(再)◆

  金融庁の企業会計審議会(会長 安藤英義教授)は、2013年6月19日に総会・企画調整部会合同会議を開催し、「当面の方針」を取りまとめた。これまでの 経緯を再検討したうえで、もう暫く事態の推移を見守るということになったもようである。

金融庁・企業会計審議会、「国際会計基準(IFRS)への対応のあり方に関する当面の方針」(平成25年6月20日)

  日本の上場会社には、一定の条件を満たしておれば国際会計基準に準拠する途がすでに開かれていますが、国際会計基準に移行済み の会社数は現時点で20社ほどと少なく、今後も急増する見込みはないとみられています。またアメリカのSECなども慎重な姿勢を変え ておらず、世界レベルでみても国際会計基準への転換が急激にすすむ状況にはないと思われます。こうした四囲の事情を勘案して、日本で もこれまでの慎重な方針を堅持すると判断したものと推測されます。

◆日本とアメリカの会計学会(JAA、AAA)年次大会の開催予定◆

  日本会計研究学会とアメリカ会計学会(AAA)は、2015年の年次大会の開催予定を、次のように公表しています。

□ September *-*, 2015 Kobe University, Kobe

□ August 8-12,2015 Chicago, Illinois

◆次回の更新◆

  この夏は天候不順がつづき、大阪池田市では100ミリを超すドシャ降りが2回もありました。お蔭さまで被害には遭わずにすみましたが、 こころの休まらない夏の日でした。これからようやく秋の本番を、そしてそのあと冬を迎えます。毎日をご健勝にて、存分にお楽しみくだ さい。次回の更新は正月を予定しています。ごきげんよう、さようなら。


2014.10.01

OBENET

代表 岡部 孝好