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2013年09月版へのメッセージ
OBE Accounting Research Lab
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[1995年10月 ラボ開設のご挨拶][
Webmasterからのメッセージのバックナンバー]
◆アナハイムの全米会計学会◆
8月2日にロサンジェルス国際空港に着いてバス乗り場から西の空を仰ぐと、真夏の太陽が燦燦と輝いていて、夕方にはまだほど遠いという感じであった。
空港の時計をみると、午後4時を指している。台北からの12時間のフライトの間、熟睡できたのは数時間にすぎなかったから、やたらと眠くて眠くて、ベッ
トが恋しくて仕方がない。だが、ここでひと頑張りしないことにはと思い直して、何はともあれホテルへと急ぎ、シャワー、着替えを済ませて、街の「探検」に
出掛ける。この時間にこのままベットに潜ることは、アメリカにおいても日本時間で寝ることを意味するから、滞米中ずっと昼夜が逆転して、体がもたない。
時差ボケを治すには、睡魔に耐え抜いて、アメリカ時間で寝る習慣を自分の体に覚えさせなければならない。いつものことながら、アメリカに到着するや
いなや、時差ボケとの厳しい戦いが始まる。歳をとればとるほど、この戦いはますます苦しくなるのを感じる。
ロサンジェルスの市街地には地下鉄METROが走っているので、近くの「7番街」の駅に降りてみると、1日乗り放題で5ドル(=500円)の安チケットが
売られている。この安チケットが2枚あれば、2日間のロサンジェルス生活では、市街地を自由にうろつくことができる。さっそく無料の路線図、時刻
表もいただいて、地上のスポーツ・バーで地ビールをいただきながら、翌日からの「作戦」を練る。足はMETRO、食品は”Famima”によると、経費はうん
と軽くなる。
昔のロサンジェルスは恐ろしいところで、旅行者がひとりで夜に歩ける街ではなかった。ところが今のロサンジェルスは、安全で清潔なビジネスと観光の街に
生まれ変わっており、生活に不安はない。街灯が明るく照らす街路は清掃がゆきとどいていて、昔のようにゴミや汚物が散乱しているようなことは
ない。夕方になると高層ビルの間を家路に急ぐビジネスマン・ウーマンが街路に溢れるが、みなビシッとスーツを決めていて、人の動きにまったく淀みがない。
経済は活況らしく、店舗の中にもけっこう人影がみえる。昔懐かしの路上生活者は目につかないわけではないが、今ではその数は大阪の方がはるかに多い
だろう。ロサンジェルスはすっかり変わって、ずいぶんよい街になった。二十数年振りに新しいロサンジェルスを訪れてみて、「来てよかった」というのが素直な
感想であった。
今年のアメリカの夏は、なぜか涼しい。ロサンジェルスでも気温は26-16度Cで、日中でも汗をかくことはなかった。テレビは、中部、東部でも同じような気象情報を
報じていたから、日中の気温が体温より高くなるのは、日本などアジアの特殊事情なのかもしれない。気温が低くても空気が乾いているから、汗はかかなくても
喉は渇き、ドラフトビールが格別にうまい。
ロサンジェルスで2日間の時差ボケ調整を済ませてから、30KMほど南の都市、アナハイムへ移動。アナハイムはディズーニーランドあり、エンジェルス球場あり
の観光の街だから、ホテルも食堂も子どもたちの歓声が渦巻いており、夏休みの高揚が満ち溢れている。しかし、アハンハイムは本年の全米会計学会の年次大会
開催地であり、会場のHilton/Marriottには、世界各地から10.000人を超える会計学者が集まってくる。せっかくの機会だからと、いくつかの会場に顔を出してみた
が、"earnings management"との関連では"benchmark-beating"、"classification shifting" などおなじみのトピックが議論されていて、けっこう参考になる話が
聞けた。
アナハイムで2泊してから、AMTRAKのSurfline線の列車に乗って南に下り、メキシコ国境の街サンディエゴへ向かう。この鉄道路線はその大半が太平洋のビーチ沿
いに、それも波打ち際を走っており、景色は最高である。砂浜には海水浴を楽しむ若者と家族連れがパラソルの花を咲かせているし、沖合ではサーファーたちが大きな
太平洋の波に興じている。Coach-Seat(飛行機のEconomy classにあたる)でも車内の座席は広いし、座席周りの電源、テーブルなど、インターターネットへの対応も万全
である。少しばかり驚いたのは客車の中に据えられているATMのマシンで、それを見た瞬間に頭をよぎったのは、アパッチ族が金塊を運ぶ列車を襲撃する昔の映画のシーンである。
騎馬のアパッチ族が列車の屋根に飛び移る映画のシーンは迫力万点であったが、あれはたしか砂漠を驀進する蒸気機関車のことで、ビーチサイドの風景ではなかった。
サンディエゴはメキシコとの国境の街だから、樹木も花もロスとはかなり違う。サボテンとパームツリー(ヤシの木)があちこちにあるし、タイやラオスでよくみかけたブーゲンビリアが
垣根で咲き乱れている。百日紅、つまりサルスベリは日本からアメリカに持ち込んだものだと聞いた覚えがあるが、この百日紅も北米では街路樹としていたるところに植えられてい
て、いま花盛りである。夏場は芝生の潅水に注意が行き届いていて、どこへいっても芝のグリーンが美しい。
サンディエゴはまた海軍の軍港であり、第二次世界大戦の講和条約調印式が行われた空母"Midway"が岸壁にそそりたっていて、観光客を集めている。この"Midway"
のほか多数の軍艦が停泊しているし、いくそうかの潜水艦も首を並べて繋留されている。このサンディエゴのもう1つの名物となっているのは、魚料理である。ここは海産物が
豊であるから、おいしい魚料理が楽しめた。メニューにはさしみのような生ものは見当たらないが、揚げ物を中心にメニューは多様で、エビ、カニはもとより、いろいろな白身
魚の料理が並んでいる。値段は決して高くないし、ややスパイシーではあるが、味もわるくはない。
サンディエゴには"Old Town"と"New Town"があって、"Old Town"にはメキシコ戦争、ゴールドラッシュなどの遺物、遺跡などが多い。これに対して"New Town"には、
海兵隊、航海関係の博物館のほか、鉄道交通に関連する展示物が多数ある。サンディエゴは西部開拓の基地であったばかりでなく、また太平洋岸の交通の要所でも
あるのである。
◆第二次大戦の終結と占守島の戦い◆
占守島(しゅむしゅとう)というのは千島列島のはるか東方の末端において、カムチャッカ半島のすぐ南側に豆粒のようにぽつりと浮かんでいる小島である。
この小島の北側に広がる大海がオホーツク海であり、南側に広がる大海が太平洋である。占守島とカムチャッカ半島とを隔てている狭い海峡が第一クリル海峡で
あるが、第二次世界大戦までは、この第一クリル海峡が日本とソ連の国境に定められており、占守島を含む千島列島のすべての島々が日本の領土として、日本政府によって
統治されていた。第二次世界大戦の終結以前では、根室沖の北方4島だけが日本の領土であったのではなく、はるか東の方まで日本の国土は拡がっていたのである。
江戸時代の末期においては日本とソ連との国境がはっきりと定まっておらず、樺太と千島では(それにカムチャッカ、アリューシャン列島方面でも)、日本人とソ連人との間で紛
争が絶えなかった。このため両国の政府間で国境線の線引作業がすすめられていたが、長期にわたる国境交渉の末に最終的に成立したのが明治8(1875)年の樺
太・千島交換条約である。この条約交渉における日本側の特命全権大使は榎本武揚であり、南樺太領有を主張する国内の一部勢力を抑えて、千島列島を選択した。
った。この条約の結果は、日本は樺太の全島の権益をすべて放棄するが、その代わりに千島列島のすべての島を日本が領有し、統治するということであった。この国際条約
により、樺太はすべてロシア領とする一方で、千島列島は、東端の占守島に至るまですべて日本領とすることが確定したのである。
第二次世界大戦の初期には、米国軍は北太平洋のアリューシャン列島からキスカ島、アッツ島を経て、千島列島の島づたいに、北海道に侵攻してくるという想定が有
力視されており、この想定のもとに、日本軍は昭和17(1942)年6月にはアッツ島、キスカ島を占拠し、米国軍の来襲を睨んで北太平洋に防衛線を敷いていた。この想定は必
ずしも的外れなものではなく、米国軍は開戦後すぐに実際に日本の北方領土に向けて作戦を展開し、北太平洋の島づたいに軍隊を西に動かしはじめた。昭和18(1943)年5月には、米
国軍は11、000という圧倒的な将兵を投入してアッツ島攻略に着手し、陸・海・空からの猛攻撃によって17日間でアッツ島を制圧してしまった。山崎保代陸軍大佐が指揮す
る日本軍のアッツ島守備隊2,600人は、援軍なしにこの戦いに耐えた末に、ついに全滅してしまったのである。
米国軍はその後作戦を大転換し、太平洋南方の島づたいに日本列島を攻略することにし、沖縄諸島を新しい攻撃のターゲットに定めた。昭和20(1945)年3月26日にから沖縄戦
がはじまり、沖縄本島を中心に、3か月にわたって両軍の総力を挙げた激戦が展開された。この沖縄戦の最中においても、なおも北太平洋の戦線では脅威が続いていると
して、千島列島の占守島には第91師団の精鋭23,000人が配備され、決戦に備えて国境の守備固めがすすめられていた。
昭和20(1945)年8月になると広島・長崎に原爆が投下され、一気に太平洋戦争は終結に向かった。昭和20(1945)年8月15日、日本はポッダム宣言を受諾し、無条件降
伏をすることを決定し、これを受けて日本領土の隅々にまで昭和天皇の玉音放送が流された。この終戦の詔勅を通じて、日本軍の全軍に停戦命令が下されたのである。千島列
島の占守島を固める日本軍の将兵にも、この停戦命令はとどいていたから、本来であれば、千島列島の占守島でもこの8月15日に、戦争は終結するはずであった。
8月18日は終戦の詔勅が発せられた3日後になるが、その8月18日の未明に、突如として国籍不明の敵軍が、千島列島の占守島の日本陣地を攻撃しはじめた。当初
は停戦命令が行き渡らない米国軍による誤りの攻撃であろうと推測されていたが、前線の情報を繋ぎ合せてみたところ、敵軍の正体はソ連軍で、それも重装備の陸軍正規兵8,800のが占守島
に本格的に侵攻してきたことが明らかになった。
占守島の日本軍ではソ連軍を迎え撃たなければ、将兵(および開拓団の民間人)の生命は守られないし、かといってこの戦闘に勝ったところでその勝利に何かの意味があるわけでは
ない。苦渋の選択の末に、日本軍の現地指導部は対ソ軍に対する戦闘開始に踏み切った。しかし、敗戦国の日本軍にはこの戦いを正当化する理由がなかったから、8月21日
には停戦交渉を受け入れざるえなくなった。8月23日には日本軍はソ連軍による武装解除を受け、生き残った将兵はシベリアに送られ、抑留されてしまった。
この占守島の戦いは終戦の後に始まった戦争であり、第2次世界大戦の後に起きた第2次世界大戦の一部である。満州では、終戦の直前にソ連が参戦し、ソ連と日本軍との戦闘
が終戦後にも続いたが、占守島の戦いは終戦の後に起きた戦闘であり、この点で満州の対ソ戦争とも異なっている。人類史上珍しいこの占守島の戦いを興味深く扱っているのが、
浅田次郎、『終わらざる夏(上・中・下)』(集英社文庫、2013年6月)である。
◆国際会計基準(IFRSs)への対応は、もう暫く事態静観◆
金融庁の企業会計審議会(会長 安藤英義教授)は、6月19日に総会・企画調整部会合同会議を開催し、「当面の方針」を取りまとめた。これまでの
経緯を再検討したうえで、もう暫く事態の推移を見守るということになったもようである。
金融庁・企業会計審議会、「国際会計基準(IFRS)への対応のあり方に関する当面の方針」(平成25年6月20日)
日本の上場会社には、一定の条件を満たしておれば国際会計基準に準拠する途がすでに開かれているが、国際会計基準に移行済み
の会社数は現時点で20社ほどと少なく、今後も急増する見込みはない。またアメリカのSECなども慎重な姿勢を変え
ておらず、世界レベルでみても国際会計基準への転換が急激にすすむ状況にはない。こうした四囲の事情を勘案して、日本で
もこれまでの慎重な方針を堅持すると判断したものらしい。
◆一般財団法人における理事の責任◆
旧来の制度においては、財団法人は公益目的で創設される特別な法人であり(民法34条)、主務官庁(普通は知事)の許可がなければ設立できないものとされていた。ところが、平成18(2006)年に制度改革が行われてからは、「一般財団法人」という名のもとに誰でも設立できる通常の法人になった。認可主義から準則主義に設立原則が変更されたために、法定の要件を揃えて登記の手続きを完了すれば、一般財団法人が設立可能になったのである。
新法による一般財団法人の理事は1人以上何人でもよく、特に理事会を構成する必要はない(理事会を設けると理事会設置一般財団法人と呼ばれる)から、その運営面でもかなり簡素化されたといえる。しかし、理事に賦課される責任は以前に比べて格段に重くなっている。
(1) 理事の忠実義務が明記される(83条)とともに、競業及び利益相反取引が明文をもって制限されている(84条)。
(2) 理事がその任務を怠って、一般財団法人に損害を与えた時には、一般財団法人に対して損害賠償の責任を負う(111条)。
(3) 理事がその職務執行において悪意又は重大な過失により第三者に損害を与えた時は、第三者に発生した損害を賠償する責任を負う。
(4) 理事が計算書類(貸借対照表、損益計算書など)の重要事項について虚偽記載を行った場合には、第三者に対し悪意又は重大な過失により損害を与えたとみなして、損害賠償の責任を負う(117条)。
定款で理事の「最低責任限度額」を設定したり(113条)、外部理事とは「責任限定契約」を締結したりして(115条)、理事の賠償額を抑えることは可能である。しかし、責任そのものは減免させないから、一般財団法人の理事の責任は、株式会社の取締役並みに引き上げられており、きわめて厳しいものになったといえよう。特に計算書類の虚偽記載に賠償責任を負わせたことは重要な意味をもち、これまでにとかくありがちで
あった粉飾決算を防止するのに大いに寄与することが期待される。
「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律」(平成十八年六月二日法律第四十八号)
「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律施行規則」(平成十九年四月二十日法務省令第二十八号)
◆シンジケート・ローンの拡大と財務制限条項の変容(再)◆
シンジケート・ローン(syndicate loan)というのは多数の銀行が集団を形成して、1つの会社に資金を融資する大口の金融取引である。貸し手側の銀行集団はアレンジャーの幹事銀行によって統括
されており、貸付取引の交渉がアレンジャーによって一括して取りまとめられるだけでなく、貸付後の債権管理も貸付資金の回収もすべてアレンジャーの指揮の下で一元的に行われる。窓口が1本化され
るために借り手にとっても貸し手にとっても取引コストが大幅に削減されるが、融資額が多数口に細分されることから貸し手のリスクが分散されという大きなメリットも生じる。
シンジケート・ローンは規模の大きい金融取引であるから、借り手の会社側においては、借入資金は社債の償還、設備投資など、長期目的で使用されるケースが多い。貸付期間が短期になっている
場合でも、数年ごとのロール・オーバー(借り継ぎ)が予定されていて、実質的には長期の融資となっているのがふつうである。このため、融資先の選別、融資後の債権管理は貸し手の銀行にとってき
わめて重要な課題であり、最先端の金融ノウハウが活用される。
社債は公開市場に向けて発行されるから、その貸付契約の内容は画一的で、ばらつきが少ない。これに対してシンジケート・ローンは非公開市場(私的市場)における貸付取引であるから、市場原理
が働くとはいえ、貸付契約の内容はまちまちとなりやすい。貸出条件は借り手の会社と貸し手の銀行集団(アレンジャーが代表する)との間の対面交渉によって決められれるから、案件ごとに契約の内容が異なっ
てくるのである。
貸出条件が案件ごとに異なってくる主因は、借り手の返済能力が会社ごとに違うからである。融資を求める借り手において、潤沢な資金が金庫に眠っているようなことはありえない。融資を受けようとするのは
資金不足があるからであり、資金が足りない借り手においてその返済能力が100%確実だということは考えられない。借り手の会社には多かれ少なかれリスク――デフォルト・リスク――が存在する。そこで、貸し
手の銀行は貸付前にこのデフォルト・リスクを正確に見積り、そのリスクの大きさを貸付条件に反映させようとする。リスクの高い借り手には高い金利を要求し、リスクの低い借り手には金利の引下げを
試みるのがその例である。そのほか、リスクの高い借り手には、融資の金額を抑えたり、担保の提供を求めたりしなければならない(万一の焦げ付きの場合に、融資の金額を小さくしておくと被害が少なくなるし、
担保を付けておくと担保の競売によって債権の一部を回収できる)。
貸し手が借り手に融資した後、成行き任せにしておくと焦げ付きが発生する。そこで、貸し手は融資の後、借り手の経営を見張っておいて、借り手が目に余る経営をしている場合には経営
に口出しをするのがふつうである。こにように借り手の行動を見張ることはモニタリング(monitoring)といわれるし、借り手の経営への口出しは一種の経営介入であり、極端な場合には経営
権の取り上げ――コントロール権の委譲(control transfer)――となることもある。
貸し手が借り手の経営を見張るにしても、貸し手が借り手の経営に口出しをするにしても、借り手の経営が揺らぎだしてから慌てて手を着けるようでは、間に合わない。そこで一般には貸付契約を締結する時に、
これらの段取りも契約条項に書き込んでおいて、将来に争いが生じないように事前に対策を講じておく。定期的に会計報告をするように借り手に求めるだけでなく、会計数値を一定の制限値より悪くしないといっ
た誓約事項を書き抜き、サインと印鑑によってその義務の履行を確約させるのがその典型である。借り手の行動を縛るこの誓約文書を財務制限条項(covenant)と呼んでいる。
シンジケート・ローンではアレンジャーが財務制限条項をデザインし、融資後にその遵守状況を監視するが、背後には口うるさいシンジケート団の銀行群が控えているのだから、財務制限条項のデザインも遵守
状況の監視も手の込んだものになりがちである。知恵を絞りに絞って契約内容に工夫が凝らされるし、時代の変化に即応して改良が加えられる。特に最近では、変化が激しいという。
財務制限条項にはいろいろなタイプのものがあるので、実際には多数のものを組み合わせて、「財務制限条項パッケージ」(covenant packeage)として約定される。この財務制限条項パッケージを構成する
個々の財務制限条項は、そのタイプによって次のように分類されるのがふつうである。
●借り手の行動に対する束縛の仕方による分類
肯定的財務制限条項(affirmative covenant):借り手に対して「ああしてほしい」、「こうしてほしい」と、特定行動の選択を積極的に指示する条項をいう。
否定的財務制限条項(negative covenant):借り手に対して「ああしないでほしい」、「こうしないでほしい」と、特定行動の選択を消極的に抑止する条項をいう。
●使用する会計数値の違いによる分類
資本的財務制限条項(capital covenat):貸借対照表の数値にもとづいて、資本の源泉と使途について制約を設ける条項をいう。
業績水準財務制限条項(performance covenant):損益計算書の数値にもとづいて、一定水準以上の業績の達成を求める条項をいう。
これらのいろいろのタイプの財務制限条項の中で、最近になって顕著に増加してきているのが業績水準財務制限条項だといわれている。会計利益(利益率など)によって達成目標水準を定めておき、
それを下回ることがないように、借り手の会社の経営者を鼓舞するのである。この傾向は、貸付取引において、借り手の業績に連動させて金利を変動させる契約方式――業績連動型貸付取引(performace
pricing)――の興隆と軌を一にするものであり、注目に値することといえよう。
最近におけるもうひとつの重要な変化は、業績水準財務制限条項の使い方である。従来においては業績水準財務制限条項は、資本的財務制限条項と同様に、一定水準の会計数値を基準値に指定
し、それを上回ったり下回ったりすることのないように、財務制限条項で縛り付けるだけというのが主流であった。そして、この制限条項の縛りに違反すると、すぐに再交渉(renigotiation)のステップにす
すみ、あたかも経営破綻が生じたかのように、債務免除などの再建策を協議することになっていたのである。ところが最近では、財務制限条項へ抵触した場合の処理に、微妙な変化が観察されるという。
業績水準財務制限条項を締結している場合において、もし条項違反が発生するすると、その条項違反の内容に即応して事前に定めた貸し手の対応策が発動されるというのである。その場合の貸し手の
対応策というのは、そのほとんどが大なり小なり借り手の経営に介入することを意味するから、コントロール権の委譲(control transfer)になるというのである。この点で、業績水準財務制限条項はコントロー
ル権の委譲に結び付けられて運用されており、業績水準財務制限条項はコントロール権の委譲に関する「罠の張り糸」(strap wire)になっていると指摘されている。
《参考文献》
Christensen, Hans B., and Valei V. Nikolaev,"Capital Versus Performance Covenants in Debt Contracts," Journal of Accounting Research, Vol.50 No.1 (March 2012), pp.75-116.
◆罠の発動装置としての財務制限条項◆
「罠」(trap)を仕掛ける場合には、リング状に巻いた縄を枝から垂らし、輪の先に餌を置くが、それだけでは鳥獣は仕留められない。「張り糸」(trap wire)を落ち葉の中に隠しておいて、
それを獲物が足に引っ掛けた瞬間に、バネ仕掛けが弾けて、縄の輪が獲物の首を締め付けるようにしておかなければならない。籠の中に鳥獣を誘きよせる罠のケースも同じで、籠の
奥まで侵入した獲物が餌に口を付けた瞬間に、張り糸(「落とし金」)が動いて、出口の戸をしっかり閉ざさなければならない。
(注)"trap wire"には「踏み紐」、「隠し糸」、「引き綱」、「締め紐」など、日本各地にいろいろなローカル名がある。
張り糸は捕獲装置そのものではなく、その動作を助ける情報装置でしかない。しかし、張り糸が正確なタイミングで指令を発し、仕
掛けを確実に発動させないことには、罠は獲物を取り逃してしまう。罠のカナメは張り糸にある。
テロリストや犯罪者を見つけ、その侵入を防止するには、「敵」の接近を正確に検知して、警報を発する装置が不可欠
となる。この需要を受けて、市場にはセンサーによって不審者を識別する電子機器が多数出回っているが、この防
犯目的の検知システムは「電子的張り糸システム」(electoronic trap wire system)と呼ばれることが多い。こ
こで「張り糸」という用語が使われるのは、検知対象物を物理的に捕捉することによりも、その発見と防止(detection and prevention)
に重点を置いていることによっており、この点で罠の張り糸に役割が酷似している。
ところで、財務制限条項というのは、貸し手が借り手の追加借入れを制限したり、配当を禁止したりする契約条項であり、
借り手の行動そのものを束縛するものである。この財務制限条項の違反は、借入資金の即時返済義務を発生させるから、
単に警報音を鳴らせるだけの仕組みではない。この点では、罠に譬えていえば、財務制限条項は捕獲装置そのもので
あり、張り糸という情報装置の役割に終わるものではない。しかし、財務制限条項に違反すれば、次には重大なステップ
が待っており、ほぼ自動的に借り手は「首を締められる」。
資金に余裕がある会社が借入れをするようなことはない。資金が足りないからこそ借入れをするのだから、借り手では
一般に資金が逼迫している。その借入に際して将来の返済の見込みが確実であれば、財務制限条項が付けられるよ
うなことはない。返済が不確かでリスクが高いから、財務制限条項を付けられるのである。それなのに、財務制限条項
に違反したとして即時返済を要求されても、借入金を返済できるわけがない。どこかから新たに借り入れようにも、財務
制限条項にすでに違反している会社に貸す銀行はどこにもいない。とすれば、財務制限条項に違反すれば、そ
の借り手には破綻以外に途は残されていないことになる。罠に掛った獲物と同じで、もう逃げられない。
罠に掛った獲物は縄に堅く締め付けられており、猟師の支配下にある。「煮て食うも焼いて食うも、猟師次第」という状況
である。財務制限条項に違反した会社も経営が破綻したのも同然になっており、身動きがとれない。資金は枯
渇し、仕入先も販売先も寄り付かなくなっているし、従業員も転職先を捜しはじめている。こうして財務制限違反会社は転落の
坂道をころがり落ちることになるが、緊急の救援を頼もうにも、頼む先は主要取引銀行以外にはない。その頼みの綱とす
るのは、ふつは財務制限条項を取り結んだ相手先の銀行である。
財務制限条項という張り糸に引っ掛かると、借り手は緊急事態が発生したとして、借入先の銀行に駆け込む。通報を受け
た銀行にとっても、融資先における財務制限条項違反は重大事故の発生であり、緊急対策会議の招集となる。しかし、こ
の緊急対策会議において決められることは、ほとんどない。財務制限条項に違反した会社というのは、「煮ても焼いても
食えない」会社が多く、手の施しようがないのである。だから、ホンネをいえば、貸付金は全額投げ出してでも、一刻も早く手を
引きたいところである。
財務制限条項に違反した場合には、借り手は「期限の利益を失う」から、即時に借入金を返済しなければならない。借り手
の金庫に資金が眠っているのであれば、借り手はただちに返済するかもしれないが、借り手は「火の車」で、返済に充てる資
金などどこにもない。資金が足りないから、財務制限条項に抵触したのである。この状況において、貸し手の銀行は貸付金
の取り立などできることではないから、杓子通りに処理するとすれば、裁判所に破産宣告を申立てなければならない。しかし、
破産となると、その社会的影響は深刻であり、銀行にとっても得なことはなにもない。会社は空中分解して、従業員は職場を失
うし、会社の資産もばらばらにされて競売に出されるが、数年先になって管財人から債権者に分配される返済金は、平均して
債権の3-5%ほどでしかない。
財務制限条項に違反した場合に、借り手から貸付金を回収できる確率は、貸し手の銀行にとっては無に等しい。しかし、
かといって借り手をただちに破産に追い込むのも、銀行にとって賢明な選択ではない。世間は救済を諦めた銀行を名指
しして、「見捨てた」、「潰した」、「殺した」と騒ぎ立てるし、貸し手の銀行の責任を声高に追及する利害関係者も少なからず現れてくる。
特にシンジケート・ローンの幹事行(アレンジャー)の場合には、この貸し手の責任追及が厳しくなる。借り手を破産に追い込
んだのは幹事行であり、そのモニタリングが甘かったのが破産の原因なのだから、幹事行は他の債権者の損害の一部を賠償
すべきであるといいだすのである。この訴訟に負けて、何百億円もの貸倒損失を1銀行がかぶることにでもなれば、こんどはそ
の銀行が倒産することになりかねない。
貸付先が財務制限条項に違反すると、銀行は緊急対策会議を開くが、その席の最も重要なテーマは、問題の貸付先に「再
建」の見込みあるかどうかである。貸付先を再建できると、いまの会社が生き延びるし、何年か先には貸付金を一部でも回収できる可
能性もでてくる。そこで、いくつかの再建策を検討してみて、有望な2-3の案に絞り込む。そして、プロジェクト・チームを発足さ
せ、有望な2-3の案を中心にして具体的な「再建計画」の策定を依頼する。もちろんそれに併せて、破産という最悪のケース
についても、目立たない形で準備をすすめるが・・・・
再建計画の策定には6ー12カ月の日数が必要になるし、再建計画に必ず含まれる債務免除(債権切り捨て)には債権者会議の承
認が必要とされので、財務制限条項違反の会社はしばらくの間、宙ぶらりんの状況におかれる。この暫定期間に事業が行き詰
まってしまうと、再建計画どころではなくなってしまうから、まず次のような当面の措置を手抜かりなく実行していかなければならない。
(1)再建計画の完成時点まで、財務制限条項違反をペンディングにして、とりあえず即時返済義務の発生を先送りにする。
この措置は、日本では財務制限条項の「猶予」といわれているし、英米では「一時棚上げ」(waiver)と呼ばれている。
(2)借り手の経営陣の意思決定権限を制限または停止し、再建プロジェクト・チームが経営を代行するか、現行経営陣を補佐す
る。これは借り手から貸し手への「コントロール権の委譲」といわれている。極端な場合には銀行が旧経営陣を追い出し、銀行派遣
の新経営陣のもとで再建をすすめることになる。
(3)大規模な「資本注入」が不可欠となるので、第三者割当増資の出資者、または合併の相手会社を探す。
(4)毎月の賃金、仕入代金の支払いに資金が必要とされるので、銀行は当面の運転資金の貸付けを行う。従前の貸付金が未回収
の状況にあるのにさらに運転資金を追加融資することは、一般には「追い貸し」と呼ばれ、きわめてハイリスクの金融取引とみられ
ている。
いずれにしても、財務制限条項の違反は罠の張り糸を引っ掛けたことを意味するから、タダでは済まない。最悪のケースは破産で
あるが、それを避けられたとしても、前途は多難である。銀行が多額の債権放棄をしても再建計画が軌道に乗らないケースが多い
し、軌道に乗る場合でも、3-5年の年月が必要とされるのがふつうである。
このように財務制限条項の違反には多大な犠牲(コスト)がともなうから、借り手も貸し手もその違反を極力さけようとする。罠の張り
糸にいったん掛ってしまうと取り返しのつかないことになるから、いかなる犠牲(コスト)を払ってでも、張り糸に掛らないようにしなけ
ればならない。緊急時におけるその対応策の1つは、会計数値をゴマかして、罠の張り糸を飛び越えることである。
◆アメリカ会計学会(AAA)年次大会の将来の開催予定(再)◆
アメリカ会計学会(AAA)では、将来の年次大会の開催日程と開催地を公表しています。向こう2年間の
開催予定は、次のように発表されています。
□ August 2-6,2014 Atlanta, Georgia
□ August 8-12,2015 Chicago, Illinois
◆次回の更新◆
今年の夏は格別の暑さで、お盆を越しても、まだ秋は遠いという感じでした。雨の降り方も異様で、東北では集中豪雨が数回あったのに、西日本ではカラカラの夏となりました。しかし、秋風とともに
気候も落ち着き、いつもの美しい紅葉の候を迎えようとしています。みなさん、ことしも日本の秋を存分にお楽しみください。次回の更新は花の12月を予定しています。ごきげんよう、さようなら。
2013.09.01
OBENET
代表 岡部 孝好

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