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to New Version(February 20, 2013)
2013年02月版へのメッセージ
OBE Accounting Research Lab
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[1995年10月 ラボ開設のご挨拶][
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◆南京町の春節祭◆
中国は隣国ですが、なかなか訪問の機会に恵まれません。上海カニの旬のころ(10月-11月)にと思っていたのに、反日運動の暗雲が垂れ込めてきたので、
思い留まることにしました。最近では太陽の光を遮るほど汚染物質が濃く空中を漂っているという報道ですので、チケットを買いに走る気力が湧いてきません。
もともと春先の中国大陸は黄砂がひどく、前に北京を訪れたのはたしか3月でしたが、そのときにも車のフロントガラスが真っ白で、前方を見透すのがたいへん
なほどでした。しかし、神戸には南京町があり、ここでは年中中国の雰囲気が漂っています。

中国人は閏(うるう)で正月を祝いますので、いまがその春節祭にあたります。神戸を訪れた帰りにこのことを思い出してJR元町駅に降りてみると、南京町では賑や
かな祭典が繰り広げられていました。ステージではチャイナ・ドレスの女性がカラオケを歌ってましたし、縁台には中国料理が処狭しと並べられています。何
十年振りかのチャイナ・タウンですが、路の雑踏も食べ物の匂いも昔のままで、異国の情緒が感じられます。ここ南京町には、春が来ていました。
◆「ニシ・・・・」◆
英語の"you"に相当する日本語は多数あり、日常でも「あなた」、「あんさん」、「君」、「お前」、「てまえ」、「貴様」、「旦那さん」、「お主」などが、状況に応じて使い分けられている。
日本各地の方言を加えると"you"の日本語はおびただしい数になるから、日本人の間でも"you"の日本語が通用しない場合がでてきてもおかしくはない。
東北地方のことばは癖が強いから、それを耳にしても九州育ちのわたしには何のことなのか、さっぱり見当がつかないことが少なくない。NHKのTVで「八重の桜」を観ていると、
会津藩士の山本覚馬(西島秀俊)が「ニシ・・・・」と口走るシーンが再々でてくるが、「ニシ」が"you"という意味であるらしいことに気づいたのは最近になってからのことで
ある。想像するに、「お主」の「おヌシ」が訛って、「ニシ」に転化したのだろう。そういえば、中村彰彦の会津ものの歴史小説で、「サンズイ」につくりが「女」の漢字に「ニシ」というルビが
付られているのを読んだ覚えがある。
山本覚馬は江戸の佐久間象山の塾に遊学した秀才であるから顔が広く、薩摩(鹿児島)、長州(山口)の藩士などと広く交友していた。その薩摩も長州も日本の僻地で、いずれの
藩士も厳しい方言を使っていたから、会津藩士の山本覚馬がどのようにして彼らと意思を疎通したのかは興味津々(きょうみしんしん)である。蛤御門の変(禁門の変)では、会津と薩摩が手を組ん
で(薩會同盟)、長州と戦ったわけだから、たとえば山本覚馬と西郷吉之助の間で交わされたのがどういう会話であったのか、なかなか想像が及ばない。。「ニシ・・・」、
「オハン・・・」と禅問答が延々とつづいたにちがいないが、はたして話が通じていたのだろうか。

山本八重(綾瀬はるか)は山本覚馬の実妹であるが、覚馬と八重との間には一七歳もの隔たりがあった。父山本権八と母さくとの間に六人のこどもがあったが、健康に育ったたのは長男の
覚馬と五人目の八重、六人目の三郎だけだったという理由によるものらしい。八重は会津の上級藩士の姫というよりオテンバ娘として育ったようだから、家の中ではもとよりとして近所
のワルガキどもと会津弁でやり合っていたことに疑いはない。戦争ごっこでも、八重は高みに登って、「ニシ・・・」、「ニシ・・・」と野郎連中に指図をしていたことであろう。
八重の子供時代のこの経験は、会津戦争で大いに活きた。八重は鶴ケ城では銃を握って離さなかったばかりでなく、若い隊士を指揮して籠城戦を戦い抜いた。敗戦が確実になって、官
軍に鶴ケ城を明け渡すことが決められた夜、山本八重は髪からカンザシを引き抜き、三の丸の塀の白壁に次の一首を深く刻みつけたが、この日本語はきれいなもので、どこからみても非
の打ちどころのない銘句である。
”あすの夜はいづくの誰かながむらむ
馴れにしみ空に残す月影”
山本権八・覚馬の父子は京都守護職の松平容保(まつだいらかたもり)に従い、都に登って会津藩士に軍学を教えた。このため八重も京都で娘時代をすごすことになり、華の都で
京のことばや作法だけでなく、和歌、華道、茶道など、「京女」としての修業を積む機会に恵まれた。鶴ヶ城の合戦はもちろん八重が京文化を身に着けた後のことであるから、「あすの夜は」の一首を
詠むころには、「ニシ」などの会津のことばはもう消えかかっていたのかもしれない。事実、鶴ヶ城の開城後すぐに八重は京都に現れるが、その時には会津の殻はすっかり脱ぎ捨て
て、まったく別の女に変身していたといわれている。八重は三条の通りを革靴で濶歩していたというから、京に帰ってきたからといって「京女」に戻ったということではなかったらしい。
いずれにしてもその京都で八重は新島譲(同志社大学の創始者)と結ばれるが、瑣末なことながら、八重が新島譲に話し掛けるTVの画面では耳を澄ませておきたいと思う。「ニシ」、
「旦那さん」でも、"you"でもないだろうと思っているのだか・・・・・・
◆USAにおける小売店の苦戦◆
大阪では百貨店戦争が繰り広げらており、JR大阪駅周辺だけでなく、難波でも天王寺でも巨大なビルが建ち並び、百貨店の増床競争がつづいている。
しかし、これは日本だけの(それも大阪だけの)ローカルな現象で、あまり一般的なことではないのかもしれない。百貨店とい商売の仕方は外国から輸入さ
れたものであろうが、最近のUSAでは、百貨店などの大規模小売店が苦戦しており、事業撤退を急ぐ傾向が現れていると報じられている。次が最近の
状況である。
1. Best Buyは販売拠点を200店舗閉鎖する。
2. Searsは100店舗から125店舗を削減する。
3. J.C. Penneyは300店舗を撤収する。
4. Office Depotは販売拠点を150店閉鎖する。
5. Barnes & Nobleは200の店舗を閉鎖する。
6. Gamestopは500拠点を閉鎖する。
7. OfficeMaxは150の販売拠点を閉鎖する。
8. RadioShackは450店舗を閉鎖する。
これらの大型小売店では顧客離れがつづいており、売上減によって経営が成り立たなくなっているのが理由だとされている。売上減により収益性が低下し、
これにともない株価下落が著しいため、不振の販売拠点の閉鎖によって経営を建て直さなければ、経営陣の地位が危うくなるのだという。

こうした売上減は在来店が飽きられていることによるもので、既存店の人気落ちの象徴とみられている。百貨店には客を惹きつけるものが何もないから、
顧客はオンラインショッピングの方に廻っているというのである。在来の小売店の方でもいろいろと手を打っているが、その手はどれも旧来の焼き直しで、
顧客からは冷ややかな眼で見られがちになる。戦略は枯渇してしまっていて、低価格ではもう客を呼べない時代に変わっていると指摘されている。
しかし、オンラインショッピングの行く手も必ずしもピンク色ではないようだから、問題は既存店だけのことではないのかもしれない。消費そのものが冷え切
っていることに根本原因があるとすれば、この苦境を脱するのは容易なことではないであろう。大阪の百貨店戦争は華々しいが、先に心配がないわけで
はない。
◆コモディティー化◆
工業製品を製造する場合に、1品ごとに本体に部品を組み付けて、最終製品に仕上げていくのが最も原初的な生産スタイルである。この原初的な生産スタイルが進化したものとして、
いくつかの部品を前もって組み合わせて1つの「部品の塊」を作成しておく方式が挙げられる。ある秩序だったやり方で組み合わせた「部品の塊」は、一般にモジュール
と呼ばれている。生産の企画段階において、1つの製品をいくつかのモジュールに切り分けておき、それぞれのモジュールを別個に製作する手配をしておくと、製品の
本体を製造する場合にはモジュールを組み合わせるだけでよいから、製造プロセスが単純化される。製造プロセスが単純になるということは、製造の時間が短縮されるだけでなく、
人件費が浮いて、コストダウンに直結する。製造に要求される技能のレベルも低下するから、安価な非熟練工を導入できるうえに、製造ミスの減少によって歩留りがよくなり、品質が
向上する。
工業製品を製造するメーカーが、すべての部品を自分で製作するのはまれなことである。部品のいくつかは他のメーカーから購入するのがふつうであるが、この外部調達部品の購入
にあたって、多数の部品を組み合わせたモジュールを購入する方が便利で、安上がりなことが多い。1品ごとに部品を購入しても、どちみち社内でモジュールを製作しなければなら
ないのだから、既成のモジュールを購入する方が手っとり早く、安くつくことが考えられる。

部品の売り手の側でも、部品を1品ごとに販売するより、モジュールにして「部品の塊」を販売した方が有利になるのがふつうである。モジュールにして販売すれば、付加価値が増加し
て、売上増、利益増につながる。このモジュール化にあたって、部品メーカーにとって大切なことは、1つひとつのモジュールをできるだけ標準化して、汎用性をもたせることである。汎
用性が高いモジュールは多種類の最終製品の部品として広く使われるから、部品メーカーは多様な顧客にモジュールを売り捌くことができ、それだけ売上が伸びることになる。
こうして部品の規格、仕様が画一化され、汎用的なモジュールとして売買されるようになると、部品、半製品の市場が高度化し、モジュールの市場価格が円滑に形成されるようになる。
需給に応じて価格が柔軟に上下するし、また柔軟に変動する価格の将来予想にもとづいて、需給が迅速に調整される。これは、モジュールという「部品の塊」が1つの完全な「商品」の
性質を備えて、小麦、砂糖、石炭などと同じように、国際市場で自由に売買されるということにほかならない。
「コモディティ化」(commoditization, commodification)というのは、このように「部品の塊」を標準的なモジュールに転換し、このモジュールを「コモディティ」として活発な市場で売買
することを指している。したがって、市場価格による部品の社外売買という点にその特徴があるといえるが、最近になって「コモディティ化」が注目を集めているのは、それがメーカー
に及ぼすインパクトが強烈であるからである。「コモディティ化」は、特に日本のメーカーに劇的なインパクトを与えつつあるといわれている。いくつかを例示してみよう。
(1) パソコン市場などでは「コモディティ化」がすすんだために、どのメーカーも同じようなモジュールを使って、同じような製品を製造している。どこの製品でも同じような性能であり、
製品に差がない。品質が均質化して、個性を喪失している。
(2) 製品に品質の違いがなくなったために、値段だけが競争手段になって、価格競争が激化している。類似のメーカーが顧客を食い合い、ともに利益率を低下させている。
(3) 製造プロセスがモジュールを組み合わせるだけになって、著しく単純化された。この結果として参入障壁が下がり、新規参入がきわめて容易になった。製造に必要なモジュール
はどこからでも容易に調達できるし、また製造に要求される技能も著しく低くなっている。基本設計さえ入手できれば、だれでも在来品と同様の製品を製造して、売り出すことができる。
このため供給が急増して、競争が激化することになりやすい。
◆会計数値の怪:アノマリー(再)◆
世の中にはヘンテコな現象が多数あるが、会計学とか財務論の世界にも理屈では説明がつかない不可思議な現象がある。「アノマリー」
(anomaly)と呼ばれている怪現象がそれにあたる。"anomaly"を辞書でみると「不可解、異例、不規則」といった日本語が出てくるが、どれもしっくりこないので、カタ
カナを使うのがわが国の慣行になっている。
会社が会計数値を公表すると、投資者がそれを読んで決断(意思決定)を行い、株式の売買をする。投資者が株式を売買すると株価が上下するが、その
株価の動き方は会計数値がよいときには(売り手よりも買い手の方が多いので)高くなり、会計数値がわるいときには(買い手よりも売り手の方が多いので)低く
なるのがふつうである。これは、よい会計数値(グッドニュース)は株価上昇を、わるい会計数値(バッドニュース)は株価下落をもたらすことを意味している。しか
し、実際の株価はなかなかこのような動きをしない。
証券の売買に先だって会計数値を細かく検討することをファンダメンタル分析(fundamental analysis)といっている。このファンダメンタル分析の狙
いは、将来に値上がりする株式(現在は過小に評価されている株式)がどれなのか、将来に値下がりする株式(現在は過大に評価されている株式)がどれなのかを
見分けることにあるから、現在の会計数値と将来の株価との関係がどうなっているか、二つのつながり方を究明することにそのポイントがあるといえる。この
ファンダメンタル分析に関連して、多数のアノマリーがあることが分かっていて、なぜそうしたアノマリーが存在するのかが学者の悩みの種になっている。会計学に関連
する最も歴史の古いアノマリーがpost-earnings-announcement drift :PEADである。

PEADというのは、「利益数値の公表後における株価の漂い(drift)」がその直訳にあたる。利益数値を公表しても株価がすぐに反応せず、フラフラと空中に浮いている
ようにみえることから、この名称が付けられたらしい。理論的には株価がフラフラと漂うことはありえないから、アノマリーだとされているのである
。
会計数値は四半期ごとに市場に公表されているが、その会計数値に対する株価の反応の仕方を時を追って追跡してみると、株価の反応は会計数値の公表に
即応しておらず、かなり遅行する傾向がはっきりと示されている。グッドニュースの場合でもバッドニュースの場合でも、会計数値の情報内容に対する市場の評価は一般
に控え目(過小)であり、市場がすべての情報内容を株価に織り込んでしまうまでに、(1年決算換算で)90日程度もの日数がかかってしまうことが明らかにされている。
株価が会計数値の公表に即応するのであれば、よい会計数値が公表されたからといって、その株式の買に走っても利得がえられることはない。よい会計数値の公表後
には株価はすでに上昇済みになっているはずであるから、利得をえるためには、よい会計数値の公表に先回りして株式を買っておかなけらればならない。しかし、これは
理論上の空絵事にすぎないとして、公表された会計数値を見てから動く投資者が多い。実際にはPEADが存在するから、利益数値の公表後になってから証券会社に走
って株式を買っても、まだ利得がえられるチャンスが残されているのである。
金融論においては、効率的な市場においては情報は瞬時に、偏りなく伝播し、すぐさますべての情報が株価に織り込まれてしまうと想定されている。この想定にもとづくと、
会計数値が公表された後になって、株価がフラフラと空中を遊泳するといったアノマリーは絶対に発生するはずのない珍現象である。しかし、それにもかかわらず、現実
には間違いなくアノマリーが存在する。そこで、理論と実際との食違いをもっともらしく説明するというツジツマアワセが必要になってくる。アノマリーの説明理論が多数出て
くるわけである。
PEADが存在するというのは、統計処理の間違いによるもので、研究者のミスに原因があるというという学説もないわけではない。しかし、理論的にはありえない珍
現象が発生するのは、投資者における会計数値の解釈の仕方に問題があるという見方が最も有力である。投資者が会計数値を知覚するプロセスに異常があって、
投資者の認知異常(misperception)によってアノマリーが引き起こされるというのである。この認知異常説によると、アノマリーの責めは投資者だけに帰せられてしまうが、会計
数値を作成する会社側にも原因があるとか、また会計数値を利用する他の投資者の妨害行動にも原因の可能性があるといった見解もないわけではない。これらの対立する
いくつかの見解を示しておこう。
PEADが発生する原因を投資者における情報解釈に求めるのが、最も一般的な考え方である。投資者における会計情報の認知行動は理論モデルとは異なっていて、この特
異な認知によってアノマリーが発生しているとみるのである。次がその例である。
・会計数値が正しく理解できておらず、たとえば季節変動といった要因を正しく織り込んでいない。
・会計数値を解釈するのに時間がかかっており、何度も読み返さないと、正しい理解には達しえない。
・会計数値を自力では解釈できない投資者がおり、証券アナリストなどの支援を受けてからでないと、その意味が理解できない。
・会計数値の解釈にあたり他の投資者の解釈を参考にする傾向があり、多数の他の投資者の出方を見てからでないと、自己の最終的な判断を決められない。

PEADが発生するのは、会計数値を作成する会社の経営者が真実の情報を開示しないからだという見方がある。
・公表される会計数値は真実なものとは限られないから、疑いを抱く投資者においては真実のものであるかどうかを見極める必要があり、この見極めに時間がかかる。
・公表される会計数値は「わざと解りにくく」作成されている可能性があるから、投資者が会計数値の真の意味を汲み取るには時間が必要とされる。
投資者は専門知識を備えたエキスパートばかりではない。会計数値を正しく読めない投資者も少なくない。
・市場には会計数値に無知なのに、会計数値に精通しているかのように装い、会計数値の公表後に大騒ぎをする「ノイジィ・トレーダ」(noisy trader)が多数いる。これらの
ノイジィ・トレーダが市場を「掻きまわす」ために、真実の会計数値が伝わらない。
・会計数値の意味を誤解して、誤った二次情報を市場に拡散させる証券アナリストがいる。
参考文献
Lewellen, Jonathan, "Accounting Anomalies and Fundamental Analysis: An Altenative View," Journal of Accounting and Economics, Vol. 50 (2010), pp.455-466.
◆シンジケート・ローンの拡大と財務制限条項の変容(再)◆
シンジケート・ローン(syndicate loan)というのは多数の銀行が集団を形成して、1つの会社に資金を融資する大口の金融取引である。貸し手側の銀行集団はアレンジャーの幹事銀行によって統括
されており、貸付取引の交渉がアレンジャーによって一括して取りまとめられるだけでなく、貸付後の債権管理も貸付資金の回収もすべてアレンジャーの指揮の下で一元的に行われる。窓口が1本化され
るために借り手にとっても貸し手にとっても取引コストが大幅に削減されるが、融資額が多数口に細分されることから貸し手のリスクが分散されという大きなメリットも生じる。

シンジケート・ローンは規模の大きい金融取引であるから、借り手の会社側においては、借入資金は社債の償還、設備投資など、長期目的で計画されるケースが多い。貸付期間が短期になっている
場合でも、数年ごとのロール・オーバー(借り継ぎ)が予定されていて、実質的には長期の融資となっているのふつうである。このため、融資先の選別、融資後の債権管理は貸し手の銀行にとってき
わめて重要な課題であり、最先端の金融ノウハウが活用される。
社債は公開市場に向けて発行されるから、その貸付契約の内容は画一的で、ばらつきが少ない。これに対してシンジケート・ローンは非公開市場(私的市場)における貸付取引であるから、市場原理
が働くとはいえ、貸付契約の内容はまちまちとなりやすい。貸出条件は借り手の会社と貸し手の銀行集団(アレンジャーが代表する)との間の対面交渉によって決められれるから、案件ごとに契約の内容が異なっ
てくるのである。
貸出条件が案件ごとに異なってくる主因は、借り手の返済能力が会社ごとに違うからである。融資を求める借り手において、潤沢な資金が金庫に眠っているようなことはありえない。融資を受けようとするのは
資金不足があるからであり、資金が足りない借り手においてその返済能力が100%確実だということは考えられない。借り手の会社には多かれ少なかれリスク――デフォルト・リスク――が存在する。そこで、貸し
手の銀行は貸付前にこのデフォルト・リスクを正確に見積り、そのリスクの大きさを貸付条件に反映させようとする。リスクの高い借り手には高い金利を要求し、リスクの低い借り手には金利の引下げを
試みるわけである。そのほか、リスクの高い借り手には、融資の金額を抑えたり、担保の提供を求めたりしなければならない(万一の焦げ付きの場合に、融資の金額を小さくしておくと被害が少なくなるし、
担保を付けておくと担保の競売によって債権の一部を回収できる)。

貸し手が借り手に融資した後、成行き任せにしておくと焦げ付きが発生する。そこで、貸し手は融資の後、借り手の経営を見張っておいて、借り手が目に余る経営をしている場合には経営
に口出しをするのがふつうである。借り手を見張ることはモニタリング(monitoring)といわれるし、借り手の経営への口出しは一種の経営介入であり、極端な場合には経営権の取り上げ――コントロール権
の委譲(control transfer)――となることもある。
貸し手が借り手の経営を見張るにしても、貸し手が借り手の経営に口出しをするにしても、借り手の経営が揺らぎだしてから慌てて手を着けるようでは、間に合わない。そこで一般には貸付契約を締結する時に、
これらの段取りも契約条項に書き込んでおいて、将来に争いが生じないように事前に対策を講じておく。定期的に会計報告をするように借り手に求めるだけでなく、会計数値を一定の制限値より悪くしないといっ
た誓約事項を書き抜き、サインと印鑑によってその義務の履行を確約させるのである。借り手の行動を縛るこの誓約文書を財務制限条項(covenant)と呼んでいる。
シンジケート・ローンではアレンジャーが財務制限条項をデザインし、融資後にその遵守状況を監視するが、背後には口うるさいシンジケート団の銀行群が控えているのだから、財務制限条項のデザインも遵守
状況の監視も手の込んだものになりがちである。知恵を絞りに絞って契約内容に工夫が凝らされるし、時代の変化に即応して改良が加えられる。特に最近では、変化が激しい
。

財務制限条項にはいろいろなタイプのものがあるので、実際には多数のものを組み合わせて、「財務制限条項パッケージ」(covenant packeage)として約定される。この財務制限条項パッケージを構成する
個々の財務制限条項は、そのタイプによって次のように分類されるのがふつうである。
●借り手の行動に対する束縛の仕方による分類
肯定的財務制限条項(affirmative covenant):借り手に対して「ああしてほしい」、「こうしてほしい」と、特定行動に選択を積極的に指示する条項をいう。
否定的財務制限条項(negative covenant):借り手に対して「ああしないでほしい」、「こうしないでほしい」と、特定行動の選択を消極的に抑止する条項をいう。
●使用する会計数値の違いによる分類
資本的財務制限条項(capital covenat):貸借対照表の数値にもとづいて、資本の源泉と使途について制約を設ける条項をいう。
業績水準財務制限条項(performance covenant):損益計算書の数値にもとづいて、一定水準以上の業績の達成を求める条項をいう。
これらのいろいろのタイプの財務制限条項の中で、最近になって顕著に増加してきているのが業績水準財務制限条項だといわれている。会計利益(利益率)によって達成目標水準を定めておき、
それを下回ることがないように、借り手の会社の経営者を鼓舞するのである。この傾向は、貸付取引において、借り手の業績に連動させて金利を変動させる契約方式――業績連動型貸付取引(performace
pricing)――の興隆と軌を一にするものであり、注目に値することといえよう。

最近におけるもうひとつの重要な変化は、業績水準財務制限条項の使い方である。従来においては業績水準財務制限条項は、資本的財務制限条項と同様に、一定水準の会計数値を基準値に指定
し、それを上回ったり下回ったりすることのないように、財務制限条項で縛り付けるだけというのが主流であった。そして、この制限条項の縛りに違反すると、すぐに再交渉(renigotiation)のステップにす
すみ、あたかも経営破綻が生じたかのように、債務免除などの再建策を協議することになっていたのである。ところが最近では、財務制限条項へ抵触した場合の処理に、微妙な変化が観察されるという。
業績水準財務制限条項を締結している場合において、もし条項違反が発生するすると、その条項違反の内容に即応して事前に定めた貸し手の対応策が発動される。その場合の貸し手の対応策という
のはそのほとんどが借り手の経営に介入することを意味するから、コントロール権の委譲(control transfer)になるというのである。この点で、業績水準財務制限条項はコントロール権の委譲に結び付けら
れて運用されており、業績水準財務制限条項はコントロール権の委譲の「仕掛け縄」(strip wire)になっていると指摘されている。
《参考文献》
Christensen, Hans B., and Valei V. Nikolaev,"Capital Versus Performance Covenants in Debt Contracts," Journal of Accounting Research, Vol.50 No.1 (March 2012), pp.75-116.
◆銃と免疫力(再)◆
コロンブスの船隊が大西洋を横断し、西インド諸島に到達してから、ヨーロッパの船隊はくりかえしアメリカ大陸を蹂躙し、莫大な富をヨーロッパに持ち帰った。
その代わりとして西洋から大陸側に持ち込まれたものも多数あったが、アメリカ大陸の原住民に特に「恐ろしい」とされたのが鉄砲であった。当時のアメリカ・
インデアンは鉄器を知らない民族であったから、農業、漁業、狩猟などの営みではすべて木材、石材などで造られた簡素な用具が利用されていた。その素朴な社会に突如と
して銃が持ち込まれたのだから、アメリカ大陸の原住民はその生活を根底から覆されてしまった。略奪目的に銃が利用されただけではなく、原住民の統治にも銃が使われたため
に、原住民の生活は壊滅的な打撃を受け、絶滅の危機に瀕した部族も少なくなかった。金銀などの奢侈品ならともかく、土地や備蓄食料まで奪われた結果として、
生活の基礎が崩れてしまったのである。

日本の種子島に鉄砲が伝来したのは1543年のことであるが、アメリカ大陸には鉄砲が持ち込まれたのはそれより半世紀も前のことであり、日本のケースとは比
較にならないほど悲惨なやり方で銃の惨禍が拡がっていた。当時の日本でも銃は戦争の武器としてすぐに普及したが、他民族によって日本の住民が銃で
虐殺されたり、その居住地を追い払われるようなことはなかった。ところがアメリカ大陸の原住民は、白人が持ち込んだ銃によって部族が撃滅され、その生活の地
を追い出されたのである。
西部劇の映画には馬上で銃を巧みに操るインデアンの勇士がよく出てくるが、もしそいう情景が本当にあったとすれば、それはコロンブスのアメリカ大陸発見の
100年も200年も後のことである。アメリカ・インデアンはもともと銃も馬も持っていなかったから、侵略者と戦うには弓矢や棒切れを頼りにするほかはなかったので
ある。銃がなかったというのはアメリカ・インデアンにとって決定的な弱点であったが、もう1つの弱みは細菌にたいする抵抗力が欠けていたことである。
当時のアメリカ大陸の原住民には伝染性の疫病を患った経験がなく、病原菌に対してまったくクリーンであった。そのアメリカ大陸に上陸してきたヨーロッパの船隊
の乗組員たちは、その多くが病原菌に汚染されており、ダーティなひとびとが多かった。ヨーロッパから持ち込まれた病原菌は免疫力をもたない原住民にたちまちのう
ちに感染し、重篤な病気を次々に発症させていった。病気は原住民の間に急速に伝染し、民族の存続を危うくするまでに拡大した。外国人の入植地において新種の感染症の伝染に
よって壊滅的打撃を受けた部族は少なくなく、インカ帝国のように、王国そのものが壊滅してしまった例さえある。それなのに、アメリカ大陸を侵略した外国人は免疫
力をもっていたから、自分たちは伝染病に耐え抜いて、その居住地域を拡大しつづけたのである。
当時のアメリカ大陸の原住民に疫病を患った経験があったなら、免疫力が培われていたであろうから、病原菌をもった外国人が侵入してきても、これほどの壊滅的
な打撃は受けずにすんだにちがいない。しかし、アメリカ大陸は太平洋と大西洋に隔てられた「孤島」であり、コロンブスの船隊が来るまで、免疫力を養うチャンスは
まったくなかった。病原菌のないアメリカ大陸はあまりにも清潔すぎたために、未曾有の悲惨な体験をすることになったのである。
日本はアジアの東端にあって、日本海、黄海によって大陸から切り離されているが、1日で黄砂が飛び渡れるほどの至近距離にあるし、古来より大陸との人的交流も
決して少なかったわけではない。このためもあって、日本では病原菌に対する免疫力は多少は養われていたのではなかったかと思う。江戸末期にコレラの大流行の
例はあるが、民族が撃滅の危機に瀕するほどの感染症の大流行はなかったように思われる。ヨーロッパの銃と免疫力の攻撃にさらされた点ではアメリカ大陸も日本列島も
同じであるが、そのインパクトの受け方には大きな違いがあったのである。
《参考文献》
Shared Diamond, Guns, Germs, and Steel: The Fate of Human Societies(Norton & Company,1997),シャレドダイアモンド著・倉骨彰訳、『銃・病原菌・鉄(上・下)』(草思社文庫,2012年).
◆多重代表訴訟制度(再)◆
会社の役員(取締役、監査役など)が会社の利害に沿ってその業務執行を忠実に行わず、会社に財産上の損害を与えた場合には、その役員は会社に対して
損害を賠償する責任を負っている。しかし、会社の役員は会社を代表者になっていることが多く、会社が役員の賠償責任を追及し、損害賠償を請求するようなこと
は期待できない。そこで、株主代表訴訟制度では、役員に対する損害賠償請求訴訟を提起する権利を株主に認め、株主が会社に成り代わって、役員に損害
填補を求める(いわゆる代位請求する)ことができるとしている(会社法第847条1項)。

代表訴訟制度において、株主が填補を請求できるのは会社の損害であって、株主個人の損害ではない。このため、裁判によって役員の損害賠償責任が確定した場
合には、賠償金の支払いは損害を発生させた役員から(株主に対してではなく)会社に対して行われる。
さて、親会社と子会社とで企業集団を形成している場合において、子会社の役員が子会社に損害を発生させたとすれば、その損害は持分関係を通じて親会社に移
転し、さらには親会社の株主に影響が波及することになる。この情況において代表訴訟制度を通じて子会社の役員の責任を追及するとしても、親会社の株主は
子会社の役員と直接の関係をもっていない。そこで、親会社の役員をターゲットに定め、その責任追及を行うほかはない。現行の代表訴訟制度を通じて子会社役員
が引き起こした損害の賠償を求めるとすれば、株主は親会社の役員に対して責任追及の訴えを起こし、親会社の役員が子会社の役員の監督を怠ったために子会社
に損害が発生し、このために親会社が損害を被ったことを立証しなければならない。この立証は多段階であり、かなり困難な作業だといわれている。
仮に子会社の役員の賠償責任が裁判で確定したとしても、この場合における賠償金の支払いは、賠償責任を負った親会社の役員から親会社に対して行われること
になるであろうから、子会社の役員の賠償責任と子会社の損害がどうなるかははっきりしない。
いま会社法の改正で問題とされている多重代表訴訟制度では、これらのあいまいな点が法制度で固められるという。多重代表訴訟制度では、親会社の株主が子会
社の役員に対して直接に損害賠償の責任を追及することができる。このため、もし子会社役員の損害賠償責任が確定すると、子会社の役員は子会社に対
して賠償金を支払う。この賠償金の支払いは持分関係を通じて親会社の財政状態に反映されるから、最終的には親会社の株主も、その恩恵に浴することにな
る。
◆アメリカ会計学会(AAA)年次大会の将来の開催予定(再)◆
アメリカ会計学会(AAA)では、将来の年次大会の開催日程と開催地を公表しています。向こう4年間の
開催予定は、次のように発表されています。
□ August 3-7,2013 Anaheim, California
□ August 2-6,2014 Atlanta, Georgia
□ August 8-12,2015 Chicago, Illinois
◆次回の更新◆
冬の寒さが厳しいほど、春の桜花はあでやかさが増すといわれています。寒中のすさましい風と氷によって、桜の木が、芯から鍛えに鍛えられるからでしょうか。今年
の冬は格別に寒かったわけですから、桜の花も格別美しいものになると楽しみにしています。三月のお水取りをすぎると、花の便りが聞こえてきます。みなさん、お元
気にて春の日をお迎えください。次回の更新は花の5月を予定しています。ごきげんよう。さようなら。
2013.02.20
OBENET
代表 岡部 孝好

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