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2011年1月特別版へのメッセージ
OBE Accounting Research Lab
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[1995年10月 ラボ開設のご挨拶][
Webmasterからのメッセージのバックナンバー]
◆雪景色の新春◆
2011年の京の新春は真っ白な雪景色で開けました。大晦日の朝から降りはじめた雪は夕方になっても止まず、京の町はすっかり雪に埋もれてしまいました。
これほどの大雪のお正月は、何十年振りかのことらしく、京都のみなさんは寒さに震えながらも、この素晴らしい雪景色を堪能しておいででした。留学生の中に
は生まれて初めて雪を見た人も多いらしく、雪合戦をしたり、雪だるまを作ったり、たいへんなはしゃぎようです。ことしは静かで、穏やか
な雪の新年です。みなさん、あけましておめでとうございます。(上の写真は同
志社大学今出川キャンパスの椋。向こうに霞むのがクラーク館。2010年12月31日撮影)。

◆興津裕康先生を偲んで◆
近畿大学名誉教授 経営学博士 興津裕康(おきつひろやす)先生が1月19日、脳出血で急逝された。1939年、兵庫県淡路島のお生まれ
とお聞きしていたので、71歳になられていたはずである。お正月にはいつものように年賀状を頂戴していたし、雑誌『会計』の最近
号には書評をご執筆になられていたので、訃報に接しても、わたしの気持がすんなりとは受け入れてくれず、いまでも信じ難いという思い
を引きずっている。お倒れになられたのは1月7日のことで、これが最初で、最後の入院だったという。
興津先生は関西学院大学商学部の小島ゼミのご出身で、わたしが神戸大学大学院経営学研究科修士過程に進学した時、
すでに神戸大学経営学研究科のマスターを修了され、ドクター・コースにご在籍ではなかったかと思う。興津先生の当時の所属
ゼミは山下勝治研究室であったが、その後山下教授がご逝去されたために、わたしが所属していた谷端長研究室に合流さ
れることになった。そのころにはすでに広島商科大学(現在の広島修道大学)にご奉職なされていて、六甲台に現れるのは時々、
という感じであった。
神戸大学の経営学研究科にご在籍のこのころはドイツの貸借対照表論を精力的にご研究になっており、特にコジオールの学説に精通されていた。
これをベースにシュマーレンバッハ、ワルプなどへとだんだんと学説研究の輪を拡げられ、その成果をおまとめになられたのが『貸借対
照表論の展開――ドイツにおける貸借対照表論の系譜――』(森山書店、1978年)である。興津先生はその後近畿大学商経学
部に移られてからもドイツ会計学の研究に邁進され、10冊以上の著書をものにされたが、わたしに最も鮮烈な印象を残したのは最初の
このご本であった。
2年ほど前に、会計学会の関西部会が同志社大学で開催された折、そのパーティの席で、突然に興津先生が神戸大学大学院時
代のずいぶん古い話を持ち出して、わたしを驚かせた。当時、谷端ゼミの幹事をしていたわたしが、興津先生に頼みこんで先生の地元
の淡路島で谷端ゼミの合宿をした時のことらしい。そういえば興津先生のご手配であったのか、漁港の福良で鯛料理か何か、学生には
不釣り合いなすごいご馳走をいただいたような淡い記憶がある。興津先生はその時誕生されたばかりの女の赤ちゃんを連れていったというのだが、
わたしには皆目覚えのないことで、見当がつかない。その赤ちゃんをわたしが「抱きあげ、あやしてくれた」というのだから、作り話のようで、とても
信じられることではない。しかし、興津先生は真顔で、「あの時あんたに抱っこしてもらったウチの娘は、あんたの大学になー」と、とても嬉しそ
うに話し始めたのだ。同志社大学に翌年に新設されることになっていた心理学部に、お嬢さんが准教授として任用されることが決まったというの
である。まさに奇縁であるが、わたしにとっても喜ばしいお話なので、「着任後に京都でお祝の席を設けるから、3人で飲もう」と笑って別れた
が、この約束は果たせないままに終わってしまった。しかし、あの日の嬉しそうな興津先生のお顔は、とても忘れられるものではない。合掌。
◆金科玉条の概念フレームワーク◆
会計学の世界では「概念フレームワーク」(conceptual framewark)という言葉が大はやりになっており、このことばを背表紙に打った著書が何冊も、
書店の棚に並んでいるほどです。ことの起こりはアメリカのFASBが出したStatement of Financial Accounting Concepts No.1, Objectives of Financial
Reporting by Business Enterprises (Nevember 1978)であり、それ以降7冊のSFACが公刊されています。国際会計基準の方でも同様のプロジェクト
をスタートさせ、よく似ているが、内容の異なる概念フレームワークの冊子を公表しています。

会計基準が次々に制定されているのに、それぞれの会計基準の制定にあたって議論が噛み合わず、時間ばかりを空費するというのが、
概念フレームワークを作ろうということの発端です。具体的な会計処理のルールを作るのに、そもそも会計の目的が何なのか、資産
とか負債をどう定義するかなど、根本的なことから議論をし始めては間に合わない。議論の出発点となる共通の理解を明文化しておこうと
いう考えから、会計目的、基礎概念などについて文書化がすすめられ、その結果として生まれたのが概念フレームワークです
(右の雪景色は京都御所、2010年12月31日撮影)。
最近の会計基準はどれもこの概念フレームワークを基礎にして制定されていますから、会計基準の重要な論点は概念フレームワークを参照しないと
解釈できないことが多い。会計基準の制定根拠の文書にも、これこれの考え方は、概念フレームワークのどこそこによっていると明記されている。
とすれば、会計基準のことについては概念フレームワークがオオモトということになって、何もかもそれに依存してしまう。概念フレームワークがいまや
金科玉条となっているです。
この状況に批判的な見解も多い。会計基準の制定では金科玉条として概念フレームワークが引き合いに出されるが、その概念フレームワー
クを作ったのはいったい誰なのか。それはFASBの委員が寄り合いで作った「作文」にすぎず、著名な学者の関与したものではない。概念フレー
ムワークに書かれていることは、議会などフォーマルな手順によって承認されたものではなく、単なる私的意見の寄せ集めにすぎない。こうした
批判は延々とつづいている。

最近では国際会計基準 IFRSsの影響力が強まってきているが、このIFRSsも独自の概念フレームワークをもっていて、アメリカのFASBのそれと同じ
ような使い方をしている。IFRSsでも金科玉条として、概念フレームワークを振りまわしているのである。しかし、IFRSsのものはFASBのものと内容的に
一致しているわけではないから、現実には金科玉条が2つあって、どっちをとるかという困った問題に遭遇する。
アメリカのFASBと国際会計基準のIASBはこれではまずいということになって、ジョイントで概念フレームワークの再検討をすることになった。その結果
として2010年9月に公表されたのが、FSAC No.8である。これはFSAC No.2 と No.3を部分的に修正する内容になっている。
Statement of Financial Accounting Concepts No.8 (September/2010).
FASB Concepts Statements No. 1 and No. 2 の一部修正
Chapter 1, The Objective of General Purpose Financial Reporting,
Chapter 3, Qualitative Characteristics of Useful Financial Information.
◆河内湾と上町台地◆
縄文時代には大阪湾はいまの大阪城のあたりまで深く湾曲していて、
松屋町筋(まっちゃまち)あたりにあった砂浜に大波が打ち寄せていたという。南北に広がるこの長い海岸線は小高い
台地になっていて、細長い丘陵が、いまの大阪城あたりから泉南のほうへ長々と延びていた。
その丘陵が今日の上町台地であるから、大阪城の南側にあった難波宮(前期と後期の2期がある)の宮城は、海を見
下ろす高台の上に築かれていたことになる。防衛の戦略上からしても中国大陸との
交易という点からしても、難波宮の構築は絶妙のポジショニングであったかと思われる。

現在の大阪城のあたりが上町台地の北端になるが、そこから北に向かって長い砂州が延びて
いた。淀川が運んだ砂が堆積したものである。東側には生駒の山地がそびえているのに、西側には
この砂州と上町台地が延びていたために、両方に挟まれた広い区域は満々と水をたたえた入江に
なっていた。これが、古代の「河内湾」である。今日の東大阪、八尾あたりは海の底だったことになる。
河内湾にはクジラが群泳していたといわれるが、淀川など周辺の河川が河内湾に土砂を注ぎ込んだために、
河内湾はだんだん浅く、また狭くなっていき、潟になり、湖になり、池になり、ついには干上がって陸地に変わってしまった。
こうして、今日の広大な河内平野ができたというわけである。
秀吉が大阪城を築いたころ(16世紀の末)、城の西方は葦が生い茂った浅瀬で、伝馬船で人びとが往来していたいう。
そのころには河内湾は陸地になっていたが、大阪城から西はまだ海だったのかもしれない。京阪の天満橋駅にはキャッスル・
ホテルがあるが、その前の大川の河岸には「八軒家浜」という船着場があったという(現在もある)。この天満橋あたりから西
は、海原であった可能性が大きい。
原島広至、『大阪今昔散歩』(中経文庫、2010年)
◆長谷寺の寒牡丹◆
近鉄難波駅で賢島行特急に乗って、奈良の「大和八木」で各駅停車に乗り換え、5つ目の「長谷寺」で下車する。
山あい駅舎を出て谷沿いの村に向けて急坂を降りて行くと、「初瀬」という道路標識が見える。源氏物語に出てくる
あの初瀬がここだという(下の寒牡丹の写真(3葉)は桜井市初瀬の長谷寺にて2011年1月27日撮影)。

狭い道を通り抜けて15分ほど歩くと、大きな山門がそびえているが、この真言宗の大寺院が「長谷寺」である。
桜でももみじでも長谷寺の名が通っているが、冬のこの季節に有名なのが「寒牡丹」。1月も下旬になると花も終り
かけていたが、幸運にも何本かは残っていた。

粉雪の舞う寒い夕刻であったが、この山奥まで来てよかったという気がした。国宝のお堂も観音像も聞きしにまさるもの
だったが、何といっても寒牡丹がたまらなくよかった。これはなか見れる花ではない。

◆有給休暇引当金◆
国際会計基準第19号「従業員給付」は、従業員が勤務したことの対価として支払う給付について、その会計処理のあり方を定めたものである。
現金払いか現物給付かにかかわりなく、また現在払いか先日払いかにかかわりなく、あるいは賃金、給与、俸給、賞与、礼金などの名称に
かかわりなく、従業員の勤労に対して支払う対価をひとくくりにして「従業員給付」と呼び、その統一的な会計処理のルールを明文化しようとしているのである。
この従業員給付の中で退職金とか退職後の年金は最も取扱いが難しいので、わが国では「退職給付会計」として別建てにされており、それ以外の従
業員給付のあり方だけが別個に議論されている。それというのも、IASBからいまIAS19の改定案が公表されていて、旧基準の見直しがすすめられ
ているからである。

IASBで取り扱われている従業員給付は、@短期従業員給付、A長期従業員給付、およびB解雇給付の3つの分けられているが、B解雇給付と
いうのはやや特殊で、会社が従業員を解雇した場合の強制退職給与と従業員が会社の勧奨に応じて退職した場合の自発的退職給与について、
いつ、どれだけを費用に計上するかを取り上げている。@短期とA長期というのは、通常の給与の中で1年未満のものと1年以上のものとを区別し
ているだけであるが、興味深いのはA長期の中に「長期勤務休暇」が含まれている点である。
従業員が労働の対価として有給休暇を楽しむ権利を取得するとすれば、雇用者側の会社は、有給休暇を提供する義務を負うことになる。この
有給休暇提供義務の発生日に、その労働対価に見合う金額を負債として認識しなければ、簿外負債が生じてしまうというのがその負債認識の
理由らしい。しかし、有給休暇を提供するといっても、それは従業員が会社を休むだけのことで、特段に会社の財産に損害を与えるわけでもない。
従業員が休めるということを理由に、会社が長期にわたる債務を負い、その債務を弁済する義務を負っているという理解は、日本ではなかなか
拡がりにくいだろう。日本の会社では、有給休暇を遠慮して、取らない人が少なくない。
有給休暇を楽しむ権利を従業員が本当に「行使する」のかどうか、これは日本では「消化する」かどうかの問題とされており、個人差が大きい。
有給休暇をすぐに消化してしまう人と、なかなか消化しない人がいるのである。そのうえ、日本では翌年度への持ち越しがきかない例が多いから、
消化しなければ、権利が蒸発してしまう。この点で、有給休暇を楽しむ権利はストックオプションに類似しているといえよう(下の写真は
同志社大学今出川キャンパス正門、2010年12月31日撮影)。

引当金の会計処理についても会計基準案が公表されているが、その中の例示には「有給休暇引当金」が含まれている。有給休暇を提供し
なければならない会社側の債務を負債の部に引当金として計上しようというわけであるが、その金額を見積もるのは簡単なことではない。権利を
行使するかどうかの選択権が従業員側にあるから、その権利行使の確率を組み込むことが必要とされるから、ストックオプションのケースにそうし
たように、オプション評価モデルというとんでもなくむつかしい数式を持ち出さなければならないかもしれない。

◆新しい収益認識基準案◆
FASBとIASBとのジョイント・プロジェクトによる新しい収益認識基準の公開草案が、今年2010年6月に発表されたが、この公開草案は予想外に穏当な内容で、あまり強烈なリアクションを引き起こすとは考えられない。事前の段階では、国際会計基準IFRSsにおけるマーク・ツー・マーケットへの強い傾斜から、実現基準の後退、対応原則の消滅が予想されていたが、フタを開けてみると、現行の伝統的な収益認識基準と根本的に食い違うところは少ないようである。最近では国際会計基準IFRSsに対する風当たりが強く、必要もない会計基準を濫発しているとか、現今の金融不況を創出した犯人は国際会計基準だとかいった批判が浴びせられているが、この収益認識基準の公開草案であれば、大きな波風は立たないかもしれない。しかし、問題がないわけではない。収益の定義という基本的なところに、まず問題がある。
【日本語版】JASB/IASB、公開草案 ED/2010/6、 「顧客との契約から生じる収益」(2010年6月)
【英文】 IASB, Exposure Draft ED/2010/6, Revenue from Contracts with Customers, (June 2010).
国際会計基準IFRSsの基本的なスタンスは資産・負債アプローチであるから、このスタンスによって収益を定義するとすれば、「現金または現金等価物のインフロー」、つまり「資産とは資産の増加(または負債の減少)」とするのが自然だと考えられる。この収益の定義は、FASBのSFAC No.3(1980)においてすでに採用されている(注1)から、今回のFASB・IASBの公開草案(2010)でも、このSFAC No.3(1980)の収益の定義がそのまま踏襲されるのではないかとみられていた。ところが、FASB・IASBの公開草案(2010)では、収益とは顧客に向けての「財・サービスの移転」(the transfer of goods or services)と定義されており、「資産とは資産の増加(または負債の減少)」には結びつけられていない。次がその定義である。

「本基準案においてコアとなる原則では、企業は、顧客への財又はサービスの移転を描写するように、その財又はサービスと交換に企業が受け取る(又は受け取ると見込まれる)対価を反映する金額により、収益を認識しなければならない。」(para.2)
「移転」というのは「売り手の企業から出ていくもの」という印象を与えるが、この解釈が可能だとすれば、収益は、インフローというよりもアウトフローだということになりかねない。アウトフローというのでは、資産・負債アプローチとツジツマが合わなくなるであろう。上に引用した文言には、たしかに「財又はサービスと交換に受け取る(又は受け取ると見込まれる)対価」が含まれている。しかし、この対価というのは金額の決定にかかわることで、収益の定義というよりも、その測定の問題である。

国際会計基準IFRSsが提唱したかつての収益認識に関する試案では、収益の定義において、販売契約上の義務が焦点になっていた。販売契約を締結すると、売り手と買い手の両方にその契約を履行する義務が発生するが、その義務の履行が問題だというのである。売り手においては、財・サービスを引き渡すことが契約上の義務を履行することになるから、この「義務履行の充足」(satisfaction of performance obligations)をもって収益を認識するというのが基本的な考え方であった(注2)。この履行義務の充足という考え方はたしかに草案には組入れられているが、それが収益を「財・サービスの移転」とどう関連するのかは明確ではない。「財・サービスの移転」によって生じる結果が「義務履行の充足」なのか、それとも2つは同じコインの裏表なのだろうか。
(注1)SFAC No.3(1980)では、収益は資産の増加(または負債の減少)とされており、インフローが収益であると考えられている。ここにインフフローとは実際に生じた、あるいは期待されるキャッシュインフローであり、現金同等物を含むことが明記されている(para.64)。
「収益とは、財を引き渡すか財を生産することから、サービスを供与することから、あるいは経済主体の継続中の主要なまたは中心的な事業活動を構成するその他の活動から生じた、期中における経済主体の資産の流入またはその他の増加であるか、それともその経済主体の負債の減少(あるいは両方の結合)である。」(para.63)
Financial Accounting Standards Board, Statement of Financial Accounting Concepts No.3, Elements of Financial Statements of Business Enterprises (December 1980)。
(注2)この点に関しては、次を参照されたい。
辻山栄子、「収益認識と業績報告」、『企業会計』、2008年月。

◆リサイクル◆
環境問題との関連においては、リサイクルという用語がよく使われるが、それはどういう意味なのだろうか。
リサイクル(recycle)というのは、使用済の製品を破棄せず、新たな製品に再生して、再利用することを指すのがふつうである。
再資源化によって同一資源を循環的に何度も利用し、コストと環境負荷を引き下げるのがリサイクルである。
使用済みの製品を加工処理によって同一または類似の製品に再生し、再利用するのがリサイクルの本来の意味であり、回収した段ボール紙を再生し、これを原材料にして新しい段ボール箱を作成するのがその例である。実際には、再生加工処理をまったく行わず、旧製品をそのまま転用するケースもリサイクルと呼ばれることも多いが、同一製品をそのまま再利用するのは、正確にいえばリユース(reuse)と呼ぶべきであろう。リユースには資源の再生という物質的な循環プロセスが含まれておらず、せいぜいその所有者が交代しているにすぎない。
使用済みの製品を分解・溶解することによって原材料を回収して、この回収原材料によって新たに製品(同種の製品とはかぎらない)を製造するのもリサイクルに含まれる。この意味での再生は原初の物質に戻すという点から、マテリアル・リサイクル(material recycle)といわれている。電化製品の解体によってレアメタルを回収するのは、このマテリアル・リサイクルの例になる。
使用済みの製品を焼却することによって、熱エネルギー、電気エネルギーとして再生させるのもリサイクルの手法の1つであり、これはサーマル・リサイクル(thermal recycle)と呼ばれている。核燃料について、大規模なサーマル・リサイクルが試みられている点は広く知られていることである。
◆会計学の名著、エドワーズ・ベル著『企業利益測定論』◆
会計学の著書にかぎらず、広く書物には、その名声と評価が時代とともに大きく変わることがある。世にもてはやされている書物が、突如として見捨てられ、忘れ去られてしまうのは珍しいことではないが、不思議なのは、こうして忘れ去られたはずの古い書物が、ある日にまた再び注目を集めて、光の渦の真中に引き出されることである。
エドワーズ・ベル著『企業利益測定論』という314頁の本は1961年に出版された(1995年に再版された)が、当時には画期的な会計学の研究書といわれ、これを読んでいないひとは、まともな会計学者ではないとみられるほどであった。この本を書いた2人の著者はいずれも経済学者であったし、また著書の内容も経済学の考え方に沿って厳密に展開されていたから、この本を読みこなすのはたいへんな難事業であった。しかし、わたしたちの大学院生時代はこの著書を避けて通れない1960年代後半であったから、当時の生活は、エドワーズ・ベル著『企業利益測定論』と格闘する毎日であった(下のウルシは京都御所の中で、2009年11月撮影)。

時価主義会計にはいくつかの類型があって、最近もてはやされている公正価値会計(マーク・ツー・マーケット会計)もその時価主義会計の累計の1つに属する。エドワーズ・ベルが50年前に展開したのも時価主義会計ではあるが、それは最近の公正価値会計とはかなり趣を異にしており、期末に資産を時価基準で評価するだけでなく、費用をも時価基準で評価するというもの(単純な資産再評価論ではなく、資産再評価論と費用再評価論を組み合わせたもの)であった。そのうえに、インフレーションによって生じる貨幣価値の低下にも対処する手立てを講じていたから、その理論的構想はきわめて緻密で、壮大なものであったといえよう。1960年代には、アメリカだけでなく世界中の会計学界が、このエドワーズ・ベルの時価主義会計論で沸騰したし、これに関連して時価主義会計論の著書が次々に世に出され、この議論の渦に加わった。 Moonitz(1961)とか, Sprouse(1962)の著書が先を争って読まれたのも、この頃のことである。
1973年に突如としてオイルショックが発生し、これを契機に地球的規模において物価騰貴が亢進した。この経済情勢の劇的な変化を受けて時価主義会計を会計制度に組み込むことが、各国では喫緊のテーマになった。そのとき、どのタイプの時価主義会計を制度化するかが議論の焦点になったが、最も有力視されたのがエドワーズ・ベルの時価主義会計である。インフレーションによる貨幣価値の下落にも対処する一方で、資産と費用を同時に時価基準によって再評価するというモデルが、会計制度として実際に採用されようとしたのである。しかし、結局のところ、この時価主義会計の制度化は挫折して、元の原価主義会計のパラダイムに戻ってしまった。2度にわたるオイルショックが終わると、物価も鎮静化し、時価主義会計はどこかへ蒸発した。
1980年代から1990年代を通じて、通貨危機、バブルなどが何度か発生して、その後にも、時価主義会計の採用が話題になったことは事実である。激動する経済においては原価主義会計ではビジネスをリードしきれないという批判が幾度となく提起され、この原価主義会計への批判が時価主義会計への関心をたびたび呼び覚ますことになったのである。しかし、こうした議論との関連で取り上げられる時価主義会計はエドワーズ・ベルのモデルとは別のタイプであり、エドワーズ・ベル著『企業利益測定論』の再評価につながるようなものではなかった。
1990年代になると、会計学の若い旗手たちによって新しいフロンティアが開発されはじめたが、その成果の1つとして注目を集めたのがFeltham-Ohlson(1995)の企業価値評価モデルである。このFeltham-Ohlsonモデルによると、しごく単純な前提をおくだけで、会計数値によって企業価値を理論的に説明する新しい途が拓けてくる。この理論モデルには幾多の示唆が含まれているが、その含意の検討プロセスにおいて明らかになったのは、Feltham-Ohlsonモデルがその基幹においてエドワーズ・ベルと考え方を共有しているという点である。こうして、エドワーズ・ベル著『企業利益測定論』は再び脚光を浴びることになった(下の写真は京都御所。2009年11月撮影)。

Kenneth and Whittington(2010)は、Accounting Horizons誌の最近号に2007年に昇天したBell(1924-2007)の追悼論文を掲載している。この追悼論文では、エドワーズ・ベル著『企業利益測定論』の偉大な功績が讃えられているが、興味深いのは、その中で触れられている2人の著者の共同研究の姿である。
Bellは第二次世界大戦に空軍のパイロットとして参戦したが、戦後には大学に戻り、1947年にPrinceton大学の経済学部を卒業した。その後2年間、ニューヨークタイムズで働いてからCalifornia大学Berkeley校に入学し、1949年にMBA を、1954年にPrinceton大学でPh.Dを取得した。Bellは1952年よりPrinceton大学で研究活動に従事していたが、研究領域は会計学とは無関係の国際経済論であり、1979年にRise Universityに移るまで、主としてアジア・アフリカの開発経済論の研究に携わっていた。Bellが会計学に親しみ、会計学の研究に励みだすのはEdwardの影響によるものである。
Edwardの方はJohns Hopkins で1951年にPh.Dを取得したが、その論文テーマは企業成長論であったから、彼も会計学から研究生活をスタートしたわけではない。EdwardはBellよりも先にPrinceton大学で経済学を教えていたから、BellにとってはEdwardは2年先輩の同僚であったが、奇しくも二人は同じ研究室を共用することになった。二人は共用の研究室で教材の開発にあたりながら、会計学についても議論を深めていき、共同研究を進化させていった。もともと会計学に大きな関心を抱いていたのはEdwardであり、彼は特に減価償却に造詣が深かったという。いずれにしてもEdwardのリーダシップのもとにPrincetonでの共同研究が発展し、その輝かしい成果が1961年に世に出されたのである。

1978年にBell とEdwardは手を携えてRise Universityに移り、ここでは会計学を基軸にして研究と教育にあたった。その後に公刊された著作リストをみると、会計学のトピックに対して、特に物価変動会計に対して、積極的に見解を表明したのはBellの方である。最後の著作は1997年に発表されているが、それは齢73歳の時に書かれた時価主義会計の有用性に関する研究である。Bellは2007年8月に逝去されたが、最後の最後まで、エドワーズ・ベル著『企業利益測定論』で展開された時価主義会計の理論を擁護しつづけたのである。
Edgar O. Edwards and Philip W. Bell, The Theory and Measurement of Business Income (University of California Press, 1961).
Peasnell, Kenneth, and Geoffrey Whittington, “The Contribution of Philip W. Bell to
Accounting Thought,” Accounting Horizons, Vol.24, No. 3 (September 2010),pp.509-518.
Moonitz, Maurice, The Basic Postulate of Accounting(AICPA,1961).佐藤孝一・新井清光訳『アメリカ公認会計士協会 会計公準と会計原則』(中央経済社、1962)所収。
Sprouse, Robert T., and Maurice Moonitz, A Tentative Set for Broad Accounting Principles for Business Enterprise(AICPA,1962). 佐藤孝一・新井清光訳『アメリカ公認会計士協会 会計公準と会計原則』(中央経済社、1962)所収。
Feltham, G., and J. Ohlson, “Valuation and Clean Surplus Accounting for Operating and Financial Activities, ” Contemporary Accounting Research, Vol. 11 (1995), pp.689-732.

◆国際会計基準の新しい財務諸表のフォーマット案(再)◆
国際会計基準IFRSsにおいては財務報告の様式を改めることになっていて、アメリカの財務会計審議会(FASB)と国際会計基準審議会(IASB)が共同プロジェクトを組んで、
その原案作りの作業をすすめている。既存の財務諸表を見慣れた目からすると、その新様式はとほうもなく「奇態なもの」になりそうで、これが各国ですんなり受け入れられ
るとはとても思えない。斬新は斬新でも、「改良」だとする点が見当たらないのである。
財務報告の新様式としては、FASB/IASBから2008年に「予備的見解」(preliminary view)として原案が提示されている。その財務諸表は、財政状態計算書、包括利益計算書、キャッシュフロー計算書、キャッシュフローと包括利益計算書の調整表(reconciliation schedule)の4つによって構成されている。それぞれの様式案は次のようなものである。
@財政状態計算書のフォーム
A包括利益計算書のフォーム
Bキャッシュフロー計算書のフォーム
Cキャッシュフローと包括利益計算書の調整表のフォーム

特徴は次のような点にある。
(1)3つの財務諸表が骨格をなしており、最後の調整表は補助的な明細書であろう。
(2)4つの財務諸表はパラレルな形式となっており、いずれも次の5つのカテゴリーに区分されている。@事業活動(business activities)、A財務活動(financing activities)、B所得税(income taxes)、C非継続事業(discontinues operations)、D持分(equity)。
(3)5つのカテゴリーの区分は「マネジメント・アプローチ」(management approach)によることにし、経営者の知識にもとづいて取引がどのカテゴリーに属するかの分類を行う。
(4)従来の貸借対照表項目を5つのカテゴリーに分類し直したのが財政状態計算書であるが、その欄外に短期資産合計、長期資産合計、資産合計、短期負債合計、長期負債合計、負債合計を付記する。
(5)従来の損益計算書とその他の包括利益(other comprehensive income)とを一本化し、包括利益計算書に集約する。その他の包括利益を加減する前の利益は「純利益」(Net Profit)と呼ぶ。
(6)キャッシュフロー計算書は間接法の使用を認めない。直接法だけによるが、純利益(包括利益)とキャッシュフローとの差異は、調整表を通じてその細部を明らかにする。
参考文献
Financial Accounting Standard Board and International Accounting Standard Board, Preliminary Views on Financial Statement Presentation(October 16, 2008).
The Financial Reporting Policy Committee of the Financial Accounting and Reporting Section of the American Accounting Association, “ The American Accounting Association’s Response to the Preliminary Views on Financial Statement Presentation,” Accounting Horizons, Vol 24, No.2 (June 2010), pp. 279-296.
◆次回の更新◆
昨年は天候不順の1年で、地震、雷、火事・・・と、いろいろなことがたてつづきに起きました。大雪とはいえ、そのなかで平穏に新年を
迎えられることは、幸せなことなのでしょう。みなさんことしもご健勝にて、冬の日々を楽しみください。次回の更新は4月を予定しています。
ごきげんよう、さようなら。
2011.01.05
OBENET
代表 岡部 孝好

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