A Message from Webmaster

 to New Version(May 10, 2010)




2010年05月版へのメッセージ


OBE Accounting Research Lab



Back Numbers [1995年10月 ラボ開設のご挨拶][ Webmasterからのメッセージのバックナンバー]


◆五月晴れ◆

  青空に鯉のぼりが泳ぐころになりますと、気持ちが沸き立ってきますが、それでいてなんとなくこころになごみを感じます。日本の初夏の風景には、輝く太陽もあれ ば、薫る風もありますが、萌黄色(もえぎいろ)の美しいやまやまがあります。萌黄色というのは、お姫様が着る十二単衣(じゅうにひとえ)の色模 様として知られていますが、それは萌えいずる木々の若芽が織りなす山あいの緑なのです。やまやまが萌黄色に燃え立つと、わたしたちは日本の春を 肌で感じ、こころを静めます。

  それに、五月の風には特別な香りが含まれています。五月は花の季節ですから、花の香りなのでしょうか、それとも若葉の香りなのでしょうか。 何度も寒さが戻りましたが、ようやく五月晴れの素晴らしいころを迎えました。みなさん、ごきげんいかがでしょうか。

◆インデックスファンドと議決権行使助言サービス◆

  日本では株式会社の7割、3,000社が、3月末に決算期を迎え、6月中に株主総会を開催します。株主は その株主総会に出席し、議決権を行使することになります。つまり、代表取締役(社長)が提案する総会の議案に対 して、株主が賛否の投票を行うわけです。

  この株主の議決権行使との関連で、少しばかり微妙な立場に立つのがインデックスファンドです。 インデックスファンドは投資信託の一種ですから、株主として総会に現われるのは、その運用母体の信 託銀行などです。信託銀行などでは、一般の投資家に向けて小口の、均一な内容の、多数の投資 信託を売り出し、これで掻き集めた受託資金を会社の株式などに投資しています。その信託基金の1つがインデッ クスファンドなのですが、投資先の会社側からみると、インデックスファンドの機関投資家はわが社の株式 を保有していただいている大株主様ということになります。

  機関投資家は大口の売買をするために、株式市場における存在感が重く、株価形成に及ぼす影響力 が巨大です。このため、機関投資家の売買動向は市場関係者の注目の的になっており、その出方に はどこの会社でもかなり神経質になっています。この点は株主総会でも同じで、インデックスファンドという大口の機関 投資家は怖い存在の株主であり、これが動き出すと、大嵐になるおそれがあります。 インデックスファンドは、ファンドが設定している指標価格(インデックス)と同じ値動きするように設計された投 資信託ですから、その価格変動のパターンは既定の通りになります。たとえば日経平均株価をベンチマーク にする「日経225」というインデックスファンドは、日経平均株価と同一の動きを示しますから、日経平均株価が 上がればそれだけ儲かるし、下がればそれだけ損をすることになります。インデックスファンドは指標価格の動きに追随する のが特徴であり、この受け身の姿勢から、一般にパッシブファンドと呼ばれています。

  インデックスファンドの運用する機関投資家においては、いったんファンドを立ち上げると、ファンドに組み入れ た株式の銘柄を変更することができないというのが決まりです。最初にポートフォリオを組んだ後に、銘柄を入れ替えるとインデック スが動いて、歪んでしまうのです。そこで、インデックスファンドでは同じ株式を持ち続けることになりますが、これは、その 運用母体の機関投資家が長期株主になって、毎年、株主総会に現れてくるといういうことを意味します。

  インデックスファンドの機関投資家には、株式を売り抜ける自由がないのです。投資先の会社の業績が下がってき ても、その会社との関係を切断することができないことになります。これは、会社の経営に積極的に関与していかなければ、機関投資家も 自分の利害が護れない、ということにほかならないのです。EXITがないとすれば、VOICEによるほかはないわけです。

  インデックスファンドの機関投資家は大株主であり、会社の経営について積極的に発言しようとしています。しか し、投資先の数は夥しく多いから、どの案件にどう発言するか、その対応は簡単なことではないのです。その作戦を研究する時間も、 ごく短く限られています。投資先の会社から株主総会の招集通知が送られこなければ議案の内容が分からないのですが、この 招集通知が届くのは、株主総会の2週間前ごろのことです。

  ここに、「議決権行使助言サービス」の出番があります。インデックスファンドの機関投資家は議決権行使助言サ ービスを提供する会社と契約しておくと、どの議案に賛成し、どの議案に反対すればよいのかを、教えてもらえ るのです。株主総会における賛否の投票の仕方を、インデックスファンドの見地から、指示をしてくれます。 石田猛行、「2010年ISS議決権行使助言方針」、『商事法務』NO.1894(2010.3.25)、15-25頁。

◆廃棄物処理における「専ら物」と「有価物」◆

  法律で指定された廃棄物を投棄すれば、不法投棄として処罰されることになります。しかし、「非廃棄物」であれば、投棄しても処罰されることはないのです。 処罰されるかどうかは、「廃棄物処理法」という法律で指定された廃棄物なのかどうかによって決まります(バラの写真は、大阪市西区靭公園にて、2010年 5月に撮影。なお、大阪市内のバラ園としては中之島公園が著名であるが、靭(うつぼ)公園のバラも立派のもので、いまごろは訪れる人が後を絶たない。靭 公園は西本町にあった元進駐軍の滑走路の跡地で、東西に細長く広がり、第一級のテニスコートがある)

  法律上の廃棄物は「汚物又は不要物」を指すことになっていますが、条文ではゴム屑、金属屑などど、それをいちいち列挙していますから、この列挙から洩れたもの は、すべて非廃棄物になってしまいます。そのうえに、この廃棄物の指定にあたって、わざわざ除外しているものもあるのです。このため、不法投棄を禁じた 廃棄物処理法は、穴だらけのザル法になりがちです。大きな穴は2つありますが、その1つは「モッパラモノ」と、もうひとつは「ユウカブツ」と呼ばれています。

(注)法令においては、「廃棄物とは、ごみ、粗大ごみ、燃え殻、汚泥、糞尿、廃油、廃酸、廃アルカリ、動物の死体、その 他の汚物又は不要物であって、固形状又は液状のもの(放射性廃棄物は除く)」(廃棄物処理法)と定義されている。

  廃棄物処理法では、廃棄物がさらに細分されていますが、その代表格をなすのが産業廃棄物です。「事業活動に伴って生じる廃棄物」が「事業 系廃棄物」と呼ばれ、燃え殻、廃油、廃酸、廃アルカリなど、その中の特定項目が産業廃棄物に指定されています。この項目別の指定のほかに、 政令によって追加できる産業廃棄物があり、環境省令によって紙くず、木くずなど13品目が産業廃棄物に追加指定されています。この環境省令による産 業廃棄物の指定では、追加のほかに除外が行われていて、産業廃棄物にはならない品目が明記されているのです。モッパラモノというのは、 その除外品目のことです。

  モッパラモノという表現は、「専ら再生利用の目的となる産業廃棄物」という条文の文言の頭と尻を取ったジャーゴンであり、業界では「専ら物」で通用する らしい。具体的には古紙、古繊維、くず鉄(金属屑)、空き瓶の4種を指していますが、これらはリサイクル、リユースが前提にされており、ハナから環 境汚染にはつながらないものとして除外されているのです。分類上は非廃棄物ではなく廃棄物、それも産業廃棄物になっているのですが、市場に流通する財・サ ービスの一種だとみなされているのだから、これが投棄されることは絶対にありえないと考えられていますし、また仮に投棄されることがあっても、罪を問われるよう なことはないのです。

  「ユウカブツ」とは、「有価物・有用物」を意味するのですが、この定義は法令ではなされていません。しかし、廃棄物が「汚物又は不要物」とされている 状況で、「有価物・有用物」といえば、「不要物ではない」というのと同じであり、廃棄物には(産業廃棄物だけでなく一般廃棄物にも)該当し なくなります。つまり「有価物・有用物」であれば、それはそのまま非廃棄物なのであり、投棄しても、不法投棄の処罰は受けないのです。これも、まともな財・サービスと みなされていることによります。

  「有価物」とは外部への売却が可能で、市場価格をもつものを指しています。この有価物の買い手は、対価を支払う以上、転売か内部利用を意図している はずですから、買ったものはリサイクル、リユースに廻されるということになって、予定通りにすすめば、たしかに廃棄物にはならないわけです。これに対して「有用物」は社 内で再利用される予定のものですから、この内部リユースが筋書き通りなら、外部からの購入費用が節約でき、このコスト節約額がその評価額になるは ずです。この点で、有用物は原材料と同じであり、たしかに廃棄物ではないといえます。

  いずれにしても、「専ら物」と「有価物・有用物」であれば、投棄しても、不法投棄として処罰されるようなことはないのです。要するに、廃棄物の処理にこまった場合 には、これら2つのいずれかであるかのように偽装すれば、処罰を免れることができます。その偽装の手口はいろいろあるらしいのですが、もっともありそうなのが「混載型」です。 「専ら物」の中に似たような廃棄物を混ぜ合わせるのです。古紙の中に怪しい他のものを包み込むのは、われわれの家庭ごみのケースだけではないらしい。

  むつかしいのは、有価物の判定である。処理業者に金を支払えば、何でも有価物だといえます。価格の指定があるわけではないから、値段はいくらでもよいのです。 とにかく金を払えば有価物になり、投棄しても不法投棄の処罰を受けない。こうして金銭を支払った形の偽装投棄が、まかり通ることになるというのです。

芝田稔秋、「連載・廃棄物処理法」、『月刊廃棄物』Vol.36,NO.469(2010年4月)、64-69頁。

◆堺事件◆

  信長の時代よりも前に、堺の街は自由な工業都市になっていて、海外との貿易を すすめる一方で、鉄砲鍛冶など、独自技術にもとづく新事業をつぎつぎに興して いた。その繁栄振りはダントツで、当時の京都や大坂も、とても足元にも及ば なかったものと思われる。

  堺を訪れて、当時の街並みの図を見てみると、この自治都市が濠で囲まれたこじ んまりとした城郭を形成していたことがわかる(写真)。大阪湾に向かっては椀状 の港が築かれており、この港を基地にして交易が繰り広げられていたらしい。すべ ての富はこの自治都市の中に蓄えられていたはずだから、濠の上に架かっている橋 を中心に堅牢な防衛線が構築されていたものと想像される。護りの堅い城郭であっ たのだから、よく物語に出てくるように、歌舞音曲の華やかな街であったのかどうか 、疑わしくなってくる。

  1868年(慶応4年)、この街の警護に当たっていた土佐藩士が、堺港への上陸を企 てたフランス兵士に発砲し、いわゆる堺事件が勃発した。開国前後のこの国際的な 難事件は森鴎外のほか、幾人かが小説に取り上げているから、その筋書きはよく知 られているところである。最終的には土佐藩士が責任を取らされて、20数名が腹を 切ることになったが、11人まで処刑がすすんだところで、検分に当たっていたフラ ンス人の公使が卒倒して、中止ということになった。12番目以降の藩士が救わ れたわけである。堺の妙国寺の境内で処刑が行われ、北隣の宝珠院に1人づつ大甕 に入れて埋葬されたと伝えられている。「土佐11烈士の墓」はいまも宝珠院の中に あり、花が供えられている(写真)。

◆茶臼山◆

  慶長20(1615)年5月7日、大阪夏の陣が決戦の時を迎えていた。真田幸村率いる3,500の赤揃えの兵は大阪城 を出陣し、深い霧の中を南の四天王寺方面に向かった。四天王寺に隣接する茶臼山には徳川家康が陣を構え ていたが、その防衛線を固めていたのは越前の松平忠直の軍勢15,000であった。霧の中で2軍の前哨が接触し、 予期せぬ形で歴史に残る大合戦が始まった。

  真田軍は一文字の陣形で、何度も松平陣の中に切り込み、最後には家康に手が届く寸前まで攻め入った。しかし、 松平勢をついに崩せず、真田勢は疲労困憊して後退した。幸村も安居神社の社殿に逃れ、疲れを癒していた。そこ を敵兵に発見され、首を討たれてしまった。

  講談で何度も聞いた茶臼山は、行ってみると、山というより小高い丘にすぎない。天王寺公園の中に市立美術館があるが、その裏 手の樹木に覆われた公園がその茶臼山である。近所の人が散歩している風景は目にしたが、観光客とか観光バスが訪れている 様子ではなかった。腰を下ろす茶屋にも行き合わなかったし、六文銭(真田のトレードマーク)の煎餅を商う店も見当 たらなかった。閑静で、みどり豊かな心地よい南大阪の一角であったが。

◆「包括利益」の開示(再)◆

  日本の会計基準を国際会計基準(IFRSs)に擦り寄せることをコンバージェンス(convergence)といっているが、この流れの中で、損益計算書の末 尾に「包括利益」を追加するということになりそうである。「当期純利益」の次に「その他の包括利益」を表示し、これら2つを合算した数字を「 包括利益」と呼ぶわけである。

  問題は新たに追加される「その他の包括利益」であるが、これは3つの項目から構成される。まず第1は「その他有価証券の評価差損益」であり、 相互持合い株式に発生した時価評価損益が収容される。第2は「子会社投資の換算差額変動額」であり、海外子会社の投資勘定に生じた 円換算差額の変動額が計上される。第3は「ヘッジ損益の変動額」であるが、これは、為替変動リスクを回避する目的で為替ヘッジをしている場合におい て、ヘッジ損益が増減したときの変動額を計上する。これら3項目ともに時価評価にともなう評価差額を意味しているから、包括利益の表示は貨幣性資産に発 生した未実現利益に公式な認識を与え、利益計算に算入することになる。

  現行の会社法が施行される前には、損益計算書の純利益の後には「未処分利益」が付加されており、処分可能利益が損益計算書のボトム ラインになっていた。その未処分利益のセクションが廃止になってやっと損益計算書がすっきりしたのに、こんどは包括利益の追加となって、またも ややこしくなってきた。会計改革は行きつ戻りつで、行く末がみえてこない。

◆相互持合解消売り(再)◆

  海外の巨大なファンドの株式の買集めにより日本の会社の経営権が脅かされる事態が、ここ数年の間に頻発しました。その対抗措置として真 剣に議論されてきたのが、「企業防衛策」です。その対抗措置にはいろいろの工夫が凝らされていますが、典型的なものといえば、いざとなった らストックオプションを発行し、買占側の株式保有数を薄めるという、やや荒っぽいやり方です。

  安定的な個人株主を増やすというのはジミな方法ですが、これも乗っ取り対策に有効だとして、多くの会社が株主優待サービスを充実させたり、 株主通信を発行しはじめました。また配当金を増額させたり、自己株式を買い取ったりして、株主側への資金の分配を増やす政策も、長期的な 視点に立って企業を防衛する狙いがあるといえます。株主に有利な財務政策を展開し、株価の下落を防止すれば、乗っ取り屋の餌 食にされずにすむことになるのです。

  日本企業に対するガイジンの投資が自由化されたのは、1960年代のことです。その資本自由化にあたって日本中を席巻したのは乗っ取り恐 怖症で、どの会社もガイジンに株式を買占められるのではないかと怖れおののきました。この乗っ取り対策として当時に大流行したのが、 株式の相互持合いです。A社がB社の株式を保有し、その見返りにB社がA社の株式をほぼ同数保有するやり方す。A社とB社が資本関係を 通じて結束すれば、ガイジンの乗っ取りは撃退できると考えた結果です。A社がB社の株式を保有する見返りに、B社がC社の株式を保有し、 さらにC社がA社の株式を保有するという三角関係も増えましたし、五角関係、七角関係へ拡がっているケースもめずらしいことではありません でした。1960年代の日本には、こうして日本企業の間に株式の「ハメコミ」が徹底的に推し進められ、企業間ネットワークが形成されたのです。 旧財閥を中心にした6大企業集団がその典型ですが、これらの企業集団を基礎づけたのは株式の相互持合いだったのです。

  1980年代になって株式の相互持合いに対する批判が強まってきて、相互持合い株式の多くが市場に放出されました。また銀行の株式 保有の上限を規制する法律も施行されて、銀行が保有していた融資先の株式もまた市場で売却されました。このため、日本では一時、 相互持合い株式は大幅に減少していたのです。ところが、ここ数年の海外ファンドの乗っ取り騒ぎの結果、またぞろ相互持合いが増えて きています。

  その雲行きがまたもや変わろうとしています。2010年4月期から日本においても国際会計基準(IFRSs)の任意適用が可能となり、一部の会 社においてIFRSsに準拠した会計報告書が公開される形勢になってきました。相互持合い株式は「その他有価証券」に分類されます が、日本の現行会計基準では、その他有価証券が時価評価される場合でも、その時価評価差額は純資産の調整項目になっており、 当期純利益には影響を与えないのです。しかし、2010年からIFRSsに移行するとすれば、相互持合い株式に対して時価評価が強制され るばかりでなく、その評価差額が利益計算(正確には包括利益)に算入されます。 これは、株価の変動に応じて損益計算書の最終金額(包括利益)が増減することを意味しますので、会社の業績は著しく不安定になって きます。その対応策として、株式の相互持合いそのものを避けようとする動きがでてきているのです。相互持合いの目的で保有している株 式を3月末までに市場に売却し、4月以降には相互持合い株式を保有しないことにしようとしているのです。この売り圧力は株価水準を押し 下げますので、花見のころには美酒を飲めると期待していた投資家たちは、IFRSsの冷水を浴びせられることになりそうです。

◆お釈迦(再)◆

  工場では、作り損ねのことを「お釈迦」(おしゃか)といっています。仏像の阿弥陀さまを鋳造するはずだったのに、できあがった のはお釈迦さまだったいうお話によっています。会計学でいう「仕損品」(しそんじひん)がそのお釈迦にあたるのですが、仕損品の 含意はもっと広く、いろいろなケースを含みます。製品として売れないものがすべて仕損品なのですから、作り損ねのような失 敗作だけでなく、キズもの、規格外、不合格品などが含まれることになります。最近では品質検査がやかましくなっていますから、 検査に通らないものがすべて仕損品の部類に落ちることになります。だから、工場では、お釈迦が減っていないのです。

  製造ラインで仕損品を1点も作らなければ、全部が売りものの良品になって、歩留りが100%になります。歩留りが100%なら、 無駄がまったくないわけですから、生産性が上がって、コストが引き下げられます。歩留りを100%にするのはクズを出さないことで もありますから、お釈迦を出さないと、環境にやさしい工場になって、従業員からも地域住民からも歓迎されます。

  お釈迦を造らないようにするには、どうすればよいか。これは昔から今に続く永遠の課題ですが、実際には簡単なことでは ないのです。トヨタのリコール騒ぎをみても明らかなように、あれだけ神経をすりへらして品質管理を徹底しても、まだまだ徹底が 足りないのです。いまわれわれは科学技術の最先端の世界に住んでいるようですが、実際には、技術的進歩の余地が身 の回りに多く残されていて、お釈迦が多く出ているのです。お釈迦をまったく出さないようにするには、さらにやらねばならないこ とが山積しています。材料とか機械を改めるだけでなく、やり方とかシステムを変えていかないといけないわけですので、教育 とか躾けとか、ひとの生き方の根本にまでかかわってきます。お釈迦を出さないというのは、簡単なようであって、実際には、 達成のむつかしい遠い目標といえそうです。

◆大阪商業講習所◆

  私立大阪商業講習所が西区立売堀北通3丁目に開設されたのは、明治13年9月のことという。発起人の代表は五代友厚であり、 鴻池善右衛門ら16名が創立委員に名を連ねていたらしい。翌明治14年に府立の学校に組織変更になり、明治18年には大阪商業学校として、 日本の先端的な高等商業教育機関の1つに生まれ変わった。その後、大阪高商、大阪商大と発展を遂げ、今日の大阪市大となるわけである。

  私立大阪商業講習所の正科には簿記、経済、算術の3学科があり、昼夜の2部制になっていた。正科は15名、速成科は 35名の小所帯であったが、教場は畳敷きで、教師も生徒も前垂れがけであったという。お金がなかったというよりも、当時の 浪速の商家の体裁に合わせたことによる。畳敷き、前垂れのこの情景の中で、教えられていたのは西洋式の複式簿記であった (萩の花は秋に咲くものとされていますが、中国には春に咲く萩があるという。下の写真は春咲きの中国萩。 池田市水月公園にて、2010年5月撮影)

  東京では明治7年に大蔵省銀行学局が設立されていて、そこでは英人シャンドによって簿記学、経済学が教授されていた。この簿記学は西洋式 の銀行簿記であり、その教科書は今にも残っている(わたしも持っている)。東京ではそれ以前から三田の慶応義塾で行われていたビジネス教育が広 く知られていたが、簿記学のテキストは福沢諭吉訳の『帳合之法』であったろう。明治8年になると私立東京商法講習所(後の東京商大、現在の 一橋大学)が開設されているが、ここでは米人ホイットニーが簿記を中心にして、本格的に近代的な商業教育を教授していた。神戸にもこの動きが 伝わって、明治11年1月に県立商業講習所(その後神戸高商、神戸商大を経て、現在は神戸大学経営学部)が創立された。大阪商業講習所 の設立はこのブームに乗ったものであるが、かなり後発の方であったにもかかわらず、その高等商業教育はレベルの高いものであった。高等商業教 育に対する当時の大阪人の熱意と取組みは相当なもので、これが明治・大正・昭和を通じて、商都大阪の人材育成の基礎となったのである。

宮本又次、『五代友厚伝』(有斐閣、昭和55年)、390-365ページ

◆次回の更新◆

  みなさんお元気にて、花いっぱいの、初夏の日々を存分にお楽しみください。次回の更新は7月を予定しています。ごきげんよう、さようなら。


2010.05.10

OBENET

代表 岡部 孝好