A Message from Webmaster

 to New Version(Feburuary 20, 2010)




2010年02月版へのメッセージ


OBE Accounting Research Lab



Back Numbers [1995年10月 ラボ開設のご挨拶][ Webmasterからのメッセージのバックナンバー]


◆早春の京◆

  立春をすぎてからも、京の街にはなんどか粉雪が舞いましたし、北山が真っ白な雪煙りで覆われている風景も、研究室の窓越しに数度かみ かけました。市内は積雪のない乾いた街路でしたが、今年の京都の冬はことさら厳しく、太陽が落ちると凍てつきそうな寒さが這い上がってくる 日々でした。大学では学期末、入試と、超多忙なシーズンを迎えていますが、寒い寒いといいながらも、何とか春を迎えようとしています。みな さん、ごきげんいかがでしょうか。

◆「包括利益」の開示◆

  日本の会計基準を国際会計基準(IFRSs)に擦り寄せることをコンバージェンス(convergence)といっているが、この流れの中で、損益計算書の末 尾に「包括利益」を追加するということになりそうである。「当期純利益」の次に「その他の包括利益」を表示し、これら2つを合算した数字を「 包括利益」と呼ぶわけである。

  問題は新たに追加される「その他の包括利益」であるが、これは3つの項目から構成される。まず第1は「その他有価証券の評価差損益」であり、 相互持合い株式に発生した時価評価損益が収容される。第2は「子会社投資の換算差額変動額」であり、海外子会社の投資勘定に生じた 円換算差額の変動額が計上される。第3は「ヘッジ損益の変動額」であるが、これは、為替変動リスクを回避する目的で為替ヘッジをしている場合におい て、ヘッジ損益が増減したときの変動額を計上する。これら3項目ともに時価評価にともなう評価差額を意味しているから、包括利益の表示は貨幣性資産に発 生した未実現利益に公式な認識を与え、利益計算に算入することになる。

  現行の会社法が施行される前には、損益計算書の純利益の後には「未処分利益」が付加されており、処分可能利益が損益計算書のボトム ラインになっていた。その未処分利益のセクションが廃止になってやっと損益計算書がすっきりしたのに、こんどは包括利益の追加となって、またも ややこしくなってきた。会計改革は行きつ戻りつで、行く末がみえてこない。

◆相互持合解消売り◆

  海外の巨大なファンドの株式の買集めにより日本の会社の経営権が脅かされる事態が、ここ数年の間に頻発しました。その対抗措置として真 剣に議論されてきたのが、「企業防衛策」です。その対抗措置にはいろいろの工夫が凝らされていますが、典型的なものといえば、いざとなった らストックオプションを発行し、買占側の株式保有数を薄めるという、やや荒っぽいやり方です。

  安定的な個人株主を増やすというのはジミな方法ですが、これも乗っ取り対策に有効だとして、多くの会社が株主優待サービスを充実させたり、 株主通信を発行しはじめました。また配当金を増額させたり、自己株式を買い取ったりして、株主側への資金の分配を増やす政策も、長期的な 視点に立って企業を防衛する狙いがあるといえます。株主に有利な財務政策を展開し、株価の下落を防止すれば、乗っ取り屋の餌 食にされずにすむことになるのです。

  日本企業に対するガイジンの投資が自由化されたのは、1960年代のことです。その資本自由化にあたって日本中を席巻したのは乗っ取り恐 怖症で、どの会社もガイジンに株式を買占められるのではないかと怖れおののきました。この乗っ取り対策として当時に大流行したのが、 株式の相互持合いです。A社がB社の株式を保有し、その見返りにB社がA社の株式をほぼ同数保有するやり方す。A社とB社が資本関係を 通じて結束すれば、ガイジンの乗っ取りは撃退できると考えた結果です。A社がB社の株式を保有する見返りに、B社がC社の株式を保有し、 さらにC社がA社の株式を保有するという三角関係も増えましたし、五角関係、七角関係へ拡がっているケースもめずらしいことではありません でした。1960年代の日本には、こうして日本企業の間に株式の「ハメコミ」が徹底的に推し進められ、企業間ネットワークが形成されたのです。 旧財閥を中心にした6大企業集団がその典型ですが、これらの企業集団を基礎づけたのは株式の相互持合いだったのです。

  1980年代になって株式の相互持合いに対する批判が強まってきて、相互持合い株式の多くが市場に放出されました。また銀行の株式 保有の上限を規制する法律も施行されて、銀行が保有していた融資先の株式もまた市場で売却されました。このため、日本では一時、 相互持合い株式は大幅に減少していたのです。ところが、ここ数年の海外ファンドの乗っ取り騒ぎの結果、またぞろ相互持合いが増えて きています。

  その雲行きがまたもや変わろうとしています。2010年4月期から日本においても国際会計基準(IFRSs)の任意適用が可能となり、一部の会 社においてIFRSsに準拠した会計報告書が公開される形勢になってきました。相互持合い株式は「その他有価証券」に分類されます が、日本の現行会計基準では、その他有価証券が時価評価される場合でも、その時価評価差額は純資産の調整項目になっており、 当期純利益には影響を与えないのです。しかし、2010年からIFRSsに移行するとすれば、相互持合い株式に対して時価評価が強制され るばかりでなく、その評価差額が利益計算(正確には包括利益)に算入されます。 これは、株価の変動に応じて損益計算書の最終金額(包括利益)が増減することを意味しますので、会社の業績は著しく不安定になって きます。その対応策として、株式の相互持合いそのものを避けようとする動きがでてきているのです。相互持合いの目的で保有している株 式を3月末までに市場に売却し、4月以降には相互持合い株式を保有しないことにしようとしているのです。この売り圧力は株価水準を押し 下げますので、花見のころには美酒を飲めると期待していた投資家たちは、IFRSsの冷水を浴びせられることになりそうです。

◆お釈迦◆

  工場では、作り損ねのことを「お釈迦」(おしゃか)といっています。仏像の阿弥陀さまを鋳造するはずだったのに、できあがった のはお釈迦さまだったいうお話によっています。会計学でいう「仕損品」(しそんじひん)がそのお釈迦にあたるのですが、仕損品の 含意はもっと広く、いろいろなケースを含みます。製品として売れないものがすべて仕損品なのですから、作り損ねのような失 敗作だけでなく、キズもの、規格外、不合格品などが含まれることになります。最近では品質検査がやかましくなっていますから、 検査に通らないものがすべて仕損品の部類に落ちることになります。だから、工場では、お釈迦が減っていないのです。

  製造ラインで仕損品を1点も作らなければ、全部が売りものの良品になって、歩留りが100%になります。歩留りが100%なら、 無駄がまったくないわけですから、生産性が上がって、コストが引き下げられます。歩留りを100%にするのはクズを出さないことで もありますから、お釈迦を出さないと、環境にやさしい工場になって、従業員からも地域住民からも歓迎されます。

  お釈迦を造らないようにするには、どうすればよいか。これは昔から今に続く永遠の課題ですが、実際には簡単なことでは ないのです。トヨタのリコール騒ぎをみても明らかなように、あれだけ神経をすりへらして品質管理を徹底しても、まだまだ徹底が 足りないのです。いまわれわれは科学技術の最先端の世界に住んでいるようですが、実際には、技術的進歩の余地が身 の回りに多く残されていて、お釈迦が多く出ているのです。お釈迦をまったく出さないようにするには、さらにやらねばならないこ とが山積しています。材料とか機械を改めるだけでなく、やり方とかシステムを変えていかないといけないわけですので、教育 とか躾けとか、ひとの生き方の根本にまでかかわってきます。お釈迦を出さないというのは、簡単なようであって、実際には、 達成のむつかしい遠い目標といえそうです。

◆大阪商業講習所◆

  私立大阪商業講習所が西区立売堀北通3丁目に開設されたのは、明治13年9月のことという。発起人の代表は五代友厚であり、 鴻池善右衛門ら16名が創立委員に名を連ねていたらしい。翌明治14年に府立の学校に組織変更になり、明治18年には大阪商業学校として、 日本の先端的な高等商業教育機関の1つに生まれ変わった。その後、大阪高商、大阪商大と発展を遂げ、今日の大阪市大となるわけである。

  私立大阪商業講習所の正科には簿記、経済、算術の3学科があり、昼夜の2部制になっていた。正科は15名、速成科は 35名の小所帯であったが、教場は畳敷きで、教師も生徒も前垂れがけであったという。お金がなかったというよりも、当時の 浪速の商家の体裁に合わせたことによる。畳敷き、前垂れのこの情景の中で、教えられていたのは西洋式の複式簿記であった。

  東京では明治7年に大蔵省銀行学局が設立されていて、そこでは英人シャンドによって簿記学、経済学が教授されていた。この簿記学は西洋式 の銀行簿記であり、その教科書は今にも残っている(わたしも持っている)。東京ではそれ以前から三田の慶応義塾で行われていたビジネス教育が広 く知られていたが、簿記学のテキストは福沢諭吉訳の『帳合之法』であったろう。明治8年になると私立東京商法講習所(後の東京商大、現在の 一橋大学)が開設されているが、ここでは米人ホイットニーが簿記を中心にして、本格的に近代的な商業教育を教授していた。神戸にもこの動きが 伝わって、明治11年1月に県立商業講習所(その後神戸高商、神戸商大を経て、現在は神戸大学経営学部)が創立された。大阪商業講習所 の設立はこのブームに乗ったものであるが、かなり後発の方であったにもかかわらず、その高等商業教育はレベルの高いものであった。高等商業教 育に対する当時の大阪人の熱意と取組みは相当なもので、これが明治・大正・昭和を通じて、商都大阪の人材育成の基礎となったのである。

宮本又次、『五代友厚伝』(有斐閣、昭和55年)、390-365ページ

◆新規上場企業数の激減◆

  景気低迷の中で、日本における新規上場企業数はどうなっているのか。ずっと気にしていた ことではあったが、数字をたしかめる機会に恵まれなかった。最近になって下の表を戴き 、その数字にかなりびっくりしてしまいました。かつての元気はないとしても、日本の ビジネスの現場はもう少しはマシだろうと考えていたのです。

  新規事業(いわゆるベンチャー)は、その多くが頓死して、なかなか生き残れません。3 年くらいのタイムスパンでみても、生存率は5%以下だというひともいます。脱サラの喫茶 店開店とか、焼き肉・ラーメン屋の開店はたぶんは新規事業にはカウントしないのでしょ うが、これらを除くと新規事業といっても、その数はそれほど多くはないのです。多くは ないその新規事業の中で、3年以上も持ち堪えられる会社は、ごく少数です。ごく少数の この「勝ち組」の中で、さらに「上場会社」になれるとすれば「超スーパー」の会社だ ということになります。このあたりの統計数値はまったく当てにできませんが、大げさにいう人 は、「千三」(せんみつ:1000分の3の確率)といっています。この点で、「上場しました」と いう社長の言葉には、やっとのことで「夢の夢」を果たしたという歓喜の 響きがあります。10年ほど前には、1年に数件、この種の「グッドニュース」が昔の学生 たちから伝えれれてきていたのに、最近では、こうした嬉しい話はさっぱりなくなりまし た。

  新規上場企業がほとんどゼロというこの惨状は、やはりズシンと堪えます。実際には経営 破綻とかマネジメント・バイアウト(経営陣や従業員が株式を買い占めて上場廃止するこ と)などで、上場を取り止める会社も断続的に出ているわけですから、差し引きすると、上 場会社数は大いに減ってきている計算になります。職場が減っているとか、生産がダウン しているという意味合いであれば、これは景気動向のよもやま話になりますが、ビジネス活動の 停滞という点からすると、メンタルに堪えます。活性に響いて、元気が蒸発しそうになるのです。

◆財務制限条項違反の一時棚上げ◆

  財務制限条項には、もし借り手がこの条項に違反すると、「期限の利益を失う」と書かれている。 「期限の利益を失う」とは、資金の借入期限は将来期日になっていても、当日以降の期日は失 効するという意味であるから、平たくいえば「即時に全額 を返済する義務が発生する」のと同じことである。このため、財務制限条項に違反した場合には、 借り手は借りた資金を耳を揃えて、すぐにも返還しなければならない。

  借り手の金庫に多額の資金が眠っているような場合には、即時に全額を返済するのは容易なこ とかもしれない。しかし、資金 を借り入れることになったのは資金不足によるもので、借り手の金庫に多額の資金が眠っているよ うなことはありえない。お金が ないからこそ、借りたのである。この状況において、即時全額返済を要求されると、借り手はバイザ イするほかはない。だから、 財務制限条項への抵触は、ふつうはそのまま経営破綻につながる。

  借り手が財務制限条項に違反すると、貸し手にも深刻な問題が発生する。借り手が破綻すると、債権は焦げ付いてしまうか ら、法的整理によるにせよ私的整理によるにせよ、面倒な手順によって破綻債権の回収をしなければならない。滞納利子は ともかくとして、元本だけでも貸し手は取り戻そうとするが、いったん焦げ付いた債権を取り返すのは至難のことで、訴訟を起こし たり、弁護士を雇ったりしても、涙ほどしか回収できない。破綻後何年もかかって苦労の果てに回収できた破綻債権は平均し て5%程度だといわれているから、95%は取り戻せないことになる。とすれば、貸し手にとっての最優先事項は、借り手を破綻 させないことになる。

  証文には借り手の即時全額返還義務が書かれていても、財務制限条項違反が発生した時点に、この御旗を振りかざして、 借り手を破綻に追い込むわけにはいかない。そこで、貸し手は借り手と対策を協議するが、これが再交渉(renegotiation)の始まり である。最優先の課題は破綻を回避して、出来るだけ浅い傷で借り手の経営を再生させることである。しかし、そのためには再 建計画を立案して、経営を安定軌道に乗せなければならない。製品構成、工場配置、人員編成などを根本的に洗い直す だけでなく、状況によっては経営陣を入れ替えることになる。いずれにしても、相当な時間が必要とされるので、とりあえずの措 置として、貸し手は財務制限条項の違反を「一時棚上げ」(waiver)して、最終期限を明示したうえで即時全額返済請求を先 送りにする。法律的には、これは「猶予」という措置になる。

  財務制限条項への違反が発生しても、その後に借り手の経営が持ち直した場合には、一時棚上げを取り消して、元の貸付契 約に復帰する。しかし、期限まで待っても状況が改善されないとなると、本格的な破綻処理にすすむことになる。貸し手ではこの 時点で即時全額返済請求を行うが、すでに債権はコケているのだから、実質的にはこれにはあまり意味がない。

  財務制限条項への抵触は、経営破綻そのものではなく、その兆候にすぎない。一時棚上げの間に借り手の経営が復調して、破 綻の兆候が消えることもあるが、わるくすると、そのまま破綻してしまう。いずれにしても会社の存続にかかわってくるから、 財務制限条項違反が生じると、監査人は「ゴーイングコンサーン(GC)限定意見」を表明するかどうかを判断しなければならない。旧来の ルールでは財務制限条項違反はそのままGC限定事項になるとして、機械的に処理されてきたが、最近では財務制限条項違反が会 社の存続にどのように影響するのかを監査人が客観的な立場から改めて判断するというルールに変わっている。微妙な問題だけに、 監査意見が分かれて、多様になってくる可能性がある。

◆官営「松島遊郭」◆

  黒船ショックの後、大阪港を開港するいうことになって、さてどうしたものかと議論が沸騰した。慶応4年、いよいよ大阪港の開港が迫ったとき、 とりあえず決まったのは、外人居留地を大阪港に設けることだけであった。淀川の川口あたりに候補地を探し、ようやく選ばれた のが松ヶ鼻である。ここに運上所の指揮のもとに、なんと官営の遊郭が建設されることになった。松ヶ鼻と隣村の寺島町の名前をとってその 遊郭には、「松島遊郭」という名称が与えられ、「松鶴楼」という巨大な楼閣が建築されはじめた。この松島遊郭はその後明治新政府に引 き継がれて、外国事務局(いまの外務省)の管掌の下に運営された。

  周辺の小遊里をこのさい整理統合するという狙いもあったといわれるが、松島遊郭を建設する名目は風紀紊乱の取締りであった。しかし、 ガイジン対策という旗印とは別に、大阪の活性化という日本人向けの狙いも隠されていたらしい。いずれにしても大阪湾岸沿い松林の中に、 突如として「新天国」が湧き出たのだから、遊び人の多い浪速でもさすがにびっくり仰天したという。そのシンボルになったのが「松鶴楼」であ り、明治の文明開化の大音曲がこの妓楼から大阪湾に鳴り渡った。

  松島遊郭の跡は、いまも西区の川口あたりに残っている。地下鉄中央線の「九条」で降りて、南側の商店街を左に折れると、2階建ての 「料亭」(?)が軒を連ねている。玄関脇には「18歳未満立入禁止」、「コンパニオン募集」といった張り紙が貼ってあるが、入口の奥には昔風の覗 き窓が設えられていて、通りに向かって昼間でも女性が笑みを送っている。往年の賑わいはどこにもないが、いまでも「事業」が継続されている のはたしかなことである。

宮本又次、『五代友厚伝』(有斐閣、昭和55年)、147-150ページ

◆Oliver Williamsonにノーベル経済学賞(再)◆

  Oliver Williamsonはシャープな頭脳の持ち主で、きわめて精密な理論を構築してきたが、用いる用語は難解で、日本語訳に難渋したのは一再 ではない。いまでは会計学の基本的用語になっている"opportunism"はWilliamsonの造語で、「ウソをつく」、「ご都合主義によって適当にご まかす」という意味を込めた言葉である。「ウソをつく」行為が経済行動だとして経済理論の中に取り入れたのは画期的な業績であったが、そ の考えを日本語で表現するのは簡単なことではなく、"opportunism"の訳語には数年にわたりおたおたした記憶がある。浅沼萬里京大教授(当 時、故人)が「機会主義的行動」という訳を当てておられるのをみて、「これだ!」と飛びつき、さっそく会計学の論文で使わせていただいた が、幸いにもこの「機会主義的行動」ということばはその後会計学に定着し、いまでは教科書でも使われている標準的な会計用語になっている。

  Williamsonは取引がなぜコスト高になるのかを執拗に追究してきたが、取引をコスト高にする最も重要な要因は情報であるから、「情報の偏在」、 「情報の非対称性」といった用語を理論展開のド真ん中に据えている。「ウソをつく」のも、「情報の非対称性」を創り出すひとの知恵の1つで あり、取引コストを高くする。しかし、「ウソをつく」とか「真実を教えない」という行為には、かなりメンタルな側面があり、心理的要因にも 踏み込むことが不可欠になる。この点もあってか、Wiliamsonは「インセンティブ」(incentive)にたびたび言及しているが、この「インセンティ ブ」についてはついにいい日本語に到達できず、いまでもカタカナのままにしている。「誘引」というのもわるい訳語ではないが、ぴったりこな い。勤労の「意欲」、協力の「積極的な心持ち」、ごまかしの「不純な動機」など、インセンティブには幅広い含意があり、文脈によってカメレ オンのように意味が変化する。

  1970年代のエコノミストがそうであったように、Williamsonも「モラル・ハザード」(moral hazard)ということばを多用したが、これも日本語訳 に難渋した経済用語であり、わたしは村上泰亮訳『アロー組織の限界』(岩波書店、1970年)から拝借して「道徳的陥穽」ということばを当てて いた。しかし、この訳語は日本の学界には定着せず、会計学者では誰も使ってくれなかった。そこで「道徳的危険」という直訳に変えてみたが、 これもしっくりこず、最近では「モラル・ハザード」とカタカナに戻している。他の一般的な著作とできるだけ用語を統一しておかないと、学生 たちの間で混乱が生じるおそれがあるから、仕方ないことではであるが、先端の学術用語の使用についてはいまだに悩みが尽きない。

  わたしはOliver Williamsonから最も多くを学んだ1人であるが、いまになって思い出すのはその著作の理解に苦闘した1970-1980年代の 研究生活である。あのころはまだ取引コスト理論には光が当てられていなかったから、先行きの不安も大きく、将来の会計学が どうなるのか皆目、見当がつかなかった。Oliver Williamsonもあのころはあまり人気がなかったし、本も売れていなかったと思う。それにもか かわらず、Oliver Williamsonに行き会い、その学説に触れることができたのは幸いなことであった。わたしにとって大切なその Oliver Williamsonが、ことしのノーベル賞受賞者なのである。

◆岩田巌 著『利潤計算原理』を読む(再)◆

  岩田巌(1905-1955)先生は第2次大戦前に東京商大(現一橋大学)をご卒業の後、同大学助教授、同大学教授をへて、学制改革により 戦後は一橋大学教授をお勤めになられたが、50歳そこそこの若さで他界されてしまった。会計学の天才で、戦前・戦後を通 じて師の太田哲三博士とともに日本の会計理論の発展をリードされてきた。黒澤清博士などと「企業会計原則」、 「監査基準」の起草にあたり、日本の会計制度の確立にも多大な貢献をなされている(略歴は『会計学辞典』(同文 舘出版)を参照されたい)。

  岩田先生の代表的著作といえば、何といっても岩田巌著『利潤計算原理』(同文舘、昭和31年3月3日)ということになる。 昨今では国際的コンバーゼンスの流れを受けて、資産・負債アプローチがかしましいが、この論争は半世紀前の動態論・ 静態論の議論と重なっているところがある。そこで、岩田巌著『利潤計算原理』を書架から下して、埃を払ってみるこ とになったのだが、読んでみて、あらためて新鮮な感銘を受けた。動態論と静態論とは貸借対照表に対する解釈が根本 から対立するが、この対立は同じ貸借対照表を違ったふうに理解したことによるのではなく、まったく別個の貸借対照表 を見ていたことによるというのである。

「上述の本質観は一つの貸借対照表に対する二つの異なる見方であると一般に信じられている。だがこう思い込んでいる ところに根本的な誤謬がある。両者は一つの貸借対照表を問題にしているのではない。それぞれ別の貸借対照表を問題に しているのである。企業会計には計算上の貸借対照表と事実上の貸借対照表の二種が存在することはすでに繰返して述べ たところであるが、二つの貸借対照表学説はそれぞれこのうちの一つの考察の対象として取りあげているのである。」 (84頁)

「観察の対象がまったく別物なのである。本質観が異なるのはけだし当然のことであろう。(改行)対立の根源が異なる ことに気づかないで、あたかも同一の対照表を問題にしていると思込んでいたところに、紛糾の根本的な原因があったの である。それは企業会計における利潤計算の二元的構造を見究めなかった結果である。」(85頁)

  最近の資産・負債アプローチは、収益・費用アプローチとの対比において、会計への見方を根本から覆すものされること が多い。しかし、資産・負債アプローチから見ている貸借対照表と収益・費用アプローチから見ている貸借対照表はまっ たく違うもののようであるから、二つの貸借対照表は別物とみるべきではないであろうか。もしそうであれば、半世紀前 の岩田巌説が甦ってくることになる。

  日本の山間部には荒れ放題の山林が多数あるが、コストの点で、その管理は不能なこととされてきた。しかし、森林管理によるCO2の 排出枠をカーボン・オフセット・クレジットに替えることが可能になるとすると、その売却によって収入を確保し、その収入を森林管 理に充てる途が拓かれる。「美しい日本の森林」が甦ることになるかもしれない(下の写真はオガタマノキ。同志社大学 今出川キャンパス正門前で、2010年3月1日に撮影)

◆マーク・ツー・マケットと「踏み倒し益」の計上(再)◆

  公正価値への評価替えというのは、貸借対照表の期末評価額を時価へ付け替えるという意味で、英語ではマーク・ツー・マケット(mark to market)といわれている。日本で、一般に時価会計といわれているのと同じことを指す。このマーク・ツー・マケットの対象となるのは、資産、それも特に金融資産に限定されており、会計制度では、非金融資産にいついては従来の取得原価評価基準が適用されることになっている。

  しかし、マーク・ツー・マケットの適用対象を拡大するという動きは、国際会計基準の影響力が大きくなるにつれて、しだいに激しくなってきている。資産の評価にあたり非金融資産に対してもマーク・ツー・マケットを拡大適用すべきだとする見解はいまではめずらしいものではなく、日本の学会でも棚卸資産とか固定資産のような非金融資産に対する期末評価は公正価値基準によるべきだという主張がなされても、だれも驚かなくなっている。最近になって棚卸資産の期末評価では低価法の適用が、固定資産の期末評価では減損会計の適用が制度上強制されることになっているが、これらは時価が下落したときだけに時価まで帳簿価額を切り下げるというにとどまり、時価が上昇したときに時価まで切り上げるというのではない。したがって、これらは時価会計というよりも取得原価会計の一部手直しであり、時価基準による取得原価基準の部分的修正にすぎないが、マーク・ツー・マケットという見方からは、非金融資産に対する公正価値基準適用(つまり時価会計)の先触れであるとみられている。時価会計を標榜する論者は、将来には、金融資産、非金融資産の別にかかわりなく、いずれはマーク・ツー・マケットへ全面的に移行するという見込み(幻想?)を抱いているのである。

  マーク・ツー・マケットの適用対象は論理的には資産にだけに限定されているわけではないから、負債の評価においても公正価値基準が適用されることになる。負債を金融負債と非金融負債に2分する考え方は必ずしも一般的ではないが、もしこの2分法によるとすれば、大部分の負債は金融負債に属しており、したがって現行の会計ルールによっても、負債を公正価で評価するのは当然のことといえる。現にアメリカの会計基準では負債を公正価値で評価する会計ルールが明文化されており、FAS No.157には、その会計手順が詳細に記述されている。FAS No.157という会計ルールはすでに施行されているから、負債を公正価値基準で評価する会計ルールは、アメリカでは会社の会計実務として広く浸透しているといえる。しかし、負債を公正価値基準で評価するのは、「踏み倒し」(deadbeat)を助長するという、非難の大合唱がいま巻き起こってきている。

  いま、世界中で注目を浴びているのは、会社が潰れかかると、利得が湧き出すという珍奇な会計現象である。この珍現象をもたらすのは、マーク・ツー・マケットを負債の評価に拡大し、期末負債を公正価値で評価するからであり、元凶は時価会計である。FAS No.157によれば、会社の負債の評価額には「会社が返済することができないリスク」が反映されなければならないから、期末の負債は公正価値基準によって評価される。会社が潰れそうになると、負債の返済能力が落ちて、リスクが高くなるから、その公正価値は下落する。負債の公正価値が下落すると、以前の負債の帳簿価額より期末の公正価値(時価)の方が低くなるから、差額が「利得」として表面化する。個人の懐勘定に言い換えるとすると、借金が減った分だけ、儲かったというわけである。

  負債の公正価値の下落によって表面化した利得(負債評価益)は、アメリカにおいても会計上は立派な利益としてカウントされ、損益計算書において純利益に算入される。このため、会社が潰れそうになって、負債の返済能力が低下すると、多額の利得が発生して、これが当期純利益を押し上げる。会社が負債の返済能力を大幅に低下させればさせるほど、当期純利益に算入される利得(負債評価益)の金額は膨張する。

  投資者の中には、損益計算書の最終行の会計数値、つまり当期純利益しかみていない人も少なくない。この最終行しか読まない投資者の立場に立ってみると、会社が潰れそうになればなるほど当期純利益が「急成長している」ようにみえるわけだから、これほど恐ろしいことはない。マーク・ツー・マケットは、投資者を「騙す」やり方だと非難されるのはこのカラクリによっている。このカラクリがどこかの夢物語であれば誰も振り回されたりはしないが、マーク・ツー・マケットにより現実に起きているのだから、大混乱になってしまう。マーク・ツー・マケットは「踏み倒し」を動機づけるから、新しい金融犯罪を生み出す危険も大きい。

Katz, D.M. and T. Reason, “How Fair Value Rewards Deadbeats, ” CFO.com, July 9, 2008, http://www.cfo.com/article.cfm/11706587/c_2984368.

サンシュウ。2010年3月1日、河原町今出川交差点にて撮影。

◆次回の更新◆

  冷たい北風に代わって、もうすぐ南から暖かい春風が吹きはじめるでしょう。梅の花が終わると桃の花 が、桃の花が終わると桜の花が、訪れてくれることになります。花いっぱいの、楽しみな春の日々を迎 えるのは、これからです。みなさんお元気にて、よい春に日をお迎えください。次回の更新は五月の連 休のころを予定しています。ごきげんよう、さようなら。


2010.02.20

OBENET

代表 岡部 孝好