山下 勝治著, 会計学一般理論
(千倉書房,1963)
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「最初に読んだ会計学の本は?」と訊かれると、躊躇なく山下勝治先生の『会計学一般理論』を挙げる。この答えを聞いて「ウヘェ! しょっぱなからあの本を?」と驚くひとが少なくないが、あの高級な本が1950-60年代の神戸大学では学部の教科書だったのだから、当り前のことである。学部時代のわたしにこの本を選ぶ特別の才覚があったわけではなく、指定の教科書を何気なく読んでいたにすぎない。しかし、岡部会計学が『会計学一般理論』から始まったというのは誇ってよいことであるし、また幸せこのうえないことであった。

『会計学一般理論』にはいくつかの異なるバージョンがあって、表題の真中に「の」が入っているもの(つまり『会計学 'の' 一般理論』)、頭に「新版」が付いているもの(写真をみられよ)、末尾に「−決定版−」が付いているものなどがある。あの頃はやたらと新しい会計原則が制定されたり、商法の大改正が行われたりした時期であったから、内容をアップ・ツー・デートにする必要がたびたび生じたことはたしかであるが、山下先生のお考えがしだいに進展し、体系の書き改めが不可欠になったという事情もあったと推察される。この点で、バージョンごとに変化の跡を追って、山下先生の会計思想の形成史を究明するのは、興味深い学説研究のテーマをなすといえよう。
1950-60年代の神戸大学会計学科はケルン学派の牙城といわれており、山下先生はそのケルン学派の総帥であったから、『会計学一般理論』はドイツ流の収支計算思考によって固めに固められているものと誤解されやすい。しかし、その中核をなす利益測定論(第U編損益計算論)では実現原則と費用収益対応原則が手堅く展開されており、ペイトン・リトルトン流の歴史的原価会計が緻密に再構成されている。棚卸資産の原価配分にしても固定資産の原価配分にしても、理論と手続きの両面から本質的な議論が繰り広げられており、論理に一寸のすきもみられない。第U編第11章では「期間損益計算の真実性」によって利益測定論が締め括られており、期間利益の相対的真実性を保証するメカニズムに理論的な検討が加えられている。谷端長先生の学説では相対的真実性は3つによって構成されているが、山下勝治先生の相対的真実性は最後まで2つであり、決定版に至っても3つに増えることはなかった。
『会計学一般理論』の重要な特徴を成しているのは、「第V編資本会計論」である。当時においても中村忠著『資本会計』(白桃書房、1961年)といった専門書がなかったわけではないが、利益測定論と並行させて資本会計を真正面から論じた著書はめずらしく、しかもその内容はきわめて斬新で精緻なものであった。数年後に丹波康太郎先生が資本会計についての秀逸な研究書を出版されたが、その端緒を開いたのはまちがいなくこの「第V編資本会計論」であり、丹波理論の基礎を支えているのは、適切な資本会計があってこそ適切な損益計算が成り立つという山下先生の考え方である。こんにちのことばでいうとクリーンサープラス原則にあたるが、丹波先生は教室においてもこの原則の重要性を再三指摘され、『会計学一般理論』を読む際にこの点を見落とすことがないようにと、くどくどと念押しをされていたのを思い出す。
『会計学一般理論』のもうひとつの特徴は、「第W編財務諸表」である。この第W編ではディスクロージャーにかかわる開示の諸原則が取り扱われているが、それだけではなく貸借対照表能力論、資産評価論、貸借対照表が果たす期間損益連結機能などの本質的でハイレベルの問題点が論じられている。貸借対照表の借方の全項目を「貨幣」として一元的に解釈する山下学説は「現金動態説」という名で日本の会計学界に広く知られていたが、その論理の骨子も第W編6章に盛られている。第W編のこうした論調は現在でも第一級で、手応え十分である。
『会計学一般理論』のタイトルがケインズの著書に酷似しているのは、偶然のことではない。「本書に『会計学の一般理論』という表題を与えたことは、・・・会計学の一般理論を構成しようとするわれわれの立場を示そうとしたところに重要なねらいがある。」(第1版序3頁)という叙述からも察せられるように、意識的に一般理論という大目標を目指していたのである。第U編の利益測定論、第V編の資本会計論、第W編の財務諸表論を統合してみると、山下先生のその企図が十ちゅう八九まで見事に実現されているのがわかる。
わたしが経営学部の学部生のころ、山下勝治先生はすでに脳梗塞でご療養中であり、会計学総論を講義されていたのは代行の木内佳一大阪大学教授であった。大学院修士課程においては谷端ゼミ生は全員が山下ゼミにも参加することになっていたが、月1回の例会に山下先生は一度もお出ましになられなかったから、結局のところ山下先生のお声を拝聴する機会には恵まれなかった。山下先生のご葬儀は三ノ宮の寺院で営まれたが、それはわたしが修士課程2年生のときではなかったかと思う。そのころ「惜しくも若くして山下先生は・・・」ということばを何度も耳にした記憶があるが、数えてみるとご逝去は63歳であり、すでに神戸大学の停年に達しておられたことになる。
山下勝治(1906.05.12-1969.12.05)。岡山県笠岡生まれ。大分高商卒業後(豊橋商業学校教諭を経て)1929年に神戸商業大学(現神戸大学)に入学、1932年に同研究科に進学。神戸商業大学卒業後には彦根高商(現滋賀大学)に数年間奉職した後、1944年に母校の神戸商業大学助教授に迎えられ、1947年に教授に昇進された。