会計学の名著を訪ねて
OBE Accounting Research Lab |
An Introduction to Corporate Accounting Standards |
by W. A. Paton and A. C. Littleton |
American Accounting Association, 1940 |
『会社会計基準序説』 |
中島 省吾 訳 |
昭和33年、森山書店 |
第二次世界大戦が終結すると、日本の産業に復興の動きが拡がり、1947-47年ごろには学術の世界にも活気が戻りつつあった。会計学というのは
当時はまだめずらしい学問領域であり、一橋大学、神戸大学などにおいて、戦前のドイツにおける貸借対照表論が散発的に研究されていた時代のこと
である。ビジネスの世界には「会計基準」(accounting standards)なるものが不可欠であるということも、また会計基準を定めるにはそれを支える
「会計原則」(accounting principles)が必要だということも、まったく注意されずにいたころのことである。会計数値を市場に向けて公開するディスクロージャー制度とか、
公開する会計数値を公認会計士が監査する外部監査制度も、日本ではまだ未確立の状態にあった。
これに対してアメリカにおいては、1929年のNY証券取引所においける株価大暴落の経験を受けて、1930年代後半には会計基準の制定運動が活発
に繰り広げられていた。特にこの会計基準の制定運動に積極的に関与したのがアメリカ会計学会(American Accounting Association: AAA)とアメリカ会計
士協会(当時はAIA、後のAmerican Institute of Certified Public Accountants: AICPA)であり、次々に新しいプロジェクトを立ち上げ、会計基準づくりに強いリーダーシップ
を発揮した。次に掲げる刊行物は、この時代に生み出された代表的な成果である。
Committee of American Accounting Association, "A tentative Statement of Accounting Principles Affecting Corporate Reports", TheAccounting Review, June 1936, pp.187.
Committee of American Accounting Association, "Accounting Principles Underlying Corporate Financial Statements", 1941.
*いずれも中島省吾訳編、『贈訂 A.A.A.会計原則――原文・解説・訳文および訳注』(中央経済社、昭和39年)に原文と訳文を所収。
T. H. Sandars, H. R. Hatfield and U. Moore, A Statement of Accounting Principles, January 1938.山本繁ほか訳、『SHM会計原則』(詳細不明)。

このような気運の中で、突如現れたのが、票題に掲げたPaton and Lettleron[1940]である。この著書は156ページの薄っぺらいパンフレットであり、左の写真のように貧粗な
装丁であるから、古本屋の書架に並べられていても、大した値札は付いていないにちがいない。しかし、それはまさに衝撃の1冊であり、理論と実務の両方にわたって、
会計の世界を根底から覆したのである。こんにち「発生主義会計」(accrual accounting)とか「対応主義会計」(matching accounting)と呼ばれている会計の基本的な骨
組みを示したのは、この本だったのである。
1940年というのは日米開戦前であり、日本でこの著書の存在を知っていた会計学者は、おそらくは1人もいなかったものと思われる。会計学の天皇といわれていた黒沢
清博士(元横浜国立大学教授)も、戦後かなり後になるまではその存在に気づいていなかったのではないかと推定される。ところが、中島省吾先生(当時横浜国立大学、現
フェリス女学院大学)が戦後になってからフルブライト基金で渡米され、この著書に遭遇され、そしてそれを日本に持ち帰られたのである。中島省吾先生はその内容を精
密に咀嚼されたうえで、『序説』という名の日本語訳書を出版された。1950年代になってから、日本の会計学の世界に「会計基準」、「会計原則」などの用語が飛び交うよう
になるが、それは中島省吾先生が訳された『序説』が競って読まれ、日本中に「序説」の考え方が広がったことの結果である。
会社の「儲け」、つまり「純利益」というのは、結局は入ってくる現金と出ていく現金の差額でしかないということは、Paton and Littleton[1940]よりかなり前から知られていた
ことであり、別段新しい考え方ではなかった。現金が入ってくるはるか前の時点で、「もう現金をもらったのも同等だ」と早めに儲けをカウントするとした場合に、仮にその儲け
の金額が多すぎたとすれば、後で誤りを訂正して、金額を引き下げるだけのことである。現金の支出をカウントし損なった場合でも、後で修正すれば、純利益の金額は正し
い数値に引き戻される。純利益という数値は、毎期毎期の金額を累計していけば、キャッシュフローの出入りの差額にぴったり一致するものであるから、それを早めにカウン
トしようが遅めにカウントしようが、どっちみち同じことである。この点を厳密に論証したのがドイツの会計学者Eugen Shmalenbachであり、究極的には純利益の計算は収支
計算(キャッシュフロー測定)から離反することはできない。会計はキャッシュフロー計算からはじまり、こんにちの発生主義会計に発展してきたものであるから、こうした点に
ついては、Paton and Littleton[1940]もよく承知していたと考えられる。
Paton and Littleton[1940]においては、純利益は究極的には現金収支差額に一致するものだとしても、純利益のカウントはいつでもよいというわけではない。カウントのタイミングを
選択することがきわめて大事であり、早すぎるカウントを避けることが不可欠である。Paton and Littleton[1940]からすれば、1929の大恐慌が発生したのは純利益を早くカウントしす
ぎたことに原因があり、純利益のカウント時点を可能なかぎり遅らせなければならない。純利益のカウントを早めるのは、「藪の中の鳥」と「籠の中の鳥」とを混同するのと同じであり、
きわめて危ういことである。事実が未確定のステップで予想額とか期待額を先取りすれば、会計数値には幻想が紛れ込み、確かさが失われてしまう。純利益のカウントは、その存
在が間違いないと客観的に判定される最後の瞬間まで先送りし、いったんカウントしたなら後に訂正されるようなことがないようにしなければならない。こうしてPaton and Littleton[1940]によって打ち建
てられた柱の1つが、収益認識における実現原則(realization principle)である。この実現原則の確立によって、収益は商品の販売によって確実さが裏づけられるまでその認識が
否認されることになったのである。
儲けのカウントが販売時点まで先送りされるとすれば、購入した資産の価額は、販売時点まで買値のままに据え置くほかはない。未販売のステップで資産の価額を買値以外の
金額に変更すると、差額が「純利益」か「純損失」として表面化してくるから、販売以前のステップにおいて儲けがカウントされることになり、実現原則に違反する。これは実現原則による
とすれば、資産の価額を買値から変更できないということにほかならないから、実現原則を堅く遵守するといことは、資産価額の評価にあたって歴史的原価基準(historical cost basis)
を堅持することを意味する。歴史的原価基準を守ることは実現原則を守ることであるし、実現原則を守ることは歴史的原価基準を守ることになる。歴史的原価基準と実現原則は1枚の
コインの表と裏の関係にるから、こうしてPaton and Littleton[1940]においては、歴史的原価基準が理論的に根拠づけられることになった。
原材料を買っても設備投資を行っても、対価の支払いが必要とされるから、現金の支出、つまりキャッシュ・アウトフローが発生する。支払債務の確定時点であれ現金支払時点であれ、
これらのキャッシュ・アウトフローをその発生時点で費用として認識すれば、それはそのまま純利益に反映さてしまう。ところがPaton and Littleton[1940]は、こうしたキャッシュ・
アウトフローについても費用として認識する時点を販売時まで先送りすることにしたのである。原材料とか設備の購入にともなうキャッシュ・アウトフローは取得資産に対する「原価」の
発生たどして、費用として認識を否定したのである。原材料・設備の購入によるキャッシュ・アウトフローは、それがもたらす将来的なキャッシュ・インフローに関連づけられ、収益が実現
するまで「原価」のままに据え置かれることになったのである。この原価による資産価額の持ち越しは歴史的原価基準と完璧に整合しているが、それにもまして重要な点は製造業
における原価計算の手順にも完全にマッチしていることである。製造業においては生産工程に原材料、労力、経費が投入されるにつれて製造原価が積み上げられていくが、Paton and Littleton[1940]
においては、この原価計算は歴史的原価基準の枠組みの中における原価の再分類処理の1つにすぎず、「原価凝着」(cost atatch)のプロセスにほかならない。
原材料・設備のキャッシュ・アウトフローが「原価」であって、「費用」ではないとすれば、それが「費用」に転化するのはいつであろうか。これを正当化する論理が「努力と成果の対応」である。
「原価」は将来に成果を生み出すための「努力」の測度であり、それがどの成果を生み出したかを識別して、実現した成果に結びつけなければならない。つまり、キャッシュ・アウトフローは
収益に対応されるまで「原価」によって持ち越され、収益が実現した時、それに対応する費用として収益にチャージされるのである。収益費用対応原則(matching principle)はこうして支出
を収益に関連づけるが、この原則が実現原則、歴史的原価基準と不可分の関係にあることが見落とされてはならない。実現原則、歴史的原価基準、対応原則は『序説』という椅子を支える
3本の脚であり、どれを欠いてもその論理が崩れるのである。

『序説』は右に示されているように、次の7章から構成されており、その章構成には徹底的な検討の跡がみられる。文章には1行もムダがなく、研ぎ澄まされた論理が順を追って展開されている。
1章.基準
2章.諸概念
3章.原価
4章.収益
5章.利益
6章.剰余金
7章.解釈
筆者の神戸大学の学生時代には院生が研究において翻訳書を使うことを許されておらず、原書にジカに取り組むのがオキテになっていた。外国語の文献は、まず自分の手で日本語に翻訳する
というのが標準になっていた。しかし、Paton and Littleton[1940]はどうにも手に余り、内容の理解とか訳語の選択に立ち往生することも一再ではなかった。そこで足繁く図書館に通って図書館の
『序説』にお世話になることになったが、これはPaton and Littleton[1940]に対する中島省吾先生の解釈を吸収するよい機会になった。日暮れの六甲台の坂道を下りながら、Paton and Littleton[1940]
あの文章はそういう意味だったのかと得心したことが何度もあったのを思い出す。原書もすごい著書であったが、それを日本語で生まれ変わらせた『序説』もまた素晴らしい著書であった。
2013.03.10
OBENET
代表 岡部 孝好
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