会計学の名著を訪ねて


 OBE Accounting Research Lab



 Gilman, Stephen,
    Accounting Concepts of Profit,
                 (The Ronald Press Company,1939.)
 久野光朗 訳,
    ギルマン会計学(上)(中)(下),
                 (同文舘)

  会計学における最も基本的な用語は「利益」であるが、会計学が本格的に研究されはじめてかれこれ100年にもなるのに、「利益」という用語の意味がはっきりしておらず、専門家の間でそもそも「利益」とは何だったのかが議論の的になっているというと、驚くひとが多い。「利益」には日本語でも「儲け」、「利潤」、「利得」、「所得」など、さまざまな別名があるが、事情は英語圏でも同じで、”income”、”profit”、”gains”、”earnings”などの類似語が飛び交っている。どれが本物で、どれがウソかを指摘するのも困難であるから、「紛らわしい」という学生の苦言を耳にしても、「こまったことだネ」とごまかすほかはない。

  ビジネス活動の駆動力が「金儲け」であることに疑いはなく、アメリカでは”make money”が、大阪では「儲かりまっか」が挨拶代わりになっている。「金儲け」を疎かにしてスッテンテンになると、アメリカでも日本でも虫けらのように踏み潰されてしまうから、やはり「金儲け」は最優先事項であり、ビジネス(ウー)マンも365日、昼夜を問わず「金儲け」に邁進することになる。この「金儲け」がどこまでうまくいったかをカウントした数字が「利益」なのだから、「利益」が大切なことはたしかである。会計学が「利益の測定」に狙いを定めたのは、この点で、まちがいであったとは思えない。

  しかし、「利益」をどうカウントするかになると、話は簡単ではない。いろいろなカウントの仕方があるから、わるくすると底なしの泥沼に嵌って、脱け出せなくなってしまう。底なしの泥沼に首まで浸かって、かろうじて息をつないでいる会計研究者のひとりがわたしなのである。

  Hicks(1946)が「経済学的利益」(economic income)なるものを提示したのは、第二次世界大戦の後のことであるが、その考え方ははるか前から存在していたように思う。ごく最近になっても、ヒックス流の経済学的利益が地球上の最善の利益の定義だという見方がなおも枯れていないが、そういう考え方は信仰にすぎず、会計学の「利益」を導く道標(みちしるべ)になるようなものではない。経済学的利益の基礎になっているのは企業所有者(株主)が心の中で密かに描く未来への期待であり、この幻惑的な期待が、ビジネス活動を通じて実際に達成した「金儲け」に直接にリンクしているわけではない。「金儲け」の根幹を成しているのは「安く買い、高く売る」ことであるが、取引相手との値決め1つをとっても、吹っ掛け、値切り、賺(すか)しといった交渉テクニックが噛んでいるし、上げ潮、引き潮、景気の山と谷などのタイミングの選択もかかわっている。競争関係の中で競り勝つには、ネジ1本たりとも無駄なものは省くというドケチの精神とか、移ろいやすい顧客の嗜好の変化に附け入る目敏さが大きな役割を果たす。競争市場における血と汗が滲んだこうした日夜のアガキの結果が「利益」となるのに、経済学的利益はその生成プロセスを素通りして、最終果実のキャッシュフローだけに目を向けている。それも過去のキャッシュフロー対してであればまだしも、未来に生じるはずの幻想のキャッシュフローに対してなのである。経済学的利益は、この点で現実のビジネスへのつながりが希薄である。これに対して、Gilman(1939)は方は現実指向で、「金儲け」を睨んでいる。

  1930年代にヒックス流の経済学的利益の概念が会計学者の間でどれほど広く知られていたかは不明である。しかし、同世代のCanning(1929)においては経済学的なアプローチにしたがって「資本価値」(capital value)による資産評価の理論が展開されていたし、また資産の主観価値と客観価値の差額に当たる「のれん」(goodwill)が重要だという見解がいくども繰り返されているから、Gilman(1939)において資本価値とか経済学的利益が最初から抜け落ちていたとは思われない(Gilman(1939)は各所においてCanning(1929)を引用している)。それにもかかわらず、Gilman(1939)は経済的利益については一顧だに与えず、現実のビジネス活動そのものから「会計上の利益」を導きだそうとしたのである。こんにちの用語で表現すれば、徹底した収益・費用アプローチによって、収益とそれに対応する費用の測定プロセスに目を凝らしたのがGilman(1939)であった。

  ギルマンの『会計上の利益概念』の原著は600頁を越える大著であるが、小樽商科大学の久野光朗先生によるその邦訳書の『ギルマン会計学』は(上巻)(中巻)(下巻)を合計すると1,000頁以上になっており、わが書架においては原著を上回る偉容を誇っている。邦訳書の巻頭に収録されている久野光朗先生の略歴紹介によると、Stephen Gilman(1887-1959)はもともと理工系の大学の出身で、信用調査、公認会計士などの長い実務経験をもっている。原著の記述がきわめて精密で、隙がまったくないのは、おそらくはこの経歴に関係するところが大きいと思われる。注目に値する点は、久野光朗先生の邦訳書もまた原著によく似た特徴をもっていて、精密でまた隙がないということである。原著では当時の最新文献が細かく引用されているが、久野光朗先生は邦訳にあたって引用文献のオリジナルに当たり、その内容をいちいち丹念にチェックされたのではないかと推察される。なかなかマネのできないことである。

  ギルマンの『会計上の利益概念』を構成する主要なトピックスは次の3つである。

    ■会計ドクトリン、会計コンベンション、会計原則、会計ルール

    ■実現、対応、原価

    ■棚卸資産、固定資産、繰延資産

  これらの中で「会計ドクトリン」(accounting doctrines)というのは聞きなれない用語であるが、Gilman(1939)は保守主義(conservatism)、首尾一貫性(consistency)、公開性(disclosure)、重要性(materiality)の4つを挙げているから、日本の企業会計原則の一般原則に盛り込まれている内容と一致する。日本の企業会計原則では首尾一貫性は「継続性の原則」と、公開性は「明瞭性の原則」と書き改められているが、表記法が違うだけであって、中身に異なるところはない。「会計コンベンション」(accounting conventions)は今日の標準的教科書に書かれている会計公準とまったく同じ内容であり、会計主体(accounting entity)、貨幣評価(valuation)、会計期間(accounting period)の3つが示されている。実現、対応、原価という会計原則も、わたしたちが会計学の初心者コースでいつも講述している内容と異なるところはみあたらない。棚卸資産、固定資産、繰延資産といった各論も同じことで、今日の標準的教科書の記述と同じことが書かれている。それもそのはずで、日本の戦後の会計教育はこのGilman(1939)を鑑(かがみ)にして行われてきたのだから。

  Gilman(1939)はPaton and Littleton(1940)と同世代の会計学の古典であり、この2冊を縒(よ)り合せると、歴史的原価基準と実現原則を基軸にする今日の(いや昨日の、といべきか)「一般に認められた会計原則」(GAAP)の骨組みができあがる。日本の企業会計原則にはこの2冊に加え、「SHM会計原則」が大きな影響を与えたといわれているから、日本の会計制度の原型を形づくったのは、これを加えても3冊だったということになる。黒沢清博士を中心に、この3冊が徹底的に研究され、日本の会計制度に組み込まれていった。戦後20年にわたって、日本の会計研究者に最も親しまれてきた英文の原書といえば、この3冊以上のものはないであろう。

Canning, John B., The Economics of Accountancy (The Ronald Press Company, New York, 1929).

Hicks, J., Value and Capital (Clarendon Press, 1946).

久野光朗先生略歴、1931年東京生まれ、一橋大学商学部卒、一橋大学大学院商学研究科修了、小樽商科大学教授。


2014.05.19

OBENET

代表 岡部 孝好