Edgar O. Edwards and Philip W. Bell, The Theory and Measurement of Business Income (University of California Press, 1961).
中西寅雄監修、伏見多美雄/森藤三男訳編『意思決定と利潤計算』(日本生産性本部、昭和39年)。
会計学の著書にかぎらず、広く書物には、その名声と評価が時代とともに大きく変わることがある。世にもてはやされている書物が、突如として見捨てられ、忘れ去られてしまうのは珍しいことではないが、不思議なのは、こうして忘れ去られたはずの古い書物が、ある日にまた再び注目を集めて、光の渦の真中に引き出されることである。

エドワーズ・ベル著『企業利益測定論』という314頁の本は1961年に出版された(1995年に再版された)が、当時には画期的な会計学の研究書といわれ、これを読んでいないひとは、まともな会計学者ではないとみられるほどであった。この本を書いた2人の著者はいずれも経済学者であったし、また著書の内容も経済学の考え方に沿って厳密に展開されていたから、この本を読みこなすのはたいへんな難事業であった。しかし、わたしたちの大学院生時代はこの著書を避けて通れない1960年代後半であったから、当時の生活は、エドワーズ・ベル著『企業利益測定論』と格闘する毎日であった。
時価主義会計にはいくつかの類型があって、最近もてはやされている公正価値会計(マーク・ツー・マーケット会計)もその時価主義会計の累計の1つに属する。エドワーズ・ベルが50年前に展開したのも時価主義会計ではあるが、それは最近の公正価値会計とはかなり趣を異にしており、期末に資産を時価基準で評価するだけでなく、費用をも時価基準で評価するというもの(単純な資産再評価論ではなく、資産再評価論と費用再評価論を組み合わせたもの)であった。そのうえに、インフレーションによって生じる貨幣価値の低下にも対処する手立てを講じていたから、その理論的構想はきわめて緻密で、壮大なものであったといえよう。1960年代には、アメリカだけでなく世界中の会計学界が、このエドワーズ・ベルの時価主義会計論で沸騰したし、これに関連して時価主義会計論の著書が次々に世に出され、この議論の渦に加わった。 Moonitz(1961)とか, Sprouse(1962)の著書が先を争って読まれたのも、この頃のことである。
1973年に突如としてオイルショックが発生し、これを契機に地球的規模において物価騰貴が亢進した。この経済情勢の劇的な変化を受けて時価主義会計を会計制度に組み込むことが、各国では喫緊のテーマになった。そのとき、どのタイプの時価主義会計を制度化するかが議論の焦点になったが、最も有力視されたのがエドワーズ・ベルの時価主義会計である。インフレーションによる貨幣価値の下落にも対処する一方で、資産と費用を同時に時価基準によって再評価するというモデルが、会計制度として実際に採用されようとしたのである。しかし、結局のところ、この時価主義会計の制度化は挫折して、元の原価主義会計のパラダイムに戻ってしまった。2度にわたるオイルショックが終わると、物価も鎮静化し、時価主義会計はどこかへ蒸発した。
1980年代から1990年代を通じて、通貨危機、バブルなどが何度か発生して、その後にも、時価主義会計の採用が話題になったことは事実である。激動する経済においては原価主義会計ではビジネスをリードしきれないという批判が幾度となく提起され、この原価主義会計への批判が時価主義会計への関心をたびたび呼び覚ますことになったのである。しかし、こうした議論との関連で取り上げられる時価主義会計はエドワーズ・ベルのモデルとは別のタイプであり、エドワーズ・ベル著『企業利益測定論』の再評価につながるようなものではなかった。

1990年代になると、会計学の若い旗手たちによって新しいフロンティアが開発されはじめたが、その成果の1つとして注目を集めたのがFeltham-Ohlson(1995)の企業価値評価モデルである。このFeltham-Ohlsonモデルによると、しごく単純な前提をおくだけで、会計数値によって企業価値を理論的に説明する新しい途が拓けてくる。この理論モデルには幾多の示唆が含まれているが、その含意の検討プロセスにおいて明らかになったのは、Feltham-Ohlsonモデルがその基幹においてエドワーズ・ベルと考え方を共有しているという点である。こうして、エドワーズ・ベル著『企業利益測定論』は再び脚光を浴びることになった。
Kenneth and Whittington(2010)は、Accounting Horizons誌の最近号に2007年に昇天したBell(1924-2007)の追悼論文を掲載している。この追悼論文では、エドワーズ・ベル著『企業利益測定論』の偉大な功績が讃えられているが、興味深いのは、その中で触れられている2人の著者の共同研究の姿である。
Bellは第二次世界大戦に空軍のパイロットとして参戦したが、戦後には大学に戻り、1947年にPrinceton大学の経済学部を卒業した。その後2年間、ニューヨークタイムズで働いてからCalifornia大学Berkeley校に入学し、1949年にMBA を、1954年にPrinceton大学でPh.Dを取得した。Bellは1952年よりPrinceton大学で研究活動に従事していたが、研究領域は会計学とは無関係の国際経済論であり、1979年にRise Universityに移るまで、主としてアジア・アフリカの開発経済論の研究に携わっていた。Bellが会計学に親しみ、会計学の研究に励みだすのはEdwardの影響によるものである。

Edward(写真左:訳書より転載)の方はJohns Hopkins で1951年にPh.Dを取得したが、その論文テーマは企業成長論であったから、彼も会計学から研究生活をスタートしたわけではない。EdwardはBellよりも先にPrinceton大学で経済学を教えていたから、BellにとってはEdwardは2年先輩の同僚であったが、奇しくも二人は同じ研究室を共用することになった。二人は共用の研究室で教材の開発にあたりながら、会計学についても議論を深めていき、共同研究を進化させていった。もともと会計学に大きな関心を抱いていたのはEdwardであり、彼は特に減価償却に造詣が深かったという。いずれにしてもEdwardのリーダシップのもとにPrincetonでの共同研究が発展し、その輝かしい成果が1961年に世に出されたのである。
1978年にBell とEdwardは手を携えてRise Universityに移り、ここでは会計学を基軸にして研究と教育にあたった。その後に公刊された著作リストをみると、会計学のトピックに対して、特に物価変動会計に対して、積極的に見解を表明したのはBellの方である。最後の著作は1997年に発表されているが、それは齢73歳の時に書かれた時価主義会計の有用性に関する研究である。Bellは2007年8月に逝去されたが、最後の最後まで、エドワーズ・ベル著『企業利益測定論』で展開された時価主義会計の理論を擁護しつづけたのである。
Edgar O. Edwards and Philip W. Bell, The Theory and Measurement of Business Income (University of California Press, 1961).
Peasnell, Kenneth, and Geoffrey Whittington, “The Contribution of Philip W. Bell to
Accounting Thought,” Accounting Horizons, Vol.24, No. 3 (September 2010),pp.509-518.
Moonitz, Maurice, The Basic Postulate of Accounting(AICPA,1961).佐藤孝一・新井清光訳『アメリカ公認会計士協会 会計公準と会計原則』(中央経済社、1962)所収。
Sprouse, Robert T., and Maurice Moonitz, A Tentative Set for Broad Accounting Principles for Business Enterprise(AICPA,1962). 佐藤孝一・新井清光訳『アメリカ公認会計士協会 会計公準と会計原則』(中央経済社、1962)所収。
Feltham, G., and J. Ohlson, “Valuation and Clean Surplus Accounting for Operating and Financial Activities, ” Contemporary Accounting Research, Vol. 11 (1995), pp.689-732.