会計学の名著を訪ねて


     OBE Accounting Research Lab



 American Accounting Association, Committee to Prepare a Statement of Basic Accounting Theory,
A Statement of Basic Accounting Theory(ASOBAT),
(American Accounting Association,1966).
飯野利夫訳、『基礎的会計理論』,(国元書房、1969年).

                      岡部 孝好(神戸大学名誉教授)

  会計学にとって1960年代は激動の10年でもあり、躍進の10年でもあった。その激動と躍進の震源地の1つはASOBATである。ASOBATというのは、A Statement of Basic Accounting Theoryの頭文字を集約したもので、日本語でもアソバットと発音している。

  1945年に第二次世界大戦が終結した後に、会計学において研究の中核をなしていたのは会計基準(accounting standards)と会計公準(accounting postulates)であった。当時の会計手続きはばらばらで標準化されていなかったから、不健全な会計続きを締め出す一方で、推奨すべき「よい会計手続き」の集合を明示化することが急務とされていた。しかし、どれが「よい会計手続き」なのかを判別する規準そのものが見当たらなかったから、まず会計手続きを選別するための規準作りからはじめようではないかということに、議論が落ち着いた。この考えによって敷設された軌道が、会計基準の制定運動である。 会計基準という指針をまず定め、次にこの会計基準にしたがって会計手続きを選択する。会計手続きの選択を会計基準という指針にしたがって秩序だてて行うという考えは筋が通っており、それはそれでよいと広く承認された。しかし、会計基準の方はいったいだれが、どう定めるのか。会計基準の定め方を定めないことには、話がはじまらないのではないか。こうして、会計基準の制定運動は、会計基準をどう定めるかという厚い壁にブチ当たってしまった。

  会計基準は何らかの前提から出発しているのだから、まずその基礎的な前提をはっきりさせようではないか。数学ではそういう基礎的な前提を「公準」(postulates)と呼んでいるようだから、会計学でもそのマネをして「会計公準」(accounting postulates)を決めてはどうだろうか。こうして、会計主体(accounting entity)、会計期間(accounting period)、貨幣評価(monetary evaluation)など、いくつかの会計公準が論理的に導かれた。これらの会計公準はたしかに会計手続きの大前提をなしており、会計基準もまたそれらに依拠しなければならないことに疑問の余地はない。しかし、これらの会計公準から、具体的にどのような会計基準が紡ぎ出されてくるのか、本論の筋書きはだれにも見当がつかなかった。会計基準の上に会計公準という上層構造物があらしいとわかっただけで、具体的に何と何を会計基準にすればよいのか、会計基準作りの道筋を示す灯りはまったく見えてこなかった。1960年代前半の苦しい時の話である。

  折しも、会計学の周辺学問領域では大きな竜巻が何本も飛び交っていた。コンピュータ科学(computer science)は技術にだけではく、知識大系に大変革をもたらしつつあったし、意思決定科学(decision science)は人間行動、組織、共働などに関する既成の考え方を根本から覆してしまっていた。こうした激流の中で急発展を遂げたのが測定理論(measurement theory)とか情報理論(information theory)であり、会計学の研究に深刻なインパクトを与えはじめていた。こうした新しい測定理論や情報理論に照らしてみると、会計学で当時「理論」だと考えられていたものは幼稚な知識のツギハギにすぎず、ゴミの集積なのではないかという疑念が浮かび上がってきた。会計公準にしても、それを念仏のようにいくら唱えたところで新しい会計理論への扉が開かれる見込みはなく、理論構築にはほとんど役立たないという厳しく見解があちこちでつぶやかれるようになった。こうして、1940代後半から推進されてきた会計基準の制定運動は、1960年代前半には頓挫してしまい、会計学の研究はこれからの路に迷いはじめたのである。

  1969年春、わたしは関西大学商学部の助手に就任し、大いに張り切っていた。当時の関大大学院は立派な学舎をもっていたのに、学生の姿はまったくなく、猫とコウモリの棲み家という感じであった。その大学院学舎に週1回、神戸大学教授の久保田音二郎先生(1908.03.30−1979.07.01)がご出講になられているということなので、さっそくご挨拶に伺ったところ、「よい機会なので勉強会をやろう」という嬉しいお話を頂戴することができた。「それでは、何を?」とお伺いすると、即座に切り出されたのがASOBATであった。神戸大学大学院に在学中、わたしは久保田先生のご講義に何度か受講する機会に恵まれているが、それは久保田先生のご専門の原価計算論とか監査論の教室であり、ASOBATという話はかなりの驚きであった。

  神戸大学大学院に在学中に聞いたうわさでは、「山下勝治先生はいつ研究室に行ってみても同じ本を読んでおられるが、久保田音二郎先生はいつ行ってみても違う本を読んでおられる」ということであった(注)。久保田先生の「新しい本好き」ということは、このうわさ話からよく判っていていたつもりであったが、ASOBATにはまったく驚かされてしまった。新しすぎるうえに、財務会計プロパーの研究者でも歯が立たないといううわさの本だったからである。

(注)山下勝治先生がいつも読んでおられた「同じ本」とは、いうまでもなくWalb,Ernst, Die Erfolgsrechnung priverter und offentlicher Betrieb(1926)である。

  もっと驚いたのは、勉強会がはじまってからのことである。わたしは毎週2−3頁の和訳を準備し、勉強会では英書講読ふうに英文と和文を読み上げたが、久保田先生があちこちでストップをお掛けになり、訳文にいちいち訂正を加えてくださったのである。久保田先生はものすごい愛煙家で、セブンスターにせわしなく火を着けたり消したりしながら、「岡部はここをどう思うか?」と、わたしの解釈を問い質すことが再々であった。久保田先生がASOBATを事前に入念に検討されているのは明らかなことであり、その研究熱心さにはただただ敬服するばかりであった。

  久保田先生は原価計算論がご専門であったから、意思決定科学の隅々に精通しておられ、その方面では有益なご教示をたくさんいただくことができた。しかし、情報理論とかコミュニケーション理論は当時はまったく未知の新分野で、わたしはもとより久保田先生も手探りの状態であったように思う。わたしはその頃にはまだ統計学に手を染めていなかったので、統計用語の解釈も難題であり、ずいぶん苦労した思い出がある。あのころはまだコピー機もワープロもなかった時代だったから、大学ノートを赤鉛筆の書き込みで真っ赤にしながらの勉強会であった。あのノートは、いったいどこへ消えたのだろうか。

  関西大学では突如として学園紛争が勃発し、夏休み前にはASOBATどころではなくなってしまった。助手も会議に引っ張り出されたし、土日も夜間も警備員のような仕事ばかりで、府警の機動隊員と生活を共にする毎日であった。しかし、わたしはこの喧騒の中でASOBATの翻訳を細々と続け、3分の2くらいまで作業を進めることができていたと思う。ある日風の便りの、飯野利夫先生が国元書房からASOBATの和訳書をご出版なされるという話を耳にした。紛争が終わってからいずれは和訳書の出版を、と漠然と構えていたわたしにとって、この風の便りは大きなショックであった。

  “Relevance”に「目的適合性」という素晴らしい訳語を当て、この訳語を日本の会計学に定着させたのは飯野利夫先生である。飯野先生は日頃から日本語の語意を大切にされていて、ことばを慎重に選びながらゆっくりとお話をされる方でしたが、ASOBATの邦訳書『基礎的会計理論』(国元書房、1969年)にはこの「飯野調」が貫かれていて、実に優れた邦訳書になっていると思う。わたしはこの邦訳書を隅から隅まで点検したが、これにはとてもかなわないと兜を脱いだ覚えがある。

  会計情報は飾り物ではなく、ビジネスで使う実用品である。だから、使う側の人間の立場から判断して、使い物になるかどうかという視点から会計手続きを選ぶべきである。これが利用者指向(user-orientation)のアプローチであるが、このアプローチによれば、意思決定に役に立つのかどうか、つまり意思決定有用性(decision usefulness)が会計基準の構築における最優先の規範でなければならない。この意思決定有用性を支える第一義的な基準(primary standard)が目的適合性なのであり、会計情報は人間の行動選択に適合したものであることがまず要求される(ASOBAT, p.7)。

  利用者指向の会計学も意思決定有用性も、そして目的適合性という会計基準も、1970年代になってFASBの概念フレームワーク基準書にそのままの形で継承されている。いまでは初歩的な日本語の教科書でもこうした利用者指向のアプローチに触れていないものはないから、しごく当たり前の考え方だといえよう。しかし、 1966年の当時おいては、わずか100頁の小冊子において展開されたASOBATの会計理論はとほもなく激越であり、このうえなく刺激的なものであった。そのASOBATに出会っててから、もうかれこれ半世紀になる。

  わたしは1980年にエージェンシー理論に遭遇し、利用者指向アプローチでは会計現象を解明できないという否定的な結論に至った。そして、会計研究の焦点は会計情報の消費者というよりも供給者なのだから、作成者指向アプローチに転換し、経営者の会計選択行動の方に注目すべきであるという正反対の主張を展開することになった。いまでもこの考え方は少しも変わっていないが、その論理展開にあたっていつも頭の片隅に置いているのはASOBATである。会計情報の使い手を 分析するときには作り手に、会計情報の作り手を分析するときには使い手に、それぞれ目配りするのは当然のことなのかもしれない。しかし、作成者指向アプローチから眺め直してみると、ASOBATの利用者指向アプローチは実によく出来ていて、いまも揺るぎはまったくないのである。


2014.04.26

OBENET

代表 岡部 孝好